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ドラマ「あなたがしてくれなくても」を観て、レスについて考える。

カラダの関係を持ちたい妻と、避けたい夫。

カラダの関係を持ちたい夫と、避けたい妻。

平行であるはずの関係性が、ねじれて交わるとき、終わりが始まる。


レス、それ自体が悪いわけでも恥ずかしいことでもない。

レスだって、仲が良い夫婦もいる。


実は私たち夫婦も、数年間のレス継続中。

最後に男女の関係になったときのことなんて、お恥ずかしながら思い出せないくらい。

一緒にお風呂に入るし、いってらっしゃいのチュー、定期的にするハグと、労りのマッサージ、どちらからともなくするたまの手つなぎ散歩。

それだけで肌のふれあいは充分だと思っているし、旦那さんもそう思っている様子。


カラダのつながりよりも、大切にしたいのは心のつながりだから、会話の交わりは積極的に持つようにしている。

小さなことでも、「ありがとう」

小さなことでも、気になることはちゃんと伝えてお互いに歩み寄る。

自分が悪いと思ったときは素直に「ごめんなさい」

その際に言い争いになってしまうときは、それだけお互いが本気の証拠。

その度により絆が深まっている気がする。


「運命の人なんていない、運命の人にするの。」

他のドラマでのこの名言を聞いてから、私の旦那さんに対する接し方が大きく変わった。

そのシーンを何度も何度も観返しては、心に刻み込んだ。

お互いのことをよく知り、よく察して、言いたいことはちゃんと伝え合って、ときにはケンカもして、相手の想いを大事にしあえる夫婦。そんなふうになりたいと改めて強く意識した。

あまり自分のことを自ら話さない旦那さんだけど、それでも根気強く耳を傾け続けていたら、前よりも格段に話してくれるようになったし、今では仕事の悩みも話してくれるようになった。

それが本当に心からうれしいこと。


ドラマの作中、カラダの関係を持てないことに落ち込んだり悩んだり、工夫をしたりして空回る妻や夫の姿を見ていると、本当に大事なのはそこなのかな?という気持ちがふつふつと湧いてくる。

相手の「しない」という選択にはちゃんと理由があって、完全にそこを無視していること、それを言葉にしてもらう場を設けて、しっかりと受け止めないことのほうに問題があるのに、それは放棄して見ないことにして、かわいそうな自分のことで頭がいっぱい。隣の芝生はこれでもかってくらいに青く見えて、おそるおそる伸ばした手は、引っ込みがきかなくなる。

フィクションながらやきもきしてしまう。


ぶつかってでも、相手の心を聴くこと、上手く言葉にできなくても、相手に一生懸命伝えること。

譲れるところは譲ること。尊重したいなと思ったところは尊重すること。

感謝すること。謝罪すること。応援すること。支えること。

それができて、二人の間にあたたかくてやわらかいものが循環し始めると、一緒の休みの日が楽しみでしょうがなくなる。

テレビを観て爆笑して、おいしいものを食べてお腹いっぱいになって、ノリノリの曲を聴いて大声で歌って、キレイな景色をみて感動して、旦那さんが「おいしい!」って食べてくれそうなものを頑張って作って、落ち込んだときは励まし合って、二人の未来を真剣に話し合って。

そうしていたら、カラダの関係を持っている暇なんて正直ない。


だからどうか、主人公たちには他の人に逃げないでほしい。本当のことを知ることを、怖がらないでほしい。相手がこちらを向いてくれているときは、ひねくれず素直に向き合ってほしい。その人を選んだ自分のことを、嫌いにならないでほしい。逃げるのはそのあと、本気でやろうと思えばいつだってできるのだから。


なんて、生意気かもしれないことを考えている。



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