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「月記」を一年書いた

月にひとつ、その月のことを書き、公開する。「月記」なるものをはじめて、一年が経った。毎月末、12本の月記をしたためた。手探りで形式も定まらないままではあったが、とにかく「一年書いた」という事実が、僕の2021年に刻まれた。これは刻まれる必要なんてなかった事実だ。あってもなくてもいい。世界にとっても、僕にとっても。でも、いざ刻まれてみるとなんだろう、いやに気分がよいのだ。2021年を出来事ベースで振り返れば、安直にいい年だった、とは言い切れない。でも不思議なことに、わりと僕は「月記」を好きになれているようだ。なにやら僕のなかにもナルキッソスは住んでいるらしい。水面に映る自分の姿を見るのなら、溺れないように気を付けてほしい。あと口が悪いところもどうにかしてほしい。大家としてはやはり住人の幸せを願うばかりである。ひだまり荘の住人たちを見て育ったので。

ひだまり荘で思い出した(?)ので、僕がTwitterに入居してから「月記」を書くようになるまでを振り返ってみたいと思う。僕がTwitterを使いはじめたのは、思う存分にアニメ実況をするためだった。ハッシュタグを付けて、展開に合わせ、反射神経でツイートしていく。金曜日の夜に「バルス!」とツイートする感じのやつを、日々深夜にコツコツやっていくのだ。これは旧友たちも見ているSNSでは、到底できないことだった。旧友たちの多くはアニメ界隈に明るくはあったが、コンテンツへの熱量や発露の作法は、当然人それぞれだった。SNS運用の作法もまた、それぞれだ。オタクの妄言を気兼ねなく垂れ流してもよい第二の生活拠点として、僕はTwitterにたどり着いたのだ。無法地帯に拠点を構えた僕は、いつしか本拠地を忘れて無法地帯に入り浸るようになり、これまでにない量のツイートを放流しながら過ごすようになった。そういえば現在でも「TL汚し」という言葉を目にすることがあるが、2022年的な「清いTL」の情報があれば是非とも教えてほしい。こんな世の中なので、たまには清流で気分転換をしたくもなる。そもそも好んでドブ川に住み着き、ドブ川をドブ川たらしめ続けてしまった僕が言うのは、おかしい話なのだけども。

アニメ実況という放流行為を続けているうちに、少しずつ実況界隈とでもいえる人たちを認識できるようになった。各人、ツイートの雰囲気も様々で、面白いと思ってフォローしていくと、アニメのことを知れるだけでなく、その人が横断しているアニメ以外の界隈についても知ることができた。そしてその流れで強く興味をひかれたのが、いわゆる「アニメ感想/考察/批評」といった界隈だった。この界隈の人たちは、アニメ放送中の実況にも参加しているのだが、むしろエンジンがかかるのは放送終了後である。長文も連投も辞さず、ときに熱い感情を込めて、ときに理路整然と、読み応えのあるツイートを次々と生み出す人たちだった。僕はその人たちのツイートをアニメそのものとセットで楽しみにするようになり、やがてこの人たちのツイートを少しずつ真似るようになった。「バルス!」のときは「バルス!」と書きつつ、「原作と違う展開だな…」と気づいたら少し考える。誰かのツイートに発見があれば簡単に調べてみる。そんなことをしていたら、はじめて引用RTをもらい、意見交換が始まった。顔も名前も年齢も知らない、ただ同じアニメを見ていた人と。かなり興奮したことを覚えている。僕のTwitter観の基礎は、この頃の体験から出来上がっていった。

一方で、僕は当時から今に至るまで、Twitterというゲームしかプレイできていないことに、焦りを感じていた。Twitterのプレイヤーが増えて、ルールが変われば、プレイスタイルも変えざるを得ないかもしれない。良くも悪くもTwitterと共に培われたこのプレイスタイルは、Twitterが消えれば共に消える、どこにも引き継げないロストテクノロジーでしかないのかもしれない。Twitterばっかりやってていいのか?最近なんかTLおかしくないか?いつも誰かが誰かに薪をくべてるだけじゃないか?そう思いながらTLをスクロールし、140文字上限の思考を細かいリズムで刻み、ツイートボタンを押し続けるばかりだった。気づけば、プレイ時間は10年を超えてしまっていた。

言い訳がましいが、この焦りを解消し得る手段に気づいてはいたのだ。「ブログ」である。僕がTwitterで知った「アニメ感想/考察/批評」界隈の人たちの多くは、Twitter以前からブログを書いていた。あの人たちの思考は140文字上限のリズムになど支配されておらず、思考過程の一部だったり、たまたま140文字サイズにおさまるキャッチーなものが、ツイートして目に入っているに過ぎなかった。最初から140文字サイズで考えてしまっていた僕とは、根本から違っていた。はじめてブログを読んだとき、面白いと思うと同時に、恐ろしいとも思った。膨大な文章を前にして、僕は「読む」ために気合が入っていた。「読みたい」と興味をひかれながら、気合を入れなければならない。そのことが僕の力量不足を証明していた。とりあえずやってみればと、かつてあの人たちのツイートを真似たように、ブログサービスのアカウントを取得し、テキストボックスに向かった。なにも書けなかった。いま思えば、「書く」以前に「読む」力すら足りていなかったのだから、当たり前である。それでも当時の僕は、いつか書けるようになるかもしれない、と思いながら、結局Twitterのお手軽設計に甘え続け、140文字上限で自らを刻みながら、10年という時を過ごしてしまったのだ。

そんな10年のTwitter人生を歩んでしまっていた僕だが、一応Twitter以外の人生も歩んでいる。そして偶然にも、Twitterの外で言葉の遊び場を手に入れていたのだ。「日記」である。数年前にはじめた当初は、日記というには味気ない、スケジュール帳とリンクしたタスク管理のような、必要に迫られた「記録」のような代物だった。自ら記録したものに自ら追われ、僕はどれだけ人生が下手くそなんだと思いながら、なんだかんだでその記録は続いていった。そのうち余裕ができてくると、息抜きとして余白に適当なメモを書くようになった。それは面白いことに、いつの間にか生活の一部になっていき、スーツを着た「記録」ではなく、パーカーを羽織った「日記」になっていった。ラーメン屋で起こった出来事、駅で出会った不思議な人の事、面白い夢の事、恐ろしい現実の事、べつになんでも書いていいのだ。ここは自由な遊び場なのだ。だんだんと遊びの時間は長くなっていった。

日記で遊ぶ時間が長くなるにつれ、気づいたことがある。日記を書いているとき、いま頭にあるものを整理したいという衝動と、いつか見返すことで役立つかもしれないという打算と、どこか相反するものが混じった不思議な感覚になっていることがある。浮遊感とでも言えるだろうか。後先考えず、脳内にある無形の思考と、眼前に生成される有形のテキストを照合しながら、ふわふわと浮かぶ理想形に近づこうとする。理想というものは、だいたい到達できない。だからこそ、その気になればいつまでも目指すことができる。子供の頃のように、体力がゼロになり倒れるように眠るまで遊ぶことができる。残念ながら、僕はすでにいい大人であり、体力が尽きるスピードは子供の頃よりはるかに速く、回復速度は遅くなる一方だ。いい大人の生活を営むうえで、なにひとつ合理的ではない。でも、だからこそ、この遊びは僕に合っているのだ。いつの間にか、日記を書くことが目的というだけでなく、何かを書くこと自体も目的になっていった。なにせ、楽しいのだ。衝動でもあり、打算でもあり、同時にどちらにも断定できない。なんか、楽しいのだ。酒もタバコもアレもやらない代わりに、僕はこれでキマれる体質になったのかもしれない。気づいたときには、「日記」とも異なった謎の「テキスト」が手元に散乱するようになっていた。

こうして、質はともかくとして、「書く」ことに多少なり慣れた僕は、2021年から「月記」を書き始めることになる。わざわざ「月記」を書く目的には、月イチという自分ルールを守る練習だとか、公開することで文章の質の向上を目指すだとか、単純な楽しみ以外の打算もある。そして、興味をひかれた人のことをすぐに真似ようとする、僕の長らく変わらない習性も、大きく影響している。

2020年の毎月末、僕は尊敬する人からボイスメッセージを受け取っていた。12通のメッセージは、「月一年ボイス」と名付けられていた。僕は幸運にも、この人の舞台に足を運ぶことができ、話をする機会にも恵まれていた。月末のメッセージで語られる出来事のなかには、僕が客席にいた舞台の話が含まれていることもあった。だが、「振り返る」という形で再びなされる舞台の話は、その舞台の終演直後に話したものとは、異なる味わいのものだった。そりゃ時間が経過しているのだから当たり前、だろう。対面で話していたのとは違うのだから当たり前、だろう。そのとおりだ。そのとおりすぎて、「振り返る」ということの心地よさが、僕には少しばかり沁みすぎたようだ。今、僕たちは、今すぐに、誰かに接続し、接続されることができる。今が通り過ぎた瞬間、さっきあった今について、今すぐに反応することができるし、反応されることができる。当たり前だ。そのとおりだ。そのとおりすぎて、少しだけ昔の出来事について話されたメッセージが、メールで送られてきて、僕はメールが届いたことに少しだけ遅れて気づいて、時間ができたときにメールを開いて、少しだけ昔のメッセージを聴く、そんな令和の世に生まれたほんの少しの「時間差」が、とても愛おしく、どこか懐かしく、思い出されたのだ。

僕の「日記」はクラウド上にテキストファイルとして保存してあり、いつでもどこでもすぐに読み書きすることができる。「記録」だった時代の名残であり、このおかげで備忘録的な機能を擁している。なにか忘れていると気づいたとき、見返すという選択肢を得たことで、正直何度も救われた。ただ同時に、「忘れる」ということは、良くも悪くも人間にプリセットされているおもしろ機能である。「忘れる」から、「憶える」し、「思い出し」て、「振り返る」のだ。忘れていると気づいたとき、見返さないという選択肢だってあるし、見返すにしたって、それは今すぐではなくてよいこともある。ゆっくり月末に振り返ったっていいのだ。そういえば、長らく僕は振り返るということを避けていたかもしれない。一ヶ月を振り返るとき、あの人の頭の中には、どんな風景が広がっていたのだろう。どんなことを感じて、届けようと考えたのだろう。そう思いながら、12通の「月一年ボイス」を受け取った僕は、尊敬するあの人をちょっとだけ真似て、2021年から「月記」を書き始めると決めた。

2021年、僕は12本の「月記」と、5本の記事を書いていた。そしてまさにいま、「月記」ではないこの記事を書いている。「月記」ではない記事のほうが文字数が多くなりがち、ということも学んだ。まだまだやりたい放題遊び散らかす「日記」の作法から抜け出せていないというわけだ。力量不足だな、と思う。それでも、とにかく僕は、書いたのだ。そして、本当にありがたいことに、読んでくれた人がいたのだ。別に誰の懐にお金が入るわけでもない(note社の方々を除いては)。世界の誰からも書くことを求められたわけでもない(note社の方々を除いては)。それでも、書いてしまったのだ。それによって、新しい何かを感じることができたのだ。真似っこだったり、焦燥感だったり、無力感だったり、きっかけも先行きもどうであれ、事実として、僕は「月記」を一年書くことができたのだ。

こうして長々と振り返ってみると、2021年も悪いことばかりじゃなかったかな、と思えてくるのだから面白い。まだまだ遊んでみたい。あれこれ考えている今もなお、いつか振り返るかもしれない今が、形もなく流れ続けている。2022年の僕には、そんな風景が見えている。


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