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白川さやか、アイドル、流れ星の見つけ方

流れ星を見ていた。

2021年2月23日に僕の中に芽生えた感覚を、少しかっこつけて表すなら、こんな感じだ。

僕が「アイドル」界隈に足を踏み入れてから、およそ3年半が経った。3年半という期間は、オタク歴として考えてみると、まだまだ若造というイメージがある(その前から続く二次元オタク歴が長すぎるせいかもしれない)。しかし、ステージ上の「アイドル」達にとっては、3年半という時間はおそらく、長い。僕が憧れる、派手な髪をしたあの人は、「アイドルの1年って、犬年齢の1歳くらいの感じじゃない?」と言っていた。ちなみに、犬年齢の3歳半は、人間換算だとだいたい29歳くらいらしい。

これは、界隈に足を踏み入れて3年半の若造が迎えた、波乱の2021年上半期のはじまりのお話。2021年2月23日、新宿BLAZE。アイドルグループ「RAY」の、白川さやか卒業公演「ひかり」。この時から、物事の見え方が変わっていった。それを経て、僕がやっとおぼろげながら見つけた「アイドル」というものへの手がかり、そしてそれを教えてくれた「白川さやか」という少女の話を思い返す。ライブレポートや考察というような大それたものではない。今更ではあるが、若造である僕に彼女が教えてくれたものと、その時の感覚を残しておくという、回想録とでも言うのがよいだろうか。

そして、温め続けたこのテーマを書ききらねばと急いだ理由のひとつでもあるのだが、このワンマンライブ「ひかり」の映像全編がYouTubeにて期間限定で公開されている(2021年6月30日現在)。ぜひ多くの人に見てもらいたい。この文の存在がそのきっかけになったとしたら、この上ない名誉である。

この文を読む前でも後でも、あなたの気持ちが動いたタイミングで見てほしい。もちろん見たことがあるのなら、心の中で思い起こしながら、僕の話に付き合ってもらえると嬉しい。

では、回想をはじめることにする。



はじめて白川さやかの姿を見たのは、2019年5月1日、アイドルグループ「RAY」のお披露目公演・夜の部だった。彼女はそれまでアイドル活動をしたことはなく、RAYでのデビューが、アイドルとしてのデビューでもあった。
ちなみに、これは厳密に言えば白川さやかの初舞台ではない。まずこの日のお披露目公演には昼の部があったうえに、RAYとしてのお披露目の少し前には「死生祭」というイベントにソロ出演している。それらで彼女は、鰹節を削りながらトークを繰り広げるというソロパフォーマンスを披露している。鉋みたいなアレにはしっかりとマイクが立てられ、鰹節が削れる音にとにかくいい感じのリバーブがかかり、そこに女子中学生のフリートークが乗っかるという、極めてアンビエント(?)な代物だった。僕は映像でしか見ることができなかったので、それに関しては悔いが残っている。

(このお披露目ライブの映像は両部共に公開されている。鰹節は25:10頃からはじまる。)

一応、僕は準お披露目の場に立ち会った。いわゆる「最古参」とまでは言えないが、ギリギリ「古参」枠の下位には入れさせてもらえたり、しないだろうか…。いや、こればかりは自称する話ではないし、スタートの一点だけで測れる話でもないので、また今度よく考えてから議会に持ち込むことにする。そもそも、そんなことを気にしすぎてもしょうがない。


といいつつ少し踏み込むが、アイドル界隈において誰かの「最古参」オタクになるというのは、かなり特殊な能力が必要だと思う。まず、そのアイドルの「お披露目」に立ち会う必要があるだろう。「お披露目」に足を運ぶには、限られた前情報(メンバー情報、ティザーMVなど)から自分の興味関心に合致するかを判断して、チケットを予約し、時間の都合をつけて、ライブハウスに足を運ぶ、それら一連の行動へのモチベーションを生み出さなければならない。そして、その後も興味関心を持ち続け、そのアイドルの成長過程を見守ってこそ、「最古参」と称されるのではないだろうか。興味関心のアンテナを高く維持し、その上でフットワークを軽く、持続させていく。これは色んな要素が奇跡的に噛みあっていないと、なかなか成立しない話だ。
更に、「最古参」になるにはもうひとつのポイントがある。過去の活動経験、いわゆる「前世」の存在である。アイドル個人単位で厳密に考えた場合、最古参が立ち会うべき「お披露目」とは、「それまでアイドル活動をしたことがない人の初舞台」になるだろう。アイドルグループのメンバー加入・卒業のお知らせは、界隈に接近すればいくらでも目にする。そしてこれらのお知らせ双方で、同じ顔や名前を見ることも珍しくない。明示はされなくても、界隈のなかでひっそりと、「あのグループに入った〇〇って子、元△△で××って名乗ってた子らしいよ」という情報が流れたりもする。前世、つまり活動実績があるということは、既にファンがいて、知られている人たちのアンテナに素早く引っかかる、そのため、界隈の中でも情報として浮かび上がってきやすい。それに比べると、前世がないアイドルの情報は、よりアンテナを高く張る意識をしておかないと、なかなか捕捉しにくいだろう。



白川さやか自身の話から早速逸れてしまったが、つまるところ、僕のような若造がアイドル界隈2年目早々にして、「前世」のないアイドルである白川さやかの出現を捕捉し、その後を見届けることができたということは、奇跡だったと思っているのだ。
2019年初頭の僕の界隈観測範囲は、Maison book girlを中心に、sora tob sakana、ヤなことそっとミュート、フィロソフィーのダンス、という具合だった(改めて見ると、典型的なバンド界隈流れの「楽曲派」初心者っぽくて趣深い)。3月頃、Maison book girlファンの方から「・・・・・・・・・」(通称「ドッツトーキョー」等)というグループが面白いという話を聞いた。そのすぐ後、3月末に・・・・・・・・・はライブ活動を終了したが、なにやらすごいライブだったという噂は耳に入ってきた。そんな折、ふとCDショップで試聴機に入っていた・・・・・・・・・のアルバム「Points」を聴き、「これはすごい」と旧譜もまとめて買って帰った。また面白いものに出会えた、という喜びと同時に、もう少し早く出会いにいっていたら…という後悔もあった。
それから間もない4月、お知らせが目に入った。

「アイドルグループ『RAY』が始動。」

「・・・・・・・・・の運営チーム『女の子の東京をつくろう!!委員会』が活動をサポート…」

これはきっと面白い。はじまりを見逃してはいけない。そう直感した。公式HPに掲載されていたメンバー紹介の写真は、統一感のある白衣装に身を包んだものではなく、服装はおろかシチュエーションも質感も四者四様にバラバラ。その中でも、セーラー服を身につけて素朴な表情で佇む「白川さやか」の存在は印象的だった。僕がはじめて興味を抱いた、「これからアイドルになる子」だった。
そして5月、今度は統一感のある白衣装に身を包んで歌い踊る「白川さやか」の姿を見たのだった。星が流れ始めたのは、この時だった。



白川さやかのアイドル活動は、決して平坦な道のりではなかった。歌いながら踊るということは、身体にかなりの負荷がかかる特殊技能だ。普通の中学生だった彼女が、学業の傍らそれを身につけるのは、険しい道のりである。活動開始から間もない6月末に、彼女は膝を痛めてしまい、9月頭まで椅子に座ってのパフォーマンスが続いた。そして回復するも間もなく、同じく9月に行われた彼女の初生誕祭では、高校受験のために11月から翌年3月頃までライブ活動を休止する旨の発表もなされた。学業との両立という話は、アイドル活動についてまわる大きな課題のひとつだ。ただ彼女の休止発表は、余裕をもって告知したうえで期間を長くとり、学業に支障のない範囲でライブ以外の活動(レッスン、レコーディング等)には参加という形だった。勿論ファンとしては寂しいし、心配な話ではあるが、未来を見据えられるよい形だったのではないか、と思う。発表から活動休止に入るまでの期間、彼女のパフォーマンスレベルは、僕の素人目にもわかるくらい明確に伸びていった。彼女の活動休止前最後のステージとなった渋谷WWWでのライブは、強く印象に残っている。豪華な共演者たちに退けをとらない見事なステージを見せつけて、白川さやかは一旦、受験生としての生活へと駆け出していった。


ところで、「要するにあなたは『白川推し』だったということですか?」という素朴な疑問を抱いている人もいるかもしれない。「推し」とはどういう意味を指して何をもって成立するのか、という(めんどくさい)話はひとまず置いておくとしても、そのうえであえて、僕は「No」と答えておく。もっと言うと、2019年時点で僕が誰かを「推し」ていたか、「RAY」を「推し」ていたかということについても、僕は「No」と答えざるを得ない。強い否定というわけではないが、僕から「Yes」と言い切ることは、到底できない。
「じゃあなんでこんな文を書いてるんですか?」という話になるが、それはきっと、逆説的なことなのだと思う。つまり、「推してるんですか?」というある種とても素朴な問いに「Yes」と答えられないような僕にすら、「白川さやか」と「RAY」は何か強烈なものを教えてくれたからなのだ。「推し」が「卒業」したら「オタク」が悲しむ。それはある種の公式みたいなものだ(無論、ここに当てはまる「オタク」当人の感情は否定されてよいものではない)。だが、そもそも「推し」が成立していない僕は、この公式には当てはまらないはずなのだ。もっと冷静に、「すごいライブだった…なぜならここがこうで…」と「ひかり」を解読しようとする。自分で言うのもアレだが、そんな振る舞いのほうが、僕っぽいと思う。だが実際のところの僕は、終演後しばらく涙が止まらず立つこともできなくなっていた。それまでに見知ったグループからメンバーが卒業したこともあった。卒業公演となるライブを見たこともあった。だが、白川さやかの卒業は、これらとは比較にならない大きな衝撃だった。先ほどの公式に当てはまらない僕ですら、このような事態になる。つまりこの体験には、なにか重要な意味があるのではないか?そんな想いから、記憶を遡りながら、キーボードを叩いてみようと思ったのだ。


再び話を戻す。白川さやかは無事受験を終え、2020年3月15日、目黒鹿鳴館でライブ活動に復帰した。ライブ文化自体が苦境に立つことになる、すこし前。この日のライブでは、白川さやかのソロ曲「ダイヤモンドリリー」が披露された。「キラキラなアイドルソングを歌いたい!!」というクラウドファンディング企画から生まれ、彼女の生誕祭で初披露された、RAYの音楽性ともまた違う、「白川さやか」という「アイドル」のための曲である。

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基本的にRAYのライブでは静止画の撮影は許可されている。これらは「ダイヤモンドリリー」披露時に僕が撮影した写真だ。ファンがフロア前方に集まり、ステージに向けて手を伸ばし、彼女もそれに応えている。人が動くライブフロアでカメラを構えるというのは、なかなかに気を使う振る舞いである。邪魔にならないよう、僕はこの熱気から数歩引いて、ポッカリと生まれたスペースに立っていた。ステージとフロアが熱量を伝え合うような、あえて言うなら、とても「アイドル」っぽい光景を、おとなしく写真に納めていた。自分で言うのもアレだが、僕はこの写真が好きだ。当時の僕は「どうやったら綺麗に撮れるか」「よい写真とはなんだろう」とか考えていて、それどころではなかった気がするが。よくぞ撮っておいてくれた、と思う。


多くのライブハウスが存続の危機に陥り、結果的にライブ偏重となっていた音楽文化全体にも暗い影が落ちることとなった2020年4月。RAYの活動は、そうした状況のなかにおいて、むしろ積極的だった。5月に記念すべき1stアルバム「Pink」のリリースを控え、そこに向けて熱量を落としたくなかったという思惑もあったかもしれない。「Pink」はリリースに先駆けYouTubeで「期間限定フル試聴」という形で惜しげもなく公開され、着実に評価を集めていった。音楽面と並行して、メンバー個別の配信活動も継続的に行われた。単なる雑談配信で終わらないよう、テーマ性を持たせたり、メンバーの個性が際立つような企画を提供していた。思い返してみると、このように音楽性とタレント性の両輪を継続して動かし続け、それを限られた「現場」に閉じない形で発信し続けていたことが、今に至る評価の土台を築いたようにも思える。

そして、今ではすっかり定着してきた無観客でのライブ配信にも、RAYは早くから取り組んでいた。そうした意欲的な姿勢が早くも実を結んだのが、2020年8月24日に無観客で行われた1stワンマンライブ「birth」だった。「配信だからこそできる表現」というものを多くの人が模索していた時期に、いちインディーズのアイドルグループであるRAYが、ひとつの解答とすら思えるライブを作り上げてしまったことは、ちょっと大袈裟に語り継がれてもいいのではないか、と思ったりもする。

(「birth」の映像全編は、2021年6月30日現在、期間限定無料フル公開されている。チャットのリプレイをすると、メンバーも参加していたプレミア公開時のコメントが楽しめる。)

「生のライブ」と「配信のライブ」の関係というのは、今なお議論が絶えないテーマだろう。むしろ「生のライブ」が復活してきて「配信のライブ」と共存するようになった今こそ、より議論は熱を帯びているかもしれない。この「birth」という「配信のライブ」が制作される前には、1周年記念として開催されるはずだった「生のライブ」の存在があった。「生のライブ」が開催できない状況によって企画は中止となり、そして「birth」の企画が立ち上がった。色んな都合で言えば代替公演でもあるのだろうが、これは周年記念としての代替というよりは、「配信のライブ」という全く異なる前提に立ったうえで制作された、独立したライブと捉えることもできるだろう。
とはいえ、周年記念ライブというのは、演者にもファンにとっても大きな意味をもつものだ。「配信のライブ」が「生のライブ」の完全な代替にはなり得ないように、当初予想されていたRAYの1周年の形は、巨大な不可抗力によって断念され、完全な代替はなされなかった。無論、それは「birth」の強度を揺るがすものではない。別軸の話だ。しかし、どうしても惜しんでしまうのは、RAYと共に「アイドル」としての1周年を迎え、大きなステージに立った白川さやかの視界に、ファンの姿がなかったということだ。それでも、「birth」での白川さやかは、1年の時を経て、これまでになく輝いていた。彼女には、どんな景色が見えて、どんな感情が浮かんでいたのだろう。


2020年9月26日、「白川さやか生誕祭『Sixteen!』」が有観客にて開催された。1年前には膝の負傷があり、今度は様々な感染症対策ルールがあり、やはり平坦な道ではなかったものの、生誕祭が無事に開催されたことは大きな幸いだった。少しずつライブ活動も増え、曲のレパートリーも着実に増え、これまで不完全燃焼になっていたエネルギーに再び火を点けていくように、RAYは加速していった。こうした加速の背景には、受験期にも可能な範囲で活動参加したり、ライブができない期間でもトレーニングを重ねたり、逆境においてもできることを探し、着実にステップを踏もうとする、彼女の真面目な姿勢があったということは、間違いないだろう。

2020年12月13日、白川さやかの卒業が発表された。僕は画面を見ながら、しばらく呆然としていた。理由は、雑に一言でまとめてしまえば、「学業との両立が困難になった」ということである。似たようなニュースを何度も目にしてきた。似たような理由でステージを去っていった人も知っていた。ただ、僕は彼女のコメントを読みながら、この「学業との両立」というありふれた言葉に、書く人にとっても、読む人にとっても、どれだけの想いが込められるのだろうか、と。そんなことをはじめて考えた。僕は、素直にこのコメントを受け取っている。それはたぶん、彼女がそうさせてくれたのだろうと思う。

(コメントはこちらのニュース内に引用されている。)


2021年2月23日の卒業公演までの日々、ライブで目にする白川さやかは、驚くほどに笑顔だった。個人の定期配信でも賑やかに喋っていた。日々自ら卒業公演の宣伝をするときも、その文面は元気だった。卒業公演の会場となる新宿BLAZEの収容人数は800人程で、RAYのワンマンライブ会場としては大規模である。単純にひとつの公演としても重要であり、公式サイドとしても宣伝には力が入っていた。卒業公演という湿っぽさは、(僕の鈍感な頭で考えるぶんには)あまり表に出ていなかったように思う。それは白川さやか本人の明るさもそうだが、他のメンバーたちの振る舞いもそうだし、公式の宣伝の温度感も含め、先のコメントにもあった「笑顔で送り出す」という意思が明確になっていたからこそのものだろう。卒業までの日々、幸せなことに、僕は変わらず現場に通いながらライブを楽しませてもらった。アイドルの卒業というのは、もっと突然にやってくることもある。年明けにもRAYを見て、2021年は楽しくスタートをきらせてもらった。感謝している。

とはいえ、確実に残りのライブは減っていく。卒業公演前、最後のライブ日となったのが、2021年2月14日の渋谷club asiaだった。その日は昼夜二部ライブがあり、僕は両方に参加した。昼の公演は、バレンタインデーにちなんだ特別衣装でのライブだった。

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(とてもかわいい)

夜の公演は、クラウドファンディングのリターンとして制作された「静と動」と題されたライブであり、オケの音にこだわった「爆音パート」と、削ぎ落したアレンジでメンバーの歌声を活かす「アコースティックパート」の二つを交互に披露するというコンセプティブなものだった。とくに、「アコースティックパート」にて披露された、メンバー四人のアカペラでの「サテライト」は、あの場にいた多くの人の心を動かしたことだろう。「楽曲派アイドル」という言葉が広まってから、その裏返しのテンプレート的な評価として「曲(オケ)はいいんだけど、歌が追いついてない」という声が色んなところで聞こえるようになった。アイドルにとっての「歌」については、またいくらでも広がる話であるが、少なくとも「静と動」において、RAYは「歌」にフォーカスしたパフォーマンスを披露し、そのうえでよりスキルが要求されるアカペラも披露してみせた。ステージにまで緊張や不安は伝わってきたが、それでもとにかくRAYはやりきって見せた。そして、緊張の糸が切れたのもあってか、白川さやかは久しぶりに涙を見せた。ライブアイドル達はあまりにも頻繁にライブをする。それでも、そのひとつひとつのライブの背後には、表に見えない積み重ねがある。自信満々な日もあれば、不安でしょうがない日もあるだろう。アカペラという特別な挑戦へのプレッシャーを割り引いても、この日の涙は、白川さやかのこれまでの道のりを思い起こさせるものでもあった。
アンコールが起こり、今度は爆音のオケと共に「サテライト」が披露された。僕はステージ最前で、カメラを提げていることを忘れ、目の前を笑顔で跳ねまわる彼女に見えるように、一緒になって「くるくると」手を振った。写真を撮ってあとで見返そうとか、SNSに感想を書くときに一緒にアップしようとか、そんなことより、今、目の前のステージに必死になっていた。

「一つずつ ネジが壊れてく サヨナラバイバイー‼︎‼︎‼︎」

「君のような 笑顔の怪獣に 僕も少しは近づいた?」

何度も聴いた「サテライト」。お披露目のときから、長く歌われ続けた曲。どこか、「新参者の僕ではなく、他の人達のための曲だろうな」と思っていた。でもこの時にはもう、ネジが壊れた頭の中に、そんな考えはなかった。ステージに上がるための一歩を踏み出した勇気と、ステージを降りるための一歩へ向かう勇気。その二つの勇気を秘めた白川さやかの笑顔が、ひたすらに眩しく、愛おしい、そんな彼女を見る、僕のための曲だと。そんな幸せな思い込みの中に、彼女は呼び込んでくれた。渋谷club asiaを訪れる度、この時の感覚を思い出す。


(歌詞は・・・・・・・・・のHPでも見ることができる。この曲の音源及び歌詞は「Pubric Domain」化されており、面白い取り組みなので、是非一度目を通して頂きたい。)


2021年2月23日。新宿BLAZEの前方指定席エリア。意外にも中央寄りで全体が見やすい席だった。椅子有りの指定席はありがたい。カメラやバッグ、上着なんかも置いておけるので、身体が自由になる。周囲のお客さんとの距離も保たれるので快適だ。会場には多くの人が集まり、配信カメラ越しにも多くの人がこの時間を共有しようとしている。白川さやか卒業公演「ひかり」。ステージから見える景色はどれだけ広大なのだろう。「birth」のときにインターネットの向こう側にいた人達も、今日は会場に来ているかもしれない。いつもの開演前のワクワク感と、少しの寂しさを抱えていることに気づいたころ、「ひかり」は始まった。

このライブの演出の主軸となったのは、同じく「ひかり」というタイトルの絵本だ。これはクラウドファンディング企画として、ファンとの意見交換を経て創り上げられたものである。タイトルを英訳すればわかる通り、この絵本は「RAY」の物語であり、その視点は、白川さやかとファンのものが入り混じっている。そうした複合的な視点から語られた物語が、RAYという総体の中で読み直され、「白川さやか」の卒業公演の演出の主軸として提示された。RAYは何かと積極的にファンの声を取り込み、巧妙なフィードバックをぶつけてくる傾向がある。今回は、絵本というフォーマットで一度まとめられた「運動」を、ライブというフォーマットに読み替えて提示してきたのだ。これはある意味、元ネタが割れている状態とも言えるが、そうであっても、予定調和と予想外を見事に行き来しながらファンを魅了してくれるところが、RAYというグループの面白さのひとつなのだと思う。「ひかり」という物語がどう語られたか。まだ知らない人は、僕の言葉のフィルター越しではなく、是非ともそれぞれの感覚で体感してほしいと思う。

(繰り返しになるが、2021年6月30日現在、映像は全編期間限定無料フル公開されている。チャットのリプレイをすると、メンバーも参加していたプレミア公開時のコメントが楽しめる。僕はこれを書き終えたら見るつもりだ。)



さて、先にも紹介したが、「ダイヤモンドリリー」という曲がある。「白川さやか」という「アイドル」のために作られた曲である。ひとつの予定調和だが、「ひかり」においてもこの曲は披露された。この時点では、新たなクラウドファンディングによって、この曲のため、つまりは白川さやかのために、衣装と振付とMVが作られていた。これまでも「ダイヤモンドリリー」は生誕祭などで何度か披露されてきたが、衣装等をまとった「完全体」でのお披露目は、ついにこの日に行われたのだ。

繰り返しになるが、僕の生い立ちは、典型的なバンド界隈流れの「楽曲派」だ(「楽曲派」ってなんだよ、という話はぼんやりさせたまま進める)。ギターは軽めの歪みでたくさん弦が鳴ってると嬉しい。ドラムは生っぽい音で派手に鳴ってくれていると嬉しい。ただ手が三本ないと叩けないフレーズを聴くと発狂する。かつての僕にとっての音楽のイメージは、楽器を構えた人間が集まり、「せーの」で鳴らすものだった。そんなバンド原理主義的な音楽観は、加齢と共に少しずつ軟化していったのだが、アイドル界隈に足を踏み入れたことが、その軟化スピードをさらに加速させてくれたのは間違いない。大規模なブッキングになれば、「楽曲派」なアイドルが目当てでも、次の出番にはポップでキラキラした満点笑顔のアイドルが出てくることもある。そうした体験の積み重ねは、新たな音楽観形成に確実に影響を及ぼしている。
「ひかり」で披露された「ダイヤモンドリリー」。そのポップでキラキラしたかわいらしいステージを見ながら、僕は自然に「振りコピ」をしていた。ぶら提げたカメラが邪魔になり、雑に床に置いた。一応は六桁万円する精密機器だ。ただその時はそんな具体的な損得勘定よりも、今鳴っている「ダイヤモンドリリー」の世界を、「白川さやか」のステージを、どこまで楽しめるか。その基準だけで僕は動いていた。落ちサビで、ステージに向けて、全力で手を伸ばした。約一年前、かつての僕が目黒鹿鳴館で一歩引いた位置から写真に納めていた、いかにも「アイドル」っぽい光景の真っ只中に、僕はいた。真剣に、ステージに立つ彼女に向けて、声が出せないフロアから、何か、届け、と。一際強く燃えて輝く、流れ切る直前の星の「ひかり」に向けて、必死に手を伸ばしていた。

僕はこのときの「ダイヤモンドリリー」、そしてそれ以降の写真をまともに撮れていない。それはそうだし、それでいい。終演後、ふと気づくと、足先にカメラが転がっていた。何度か蹴とばしていたようだ。一応は、六桁万円する精密機器だ。まあ、壊れてなければそれでいい。後で確認すればいい。まだ少し呆然としていたので、雑にカバンにしまって、ひとまず席を離れた。それでもなんとなく会場から出たくなくて、物販を見たり、ファンの人達と軽く喋ったりしながら、スタッフさんに促されるまで会場に居座った。褒められた振る舞いではないが、少しでも長く、新宿BLAZEという空間で自分の感情と向き合いたかった。しばらくして、お馴染みのスタッフさんに退場を促された。「ありがとうございました」と会釈し、地上へ続く階段を上った。歌舞伎町は相変わらず賑やかに光っていたが、思っていたよりは静かで暗かった。
星は流れきって、その軌跡がすこしずつ薄れながら、微かな輝やきを放っていた。そのことに、やっと気づいた夜だった。



子供のころ、はじめて流星群を見にいったことを思い出す。別に大それたお出かけではなく、家の近くにあるグラウンドまで行って、ど真ん中に寝転ぶ、ちょっとした夜のお散歩だ。東京の空は星が見えないと言われるが、それは例えば北海道とかのどこかの山頂と比べたらという話で、やたら多い照明たちから逃げおおせれば、東京でもそれなりに星は見える。初めて見た流れ星は、思ったより大きかったり、輝きの軌跡が一定でなかったり、なにより「流れた」と認識したときには「流れて」しまっている、その不思議な体感が印象的だった。これなら、三回願い事を言えたら叶うという話も、あながち嘘じゃないように思えた。

「白川さやか」と「アイドル」のことを考えていたとき、ふと「流れ星のようだ」と思った。僕は、彼女がステージに上がったとき、そして降りるときを目撃した。流れ星に気づくのは、それが流れてしまった後だ。それでも、その少し遅れた気づきは、流れ星を見たという事実を証明するものでもある。そうだ、僕は生まれて初めて、一人の「アイドル」の始まりから終わりまでを見届けたのだ。気づいたのは、やっぱり後だった。でも、たとえ遅れてしまったとしても、その気づきをきっかけに振り返ることは、きっと大事なのだろうと思った。

彼女が卒業した後、湧いてきた感情のひとつに「後悔」がある。あのライブを見ればよかった。あのイベントに参加すればよかった。あのときの感想をちゃんと伝えればよかった。だが、これらも残念ながら、少し遅れた気づきとして認識するしかない感情なのかもしれない。「推しは推せるときに推せ」なんて言葉もあるが、アイドルたちが有限の時間を駆け抜けてステージに立つのと同じように、ファンも有限の時間を駆け抜けてフロアに立っている。振り返ったとき、後悔をゼロにすることは不可能かもしれない。でも、減らすことならできるかもしれないし、後悔があることを認めたうえで、前を向くことなら、きっとできる。なぜなら、振り返ったときに見つけられるものは、後悔だけではないはずだからだ。

僕は今、こうして振り返りながら文を書いている。「白川さやか」は、初めて僕に、「アイドル」という光の始まりから終わりまでを見せてくれた。そして、なにより幸せなのは、その軌跡に笑顔が溢れているということだ。裏ではどうだったか、そんなことは僕には知り得ないことだ(不幸であってほしくはないという願いだけはある)。いちファンである僕に見せてくれたもの、振り返ることができるもの、そこにたくさんの笑顔を残してくれたというだけで、彼女はキラキラ輝く立派な「アイドル」だったと言いたい。若くして一歩を踏み出し、走り続け、見事に幕を引いた、その勇気と真摯さに、敬意を表したい。そして、なぜ僕は「アイドル」に惹かれているのか、そのためのヒントをたくさん教えてくれたこと、いつもそこに笑顔を添えてくれたことに、ただただ感謝している。

そして今、「アイドル」を見るということは、流れ星を見るようなものなのだろう、と思っている。星の一生において、一瞬の光り輝く時間。それを見つけられるのは、星を見るための場所で目を凝らしているときかもしれないし、何の気なしにふと天を仰いだときかもしれない。もし見つけたときに、それを綺麗だと思えたのなら、いつかその事を振り返れるよう、「流れ星が綺麗だった」と、どこかに書き残しておきたい。僕は忘れっぽいので、そのくらいは頑張りたいと思う。たぶんそのほうが、笑顔をみつけることが上手になるはずだ。笑顔が教えてくれたものに報いるのもまた、笑顔と共にできればよいな、と思う。



2021年7月を目前にして、ようやく4か月近く前のことを言葉にできた。文章力はまだまだ未熟だし、そもそも時間をかけすぎではあるが、有限の時間を駆け抜けるのがまだ下手だということで、多めに見てもらいたい。
最後になるが、このテーマを今書ききらねばならなかった最大の理由が、2021年7月3日に開催される、RAY2周年ワンマンライブ「moment」の存在だ。

ここで「新メンバー・新体制・新衣装・新RAYロゴ」がお披露目される。「birth」や「ひかり」の映像が公開されているのは、この2周年ワンマンに向けた宣伝の一環でもある。RAYは加速する。白川さやかの卒業、三人での活動期間を経て、新たなステージが目前に見えてきた。ここしばらくの僕は、どこか感情が身体のスピードに追いついていない感覚があった。このズレを少しでも縮め、RAYが駆け抜けるスピードに追いつくため、僕は文を書くというやり方をとった。きっと、人それぞれに色んなやり方があるのだろう。そもそも、常に全力疾走をしないといけないわけでもない。そんなバラエティ豊かな人達の想いを背中で感じとりながら、RAYは走り続ける。時折振り向いて、何かを語り掛けてくれたりする。そして、その道に新しい人がやってくることを、常に楽しみに待っている。

「記念」するということは、これまでの道のりを振り返り、心を新たにするということだ。RAYはおそらく、今こそが振り返るための時間だとして、過去のライブ映像2本を期間限定公開している。それだけでなくとも、RAYのコンテンツの多くは基本的にアーカイブされている。少しRAYのことを知っている人、まだよく知らない人、誰に対しても、それぞれのスタート地点から振り返る道は用意されているし、今ならオマケもあるわけだ。是非とも、内山結愛、甲斐莉乃、白川さやか、月日、その四人のRAYが駆け抜けた軌跡を、多くの人に目にしてほしいと思う。恐らく、深くは知らないのに、ここまで興味を持って読んでくれた菩薩メンタルをお持ちのあなたになら、確実に楽しんで頂けるはずだ。

そして願わくば、2021年7月3日、白金高輪にて、新たなメンバーを歓迎し、RAYと共に走り出そう。

これまでの光に敬意を表し、これからの光に希望を抱きながら、新しい星を見つけよう。



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そして、白川さやかの未来に、「ひかり」があらんことを。

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