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クロスノエシス『circle』を聴く話[20220411_inside]

はじめに

これからはじまるのは、2022年4月11日の夜、クロスノエシスの1stフルアルバム『circle』をはじめて聴いたときの感想文である。

いくつか断りを入れておきたい。まずひとつは、これは丁寧に組み立てた「レビュー」とは性格が異なるということだ。公開までそれなりの時間をかけてしまったが、この文はできる限り当時の「体験」を再現するつもりで書いている。限られた時間内の限られた体験について、そのメモをもとに作られた「感想文」だ。読みやすく構成したり、精緻に理論を組み立てることに比重を置きすぎず、アルバムの流れに合わせて翻弄された感情の動きを再現することを重視したつもりだ。当然、翌日以降に知った情報は含まれないため、事実関係などに間違いが含まれている可能性がある。僕自身の考えも変化している可能性がある。そうした点はご容赦頂きたい。
そしてふたつに、この感想文は『circle』という1枚のアルバムについて、マジで最初から最後までを書いている。マジで全曲について書いている。特定の曲について読みたい場合は、適宜スクロールをしていただければと思う。関心のある部分まで早送りしていくのもよし、倍速再生でもスロー再生でも構わない。そして、もし『circle』を聴いたことがない状態でこの文を読み、興味が湧いたとしたら。すぐにこの文を読むのをやめて、各種配信サービスなどを使って『circle』を聴くことをオススメする。
最後に、この「クロスノエシス『circle』を聴く話」には副読本を用意している。2022年4月11日の夜から、僕が『circle』を聴く直前までの出来事が書かれている。興味がある方は、ぜひそちらも読んでみて頂ければと思う。

それでは、「クロスノエシス『circle』を聴く話」をはじめることにする。














01.翼より(intro)

カセットデッキの再生ボタンのような、メカニカルなスイッチ音。じわじわとテンポが上がっていく。
ブックレットには見開きで空の写真。分厚い雲の隙間から青空が覗き、そこからひと筋の光が差す。ページをめくり、左から右へ読み進める。その視線の流れに沿うように、光は左上から右下へ、見開きの両ページを貫く。右には『翼より』の歌詞が書かれている。


02.翼より

『翼より』は一年ちかく前からライブで披露されてきた曲だ。頭でスネアのような音が弾ける。ぐにゃぐにゃした不思議なエフェクトがかかっている。こんな音だっただろうか?と思うが、確認のしようはない。ポン、ポン、と優しく鳴る上物の音色に比べて、シンセベースの音はジリジリと激しく歪んでいる。空間を上方向に広げるだけでなく、どっしりと深く下方向にもその力が及んでいる。壮大なイメージの曲だ。
そしてその空間を貫いて届いてくるのが、5人の歌だ。伸びやかなロングトーン、細かく歌詞を刻むフレーズ、短い時間のなかで緩急をつけ、サビまで最短距離で突き進む。解放感のあるサビ、その歌は伸びやかにくっきりと届いてくる。『背負った十字架』という歌詞は、ちょうど一年くらい前、極めて個人的な感情と共に、僕の背中に刻まれた。
改めて歌詞を読みながら聴いていると、これは空にいる『僕』から十字架を背負う『君』へのメッセージと読めるだろうか。そのメッセージは『羽』に託されている。ブックレットの左のページから差す光の延長線上に、一枚の羽が描かれている。曲名は『翼より』。一枚の羽だけでは、翼にはなり得ない。それでも、飛び立つための翼をつくるには、一枚の羽が必要だ。『羽』という『単体』と、『翼』という『集合体』、この対比はアイドルグループのことを考えるときに浮かぶそれに似ている。『単体』であることと『集合体』であることの緊張関係は、長らく普遍的なテーマとして考えられ続けている。絶対的な答えなんて見当たらないのだが、この『翼より』の前半部分の歌詞に立ち戻ってみれば、そこには『君』という『単体』へのメッセージが記されている。強いて曲構成でいえば、AメロとBメロの部分。ポップスの方程式に従えば繰り返されるはずのメッセージは、たった一度しか歌われない。そこにどんなヒントを見出すか、そんな問いが提示されているように思えた。















03.shelter

トン、トン、と、タイトな打音が規則的に鳴りだす。『翼より』の広がりがある音像とは逆、中心点に凝縮されたような音に意識がひきつけられる。あまり詳しくないが、おそらく有名なRolandのドラムマシン『TR-808』系統のキック音だろうか。すこしずつシンセ音が足されていき、エレクトロミュージックのように展開していく。クロスノエシスの曲というと、より明瞭で近代的なデジタル感がある音のイメージを抱いていたため、すこし意外だった。やがて、音の隙間にすこしずつ幻想的な音が立ち上がってくる。らしさを感じる、霧のようなパッド系の音色。曲は馴染みのある雰囲気に展開していくが、それでもやはり『shelter』は新鮮さがある。
改めてブックレットに目を向ける。ページをひとつめくり、新たな見開きの左のページ。飛行機のそれのような、密閉性を感じる窓が左側に見える。そこから覗く風景は、窓の下まで水に浸かっている。水害の最中のような水面の向こうには高層ビルが立ち並び、その間には稲妻が迸っている。文字に目をやると、曲名のフォントは等間隔に並べられ、無機質な印象をうける。歌詞はわずか8行、4ブロック。4回歌われる『エマージェンシー』というフレーズ。エフェクトがかった歌声は漢字とカタカナで構成された歌詞に似合うように思う。
ついさっきまで広がっていた世界から、なにが起こったのか。水中に沈まんとする都市の風景は、数年前に大ヒットしたアニメ映画を彷彿とさせる。


04.デザイン

視線を見開きの右ページに移す。開いた扉の向こうに、コンクリートの部屋が広がっている。『shelter』の窓に背をむけるようにその部屋の中を見ると、そこには向こう側から光が差している。斜め向きに見える入り口、その空間の面に沿うように、『デザイン』の歌詞が斜めに浮かんでいる。
ディレイをかけた、符点8分で刻む歯切れのよいフレーズ。そこにぴったりとギターとベースが重なる。ワンコーラス終わるとバンド隊が現れる。キックを16分裏、スネアを8分裏にずらすなど、リズミカルなドラムパターンが心地よい。符点8分のキメを維持しつつ、適度に隙間を埋めるベースラインが美しく、聞き惚れてしまう。僕がずっと好きで憧れ続けている、ある種の「ロックバンド」たちの香りがした。
そんな郷愁にひたるうちに、曲はBメロを鮮やかに走り抜け、サビに突入する。Bメロ終わりのメロディの響きがおもしろく感じる。サビへ滑らかに繋がってはいるのだが、どこか突飛さがあるようだ。ポップスの方程式、ある意味では緩急の方程式において、サビという最重要局面に向かう部分についてはあらゆる研究がなされてきた。ジェットコースターを効果的に上昇させていく技術は、そうして発展してきた。しかし僕が『デザイン』のこの一瞬に感じたのは、ジェットコースターの上昇という「縦軸の緩急」とは異なる。同じ方向に進んでいたら無意識に最高速度に達していたというような、「横軸の緩急」だ。詳しく調べてみたら意外とあっけない仕組みかもしれないが、これは僕自身の好みを知るきっかけにもなる。と、そんなことを考えているうちにサビを駆け抜けてしまった。この駆け抜け具合も僕を惹きつけている。劇的な緩急ほど語りやすいぶん、その逆は難しい。僕の語彙力足らずである。
サビを突き抜けるとドラムが消え、遠くにギターとシンセ、環境音が鳴り響く、間奏のようなパートがはじまるが、なぜかベースがずれて聴こえる。この違和感はよく知っている。10年前から身体に馴染んでいる、いわゆる「7拍子」だ。この滑らかなズラしは、メインフレーズが符点8分=16分x3つという奇数のリズムで組み立てられていることにも関係している。細かい話は割愛するが、とりあえず7拍子で踊るのは楽しい、ということだけ伝えておく。
間奏があけると、Bメロに戻る。『ガラスに閉じ込めてしまえば 綺麗に見えるだろう』という銘文が飛び込んでくる。RISAさんの歌声に乗って、前半とリズムアレンジが変えられたオケに乗って、歌詞が飛び込んでくる。前後の文脈(=歌詞)からひき剥がしてみても、この文単体で、存在感があり、奥行きがある。そのうえで1サビ冒頭の『余白だけを残して』、2サビ冒頭の『言葉たちは飛び立つ』、これらの歌詞(=文脈)にひき戻してみれば、まるでこの感想を抱くことすらデザインされていたように思えてしまう。そんなふうに打ちひしがれているうちに2サビを駆け抜けてしまった。これもまた数分前と同じだ。
そして最後に、サビの構成にのせて、Cメロとでもいうべき歌が登場する。歌詞はもちろんなのだが、僕はここでもBメロ同様に、メロディの終わりに面白さを感じた。メロディの最終音を伸ばすのはよくあることだ。よくあるだけ、その最終音が与える印象は重要だ。大抵は最終音には落ち着きが求められ、選択肢は絞られていく。しかし『デザイン』の最終音には「落ち着き」ではなく、「投げっぱなし感」があるように感じた。この「投げっぱなし感」は、『このまま行こう』に象徴されるCメロの歌詞に共鳴するとも思える。『歌詞とは、音楽語の日本語への翻訳であり、優れた作詞家とは、優れた翻訳家である』。とある作詞についての本に書いてあったことを思い出した。
劇的な緩急ほど語りやすいぶん、その逆は難しい。『デザイン』は凄まじいスピードを維持しながら僕の脳を駆け抜け、「かかってこいや」と挑発してきたようだった。この挑発にはガンガンのっていきたい。なにせ、カッコいいもので。














05.skit#5

気を取り直してページをめくる。『shelter』と近い構図で、四角い窓から外を望む。穏やかな海と、その向こうに広がる山並み。空はきれいに晴れている。
鳥のさえずり、柔らかな音、どこかで聴いたことがある。この曲そのものだったか、それともフレーズやコード進行がどこかからの借用なのか。


06.awake

シングル収録され、MVにもなった曲。おそらく、アンセム的なポジションにある曲だ。冒頭から分厚く派手な音が続く。間奏では観客にハンズアップまで促す。ひとしきり煽っておきつつ、間奏後半ではしれっとバキバキなダンスに戻るのも、いとおかしきポイントだ。
その一方で、歌詞にはどこか「無常観」のようなものが漂っている。『awake』では『陽は昇る』と歌われている。「夜明け」というモチーフはポジティブなイメージで扱われることが多い。しかし、この曲がおおいに盛り上がるサビ終わりの歌詞は、『照らされる僕など 気にもせずまた昇る』だ。そもそも『陽“は”昇る』の時点で、どこか他人事のようでもある。そのぶん、『awake』で主人公が主語になっている歌詞には、強い「決意」が滲む。
僕は以前クロスノエシスについて、その世界観に魅力があるというようなことを書いた(※怪文書へのリンク)。例えば『夜明け』をどう描くのか、クロスノエシスにおける『太陽』と『月』はどのような関係で、どのような仕組みで『世界』に配置されているのか。箱庭を訪れてフィールドワークをするかのような、そんな感覚の話だ。ただ『awake』は、『照らされる僕など 気にもせずまた昇る』と歌ってのけている。なぜ陽が昇るのか、という『世界』の仕組みについての答えは、わからない。気にもしない。『awake』の主人公は、ただ『歩き出す』だけだ。この「決意」の原動力には、『不確かな夜』がある。こちらのことなど気にもしてくれない太陽は、夜を見えなくしてしまう。そんな『不確かな夜を抱きしめ』るのだ。太陽ではなく、自分を主語にして。
また、クロスノエシスの曲には『色』と『透明』の対比が頻繁に登場する。『awake』には『赤』が登場する。ブックレットは、左の『skit#5』のページを左右反転させたようなものになっている。しかし、窓の向こうの風景は白飛びしたかのように潰れ、どこか目元の形のような弧状の模様が浮かんでいる。そして部屋の中は、うっすら赤く色づいている。『circle』のブックレット構造は細かく計算されている。こうして、CDを聴きながらブックレットを読み進めるという体験、それは『circle』が届けようとしたもののひとつなのではないだろうか。














07.瞑

ページをめくり、僕はまた不意を突かれた。見開きの左ページには『瞑』のタイトルとクレジット、右ページには『瞑』の歌詞が書かれていた。背景は左ページが波打つ海面、それは右方向に徐々に引き延ばされていき、右ページはほぼノイズのように、横方向に引き延ばされた背景が広がっていた。見開きの左右に曲を配置して対比していく、それ一辺倒でいくわけないでしょう?と言われたようだ。まんまとやられた。
数時間前に渋谷で聴いて以来、改めて聴いてみると、イントロこそ大人しいものの、スクエアに刻むギターがかなり攻撃的で、キャッチーさだけでなく、クールさがバランスよく同居している。MV化する曲と考えるとすこし大人しいかとも思ったが、MVなら振付も合わせて公開できる。『瞑』の振付にはひと目で印象に残る特徴的な場面が用意されているので、MV化もなるほど、と思える。
また、冒頭の歌詞に『すべて見えた気がして なにも見えてない なんで』という一節があるのだが、ほんとうにそのとおりだなと、この曲の後半で痛感した。日頃、視覚と聴覚を信じすぎていないだろうか?















08.skit#6

ページをめくる。高圧線が架かる鉄塔を見上げる写真。空は分厚い雲が覆っている。
室外機か換気扇かの駆動音、車が通り過ぎる音が聴こえる。なんとなく、夜風を感じた。


09.moon light

『skit#6』の隣のページ。左右反転した鉄塔が空に伸びる。空には大きな月が浮かんでいた。
『moon light』は3rdワンマンライブ『Space』開催後にシングル化された曲だ。前述した『awake』はこの次に発売された。それぞれのカップリング曲は『幻光』の欠片でもあり、この2枚のシングルリリースは、4thワンマンライブ『 blank 』へと繋がるコンセプチュアルな要素を多分に含んでいた。
一方で、『moon light』自体は風変わりな曲だ。まず冒頭から鳴っている半音上下が特徴的なリフだが、これは曲が終わるまでほぼずっと鳴り続ける。そもそも半音上下というフレージング自体が怪しい印象を与えるものだ。耳に残らないわけがない。歌詞も風変わりだ。三度訪れるサビの歌い出しはすべて『君のために戦う』という火の玉ストレートだ。1stミニアルバム『chronicle』を思い返してみる。『手招くのは切り離された金世界(cross)』、『途絶えることのない営みをつなぐ呪い(残夜)』、『六道輪廻(薄明)』。そもそもが変化球すぎるといえばそうだし、この後発表された『MY LAST DANCE』や『VOICE』などの曲を参照すれば、徐々に平易な言葉が増えていることはわかる。とはいえ、一曲を通してここまで直接的な表現を貫いたことに、発表当時はかなり驚いた。念のため言うと、僕は例示した『chronicle』の曲たちも好きだし、むしろ好んで悪球打ちするタイプだ。そのぶん、『moon light』の火の玉ストレートが飛んできたとき、どう打てばよいのかわからなかったのだ。
いまは少し事情が変わった。ここまで『circle』を聴きながら、『君』と『僕』、『太陽』と『月』、『朝』と『夜』といったモチーフを考えてきた。これらは、直近の4thワンマンライブ『 blank 』はもちろん、それ以前から提示されて続けてきたものだ。クロスノエシスは2019年に活動をはじめ、間もなく3周年を迎える。色んなことがあった。こんな一言で済ますわけにはいかないのだが、それ以外の方法もまだ見つからない。しかしこの3年で、僕はストレートも捉えることができるようになった。なかなかヒットは打てないが、いつの日か見事なホームランで打ち返してやりたい。『moon light』はこれからも、大事な曲であり続ける。














10.ark

ページをめくる。アルバムの曲順は事前にわかっていたうえ、『ark』はプレリリースディスクでもMVでも先行公開されていた。『moon light』の次に『ark』があることはわかっていた。わかっていたのに、すこしため息がでた。ブックレットには夜の海が描かれていた。夜空にはさっき見た月が、小さく浮かんでいる。水平線のあたりに、なにかが浮かんでいるようだった。
『ark』はクロスノエシス史上、最も暗く重たい曲だろう。のっぺりと鳴る電子音。サビではインダストリアルミュージックのようなツギハギされたノイズが鳴りはじめる。メンバーそれぞれが成長し手にした、伸びやかで情感のこもった歌声。それが不穏なコード進行と無機質なノイズと混ざり合い、ぐちゃぐちゃになる。『宝物だけを宇宙船にのせて飛び立った』、『僕は遠くへ 25号機を捨てて』、『26個目の惑星を探し求めてる』。詳しくないのでわからないが、なにかしらのSF作品を参照しているかのような歌詞だ。ゲームかなにかで得た知識だが、『ノアの箱舟』は英語で『Noah’s Ark』と呼ぶ。宝物をのせる宇宙船の例えにはピッタリだ。ぼんやりとイメージは湧くが、たぶん明るいだけの話ではない。そして、この曲のなかで『25号機』は打ち捨てられている。さっきまで『moon light』で火の玉ストレートがどうのと言っていたとは思えないテンションだ。念のため言うと、『ark』はめちゃくちゃカッケェと思っている。是非ともライブで、バチバチの照明やゴリゴリのVJとブンブンに唸るウーファーとともに聴いてほしい曲だ。自信をもってオススメする。


11.skit#1

『ark』と同じ海。チラッと見えてはいた。打ち捨てられた宇宙船が海に浮かんでいる。ご丁寧に、『skit#1』のタイトル標記は、『ark』のそれとフォントが揃えられている(触れてこなかったが、見開きのフォント揃えは、これまでのページでも行われていた)。
耳障りなノイズが鳴っている。ハムノイズのような低音から、金属的な高音も。やがて、壊れた交信装置越しのような、ノイズまみれでまともに聴き取れない声が聴こえる。


ここで改めて、『skit』について書く。クロスノエシスにおける『skit』は、大雑把に言うと、短めのインスト曲の総称だといえる。『chronicle』には文字通り『skit』というタイトルのインスト曲が収録されており、これは開演SEとしても頻繁に使用されていた。開演SEにはこだわりがあるようで、新曲を発表するたび、それに対応したSEが新たに用意され、開演を彩ってきた。そのうち、新曲との対応関係を逆手にとり、SEをまるごと転調させて別の曲に繋ぐといったこともしていた。プロデューサーsayshine氏の音楽性と遊び心が発揮される場であると同時に、クロスノエシスの世界観を演出する武器でもある。長尺のワンマンライブでは曲間の演出にも使われる。前述したとおり、アルバムの曲順は事前に発表されていた。複数の『skit』が収録されているとわかったファンは、どのインスト曲がどの『skit』なのか?と想像したことだろう。
そして、ほとんどの人が引っかかったであろう『skit』の番号について。収録順に抜き出してみると、『#5→6→1→3→4』と5つ並んでいる。明確なツッコミどころがふたつある。まず何故『#1』から順番じゃないんだ、という点。そして何故『#2』がないんだ、という点。この疑問を抱えながら『circle』を聴いた人は多いだろうし、それぞれに考えがあるはずだ。そのなかのひとつとして、この『skit#1』を聴いた時点までの僕の考えも書いておく。
まず、順番がおかしいという点について。これは4thワンマンライブ『 blank 』にも関連することだが、曲順という直線的な流れをあえてずらすことで、そのアルバムという単位をループさせることを意識づける効果が見込める。「最初の曲ではじまり、最後の曲で終わる」という、当たり前の感覚をズラすことで、逆説的にアルバムという単位を意識させることができる。例えるなら現代アート的な考えかもしれない。そして意地悪く言えば、もはやそうしたアプローチすら「あるある」になってしまい、ストリーミングとレコメンドに支配された現代においては、もはや有効打にはならないような気もする。ただ、CD世代の末裔のひとりとして、CDのロマンを消さないためにも、こうしたアプローチを評価したいとも思う。細かくは割愛するが、CDというメディアは、かなり中途半端なモノだ。CDが音楽に与えた影響もまた、複雑で評価しにくい。だからこそいち末裔としては、消してなるものか!と感じるのだと思う。僕は『circle』というCDを手に取るべくして手に取ったと思っている。メディア論めいた話になってきたが、日頃こういう無駄なことばかり考えているので、ご容赦いただきたい。とにかく、アルバムというパッケージを意識させ、曲順を意識させ、そこから思考を促す、そんな狙いがあったのではないか、と考えている。
次に、何故『skit#2』がないのかという点だ。ここまでの曲の情報と、曲順から予想をたてる。『ark』では『25号機』が打ち捨てられた。だが『25号機』もまた、かつてどこかから『宝物』を運んできたはずだ。この次に控えている曲は『VISION』だ。5人体制ではじめてリリースされたCD『CONSTRUCTION』から収録された唯一の曲だ。その前に位置する物語は自然と思いつく。『chronicle』だ。シンプルすぎて、間違っている気がしてくる。
『chronicle』もまたおもしろい作品で、それ自体がひとつ完結しているようでもあり、うがった見方をすれば、未完のままともいえる。『chronicle』には『skit』と題された曲が収録されている。『skit#1』と『VISION』の間に『chronicle』を位置づけ、そのなかにある『skit』に『#2』の番号を与える。しっくりくる。しっくりくるので、やはり疑わしい。再考の余地がある。もし気付いたことがあれば、現在の僕にこっそり教えてくれるとありがたい。そろそろ『skit#1』が終わる。















12.VISION

ページをめくる。光に向けて伸びる手。太陽だろうか。中心からすこしずれたところにある円形を見ると、日食がはじまったところにも見える。円形に広がる光芒を遠目に見てみると、巨大な人の眼にも見える。歌詞が途中まで右揃えで配置されている。落ちサビからは左揃え。不思議な配置だ。これは気にし過ぎかもしれないが、左揃えの文字色にムラがあるように見える。そもそも文字サイズが小さいうえに細身のフォントが使われているため、印刷の都合上そうしたムラが出ることもあるだろう。気にし過ぎだ。きっと。
『VISION』はMV化されただけあり、イントロの勢いそのままハイテンポで駆け抜ける代表曲のひとつだ。シンセがふんだんに使われており、中低域ではジリジリとエッジが立った音、高音域では角をとりつつもピコピコ感がある音と、音色ごとにきれいに整理されている。各音色は単純なパターンを繰り返すが、複数のパターンがそれぞれの隙間を埋めていくことで、曲全体に立体感が生まれる。ダンサブルな雰囲気を生みだす、これぞ、というアプローチだ。そうした立体的なオケの中に芯を通すように、サビのメロディは四つ打ちのリズムに綺麗に乗る。そのくせ、間奏ではひねくれたタイミングでキックを鳴らし、メンバーもバシッとそのキックに合わせて踊る。それもひっくるめて、クロスノエシスらしい曲だ。


13.幻光

ページの中央にぽつんと、右上に向けて伸びる手が見える。肘より前は闇のなかだ。
『幻光』はかつて、『光芒』と『幻日』という2つの曲に分割された。それぞれが『moon light』と『awake』の各シングルにカップリング曲として収録され、『幻光』という存在が明かされるよりも先に世に出た。シングルのリリース後、『光芒』と『幻日』がリミックスされた演目が披露され、両曲の関係性が示唆されたのだが、その時点ではまだ『幻光』という曲の姿をとっていなかった。『幻光』が披露されたのは4thワンマンライブ『 blank 』、このときはじめて『幻光』は本来の姿を取り戻した。もともと別個だった存在が融合したのではなく、本来ひとつの存在だったものが分かたれ、再びひとつに戻った、といったストーリーも明かされた。こうしたギミックが作曲、作詞、振付といった各要素に共有され、ひとつの曲として成立している。聴きごたえ抜群だ。
ただ、『circle』にパッケージされるまでどこか断定しきれない感覚もあった。ライブでは何度も披露されていたが、ライブはCDのように記録されないし、ブックレットがついているわけでもない。曲も歌詞も振付も、そのライブを見た僕の五感で記憶できる限りのものでしかあり得なかった。今回パッケージされたことによって、僕の記憶を引っ張り出して、突き合わせて、再構築することができる。何より気になっていたのは、最後の歌詞についてだ。『僕たちが生きる世界をつくるから』、記憶の限りではそう歌っていたのだが、その記憶は正確だったようだ。
繰り返しになるが、以前僕はクロスノエシスについて、その世界観に魅力があるというようなことを書いた(※怪文書へのリンク)。このイメージに対して、『幻光』の最後の歌詞は一石を投じてきた。以前の僕がいうところの「クロスノエシス」とは、「世界」であり「箱庭」だった。ではメンバーの位置づけはどうなっていたのか。改めて書くと、メンバーは「世界」のなかの「登場人物」であり、その「世界」についてよく知っているからこそ、「語り部」として僕たちに「クロスノエシス」のことを教えてくれている、そんな位置づけだった。この考え方に拒否感を覚える人もいるだろう。「クロスノエシス」を「世界」として大上段におくことは、同時にメンバーたちを「登場人物」として「世界」から引き摺り降ろしてしまう。もちろん「語り部」たり得る程に「世界」のことを知っている特別な人たちなのだが、「世界」のなかにいるという点でいえば、僕らと同じ階層に属していることになる。そんな感覚でいた僕にとって、『僕たちが生きる世界をつくるから』というメッセージは、遥か上の階層から響いてくるものだった。いまブックレットを読み、後に控える『リンカーネイション』と『逆光』のことを思うと、どうやら僕は再構築すべき時を迎えているようだと、変に納得してしまう。
前述の話はおそらく、「『アイドル』とはなにか」という巨大な話に繋ぐことができる。これについて、僕は知らないことが多すぎる。ただ、代わりといってはなんだが、この約4年間生きてきた僕が抱いてきた感覚なら、ある程度は知っている。この文も、その断片のひとつだ。いつかまた『幻光』とこの文に戻り、なにかを作り出すかもしれない。














14.リンカーネイション

ページをめくる。その下にある『VISION』のページと同じ手が描かれている。中央にタイトルとクレジットが置かれ、円を描くように歌詞が並ぶ。万華鏡を通したような景色は、青と緑が混じった微妙な色合いで、その中心に赤い宝石のようなものが見える。
『リンカーネイション』はプレリリースディスクとしても発売され、既にライブでも披露されている。英単語でいえば「輪廻」や「生まれ変わり」といった意味をもつ。クロスノエシスにはすでに『インカーネイション』という代表曲がある。こちらは「化身」や「顕現」というような意味がある。近しい関係の言葉をタイトルに冠した両曲、どうしても対比する構えをとってしまう。
ただ、曲としてはそこまで似通っていないように聴こえる。『インカーネイション』は『VISION』や『awake』のような、ソリッドで派手な盛り上げ役の曲だ。一方この『リンカーネイション』は、ずっしりとしたリズム、分厚いシンセ音、どこか憂いのある歌声、それらが教会の中のような深いリバーブに包まれ、荘厳な雰囲気ではじまる。歌詞は序盤から『これがもう最後なんだと 日々を弔う』と歌い、サビでは『なにも無くて なにも無いの』と高らかに歌い上げる。美しい音像だからこそ、諦めのような無常観が際立つ。それこそ「輪廻」の話だ。
と感じさせつつ、いざ1サビが終わると印象が変わるのが『リンカーネイション』という曲の面白さだ。キックは四つ打ちでリズムを刻み出し、分厚い壁のように鳴り続けていたシンセは休符を増やし、その背後に隠れていたチェンバロのような音色が奏でるフレーズが聴こえてくる。どこか野性的なイメージが湧いてくる。ちなみにこの部分の振付は、まるでどこかの部族の儀式のようだ。やがてほぼ同じメロディの2サビが訪れるのだが、聞こえ方は1サビのそれとは異なる。3分36秒という長くはない時間、速くはないテンポ、シンプルな構成。それゆえに編曲の妙や、一言ずつの印象や、歌割毎の表情などが浮かび上がってくる。余白を感じるが、そこに無駄はない。これが『なにも無くて なにも無いの』という歌詞につながる、のかもしれない。あまり自信を持った考えが浮かんでこない。『リンカーネイション』が与える壮大なイメージは、この曲の歌詞世界や、『circle』というアルバムの世界や、その更に外側の世界にまで、思考を拡散させてしまう。僕の処理能力では及ばない。ロマンがある話だと思う。ロマンなるものがどういうものかは知らないが、たぶんこの表現が近しいと思うので、そういうことにしておく。
『リンカーネイション』が好きすぎて、『インカーネイション』との対比という視点が弱くなってしまった。とはいえ、曲としての要素は並べられた気がするので、それをもとに各自対比して頂ければと思う。そして対比として本腰を入れるべきは歌詞だとも思うのだが、残念ながら僕の処理能力は終わってしまっている。ざっくりと、『幻光』のときに書いたこととも絡めて表すなら、『インカーネイション』が個人の誕生の曲だとしたら、『リンカーネイション』は世界の誕生の曲であり、これらはおそらく、連続している。いろんな根幹に繋げられる話だと思うものの、そろそろ次の曲になる。最後に駆け込みで言っておく。『リンカーネイション』、めっちゃ好き。


15.逆光

『逆光』はプレリリースディスク収録曲のなかで最も好きだった曲だ。アルバム収録にあたり、どう仕上げられるのか楽しみにしていた。まず一聴してわかるのは、ベースが録り直されていることだ。音色はもちろん、フレーズが大幅に変わっている。『awake』なども担当してくれたベーシストさんに依頼したのだろうか。プレリリースディスクの淡々としたそれとは異なる、起伏のあるベースラインが曲の印象を変化させていた。もちろん、ボーカルも細かく調整がなされている。まるではじめて聴くかのような気分だ。これだから音楽は面白い。

すこしプレリリースディスクを聴いたときに時間を移しつつ書く。なぜ『逆光』が好きなのか。その理由のひとつは、曲構成の面白さだ。イントロがしれっと6/8拍子ではじまり、スローダウンしたと思うとしれっと4/4拍子になっている。Aメロが終わり、なるほどふた回し目がくるのかと思ったら、ギターソロがはじまる。混乱しているうちに歌が戻ってくるのだが、Aメロのそれとは違うし、サビというにはやや大人しい。というかその裏でずっとギターソロが続いている。もはやそれはソロなのか?あと、ずっとセンターで鳴っているガシャガシャしたノイズ、お前は何者だ。そんな風にツッコミを入れている僕に歌が届く。『すべてを背負い踊る 世界を作ろう』。これはプレリリースディスクを聴いたときの話だ。かつて『幻光』で感じた驚きは、このとき『逆光』で再燃し、また翌月に『リンカーネイション』で燃え上がることになる。そんなメラメラ状態を維持しながら、僕は『circle』を聴くことになったのだ。

再び時間を『circle』を聴いているときに戻す。曲の印象は変わったが、構成や歌詞に大きくメスが入ったわけではないようだ。そうなると、『逆光』単体というよりも、『circle』のなかに配置されている『逆光』はどんな意味をもつのか、意識はそこに向かう。そこに差し出される新要素は、ブックレットだ。暗い空間に今時珍しいブラウン管テレビが置かれている。映し出されているのは、斜め右上に伸びる手。『幻光』のページのそれだ。直前の『リンカーネイション』が、それに重なる『VISION』に対応したのと同じだ。『幻光』は重なっている『逆光』と、すでに対応していたのだ。このブックレットは、見開きの平面ではすまない、立体的で奥行きがあるモノとして存在感を放っている。その立体的な位置関係によって『逆光』と『幻光』を接続し、『光芒』と『幻日』まで意識をつなぐ。情報量が多い。そして『逆光』の歌詞は読みにくい。それは視覚的に文字色が背景に埋もれているという意味でもそうだし、内容としてもなかなかつかみきれない。プレリリースディスクを聴きながら文字起こしまでしていたというのに。未熟さを噛みしめつつ、素直に『逆光』のかっこよさに溺れることにした。『逆光』は未だライブで披露されていない。きっと披露されたときに、またすこしなにかがわかっていくだろう。














16.skit#3

ページをめくる。白黒のコントラストが強烈な、水しぶきのような背景。白抜きの『skit#3』という文字が、背景の水しぶきの白に混ざってしまっている。右側の『nursery』のページはもう少し穏やかな水面になっている。『瞑』の見開きと左右が逆になったような雰囲気だ。
その荒々しいビジュアルとは裏腹に、音はひたすらに陰鬱だ。


17.nursery

最初、拍がとれなかった。それはあまりにも「らしくない」カラッとしたエレキギターの音に驚いたからかもしれない。歌がはじまっても、まだ拍がとれない。それはあまりにも「らしくない」起伏と音数のメロディと、『いつか飲んだ種の味』という強烈な歌詞に驚いたからかもしれない。ドラムが入って、ようやく3/4拍子だということに気付いた。3拍子のリズムはワルツにも使われる。その優雅なイメージはこの曲にピッタリだ。再び歌がはじまる。冒頭に負けず劣らず「らしくない」起伏と音数のメロディだ。ただ、そこに乗る歌詞は『朽ちてくからだ溶けて沈む』という、強すぎる「らしさ」が感じられるものだ。
『nursery』という単語には色々な意味がある。「子供部屋」や「保育園」というものから、「苗床」や「温床」まで。クロスノエシスの曲には「生命」を連想させるモチーフが多く登場するが、それらは美しく綺麗な言葉で装飾されるばかりではなかった。生々しく、どこかグロテスクな、その姿を隠さず示すこと、それを美徳としているようにも感じていた。この『nursery』という曲には、そんな美徳が、美しく装飾され、グロテスクに立ち表れている。
ざっくりと『nursery』を「オケ」と「歌詞」のふたつに分けてみる。この「オケ」は、あまりにも美しすぎる。冒頭に「らしくない」と書いたが、3拍子の優雅なリズム、キラキラとしたギター、オクターブ上まで動き回るベース、サビ頭に上昇フレーズで入ってくるストリングス、どこの国民的グループかと思うような、とんでもなく綺麗な「オケ」だ。では「歌詞」はどうだろうか。『次の奇跡を孕みながら』、『自我の終わり 君の胎動』、『僕の肉が土になるころ』、『きみが宿るいのちの苗床』、どこのダークポップダンスアイドルユニットかと思うような、とんでもなく生々しい「歌詞」だ。ざっくり、とはいったが、なかなかしっかりしている気もしてきた。
『nursery』はわかりやすく、いびつな曲だ。それでもこの曲は、『クロスノエシス』の『circle』のなかで成り立つ。その理由のひとつは、5人の歌に見出せる。「らしくない」起伏と音数のメロディと書いたが、これは裏返せば、ポップスの方程式に沿ったメロディだとも言える。方程式、言い換えれば「王道」。ときに否定的な意味でも使われる表現だ。しかしよく考えてみれば、「王道」を肯定的に実践することは、まさしくプロフェッショナルの仕事の領域だ。『nursery』を聴いてすぐに、「らしくない」とは思ったが、「変だ」とは思わなかった。5人は「王道」な曲を見事に表現していた。これは歌唱という技術面での、明確な成長の結果だろう。
そして同時に、クロスノエシスだからこそ、「王道」のメロディにあの「歌詞」を乗せることができる。これは長らく「歌詞」と共に世界観を貫いてきたからこそできることであり、もっとも特別なことだ。「生命」というモチーフはそもそも普遍的なものだ。普遍的だからこそ、ちょっとグロテスクだったりするネガティブな側面を表現することは、やんわりと避けられてきた。このやんわりとした力はときに逆方向に作用し、ネガティブな側面を表現することと、「王道」から外れることを、セットにしてしまう。「メジャー/マイナー」のような対立軸を長らく維持してきたのも、こうしたやんわりとした力かもしれない。そのなかで、クロスノエシスは『nursery』を完成させた。「王道」から外れて見えてしまうような世界観を、そのまま「王道」のような曲に乗せてみせた。「マイナー」に追いやられそうになる表現を、「メジャー」な曲にのせて、その普遍性を再生させてみせた。これは単なる技術面の成長とは異なる次元の話だろう。約3年にわたるクロスノエシスの活動、それがあったことではじめて成立する奇跡だ。仰々しいかもしれないが、僕はこう表現するしかないし、こう表現したい。















18.skit#4

ページをめくる。真っ白なページの真ん中に「skit#4」とだけ書かれている。
柔らかいシンセ音のフレーズと、環境音が混ざり合う。太鼓の音が入ってくる。低いバスドラムのような音と、軽快なボンゴのような音。鉄琴もメロディを奏でている。ゆったりとした4/4拍子のなかで、ボンゴだけがずっと3連符でリズムを刻み続けている。淡く優しいエレクトロニカのような雰囲気だというのに、リズムアプローチにはヒップホップ的な要素が混ぜ込まれている。
ちらっと見えたが、次のページは、真っ白だった。


19.トラック19


20.トラック20


21.トラック21


22.トラック22


23.トラック23


24.トラック24


25.トラック25


26.トラック26


27.トラック27


28.トラック28


29.トラック29


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31.トラック31


32.トラック32


33.トラック33


34.トラック34


35.トラック35


36.トラック36


37.トラック37


38.トラック38


39.トラック39


40.トラック40


41.トラック41


42.トラック42


43.トラック43

33秒x25トラックの無音が続く。
表も裏も真っ白なページに指をかけ、何度も行き来しながら、『Space』から『 blank 』までのことを考えていた。


44.トラック44

44秒のトラック。室外機が動いているような、屋外のような環境音が鳴っている。唐突に雨が降りはじめたような音がして、終わった。
最後の白いページには、淡いグレーの文字で、クレジットが載っていた。

そういえば、このアルバムのはじまりは空だった。
空から、光とともに、羽が贈られた。

そういえば、なにも空からの贈り物は光や羽だけじゃない。
恵みの雨、なんて言葉があった。

そういえば、雨が降ったときの匂いを『ペトリコール』と呼ぶらしい。

土から芽生えた、とある大文字の希望のことを想った。








おわりに

以上が、2022年4月11日の夜、クロスノエシスの1stフルアルバム『circle』をはじめて聴いたときの感想文である。長い。大袈裟だ。見当違いだ。そのとおりだ。この文は、「このアルバム聴いた!めっちゃ良かったよ!」という普遍的な話だ。それを野暮ったく、カッコ悪く、めんどくさく書くという、なにかに対する、僕なりの抵抗だからだ。怪文書で構わない。これが僕の戦い方なのだから。

対戦ありがとうございました。