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月記(2022.11)

11月のはなし。

追い詰められが発生している。






§.読書日記(11月12日)

久しぶりに動物園に行くことになった。その理由は、とあるアイドルグループのオフ会イベントを兼ねていたからである。

せっかくなので、しっかりめのカメラを持って行った。そもそもカメラを買った理由は、とあるアイドルグループを少しでも高画質で撮影したいと思ったからである。

久しぶりに撮った動物たちの写真をいくつか載せておく。


ここから『上』を目指すふたり


すばやさエグすぎ


なにかすごいことが起こっている、のかもしれない


あったけぇ壁


『対のような部屋で、涙を落とす』


このイベントは動物園を散策した後、貸し切りのカフェ的なスペースに移動し、それぞれが動物園で見たものにちなんだ絵を描き、それをアイドルさんたちにベタ褒めしてもらうという、自己肯定感ブースト系イベントだった。僕は先に載せた、対のような部屋を隔てて向き合うペンギンたちを描いた。無事ベタ褒めされた。

僕はペンギンが好きだ。小屋から出てこないペンギンを見て「やっぱり寒いところが…」的なことを言われると「フンボルトペンギンは南米のそこそこ温かい地域にいる種だから、気温というより単純に眠いのかもしれない。でも、眠そうなのもかわいいね…」というキモオタツイートの下書きが脳内に生成される。どの種かわからないペンギンモチーフのキャラクターを見ると「アイデンティティを!確立せい!!!!」という感情が湧きあがったりもする。ただ結局のところ、かわいければ最高だというのもまた真理である。「輪るピングドラム」のあいつらなんかはとくに素晴らしい。ちなみに「ピンドラ」で象徴的に登場するサンシャイン水族館のペンギンは、ケープペンギンというアフリカ南部にいる種である。

話をイベントに戻す。スペースに移動してから絵を描きはじめるまで、しばらくの待ち時間があった。何を描こうか考える時間にあててもよかったのかもしれないが、僕はペンギンを描くと最初から決めていたので、おとなしくスマートフォンで本を読むことにした。スペースにはメンバーたちもいて、大きなテーブルを囲んで、備え付けの漫画やアナログゲームなどを見ているようだった。僕が座った席は窓向きのカウンター席で、彼女たちの声は背中越しに聞こえてきた。僕の目は本を読んでいるので、声は聞こえていても、その話の中身は入ってこない。声のトーン、掛け合いのリズム。それぞれが『音』として重なり、まるで『音楽』のように聞こえてきた。BGMにしては贅沢すぎる。とはいえ、ライブステージに向かうようにレスポンスを送るような場ではない。背中越しの不思議な距離感は、絶妙なバランスで成り立っていて、わりと心地よくもあった。秋の昼下がりの空気も手伝って、この時間が止まり続ければいい、とすら思えた。

「今だけを抱きしめるって、めっちゃムズくないっすか!?」と、いつかの新宿で発した言葉をときおり思い出す。ムズいのだ、『今』というやつを捉えることは。贅沢なBGMは切り替わり、待ち時間は終わる。久しぶりに手にした色鉛筆を紙に滑らせてみる。すこし力を入れてみる。線が濃くなりすぎる。今度は薄すぎる。線が歪む。

今になって思い返してみると、いつの間にか色鉛筆と戦う『今』に捕らわれていたようだ。やはり、ムズいのだ。




§.区切るな

どうやら想像以上にわがままな人に出会ってしまっていたらしい。

僕は引きずり続けている。日景久人もここまで引きずるつもりはなかったし、中の人をここまで引きずり出すつもりもなかった。とはいえ、一度引きずってしまったものは仕方がない。

行き過ぎた謙遜はときに失礼にあたる、と学んだはずだったのだが、悪癖は簡単に抜けてくれない。できるのなら、感謝の言葉には真っすぐ感謝で返したほうがいい。一言ごとに悩んで一喜一憂して、こんなタイパが悪いプレースタイルは流行らないのだろうが、癖は簡単に抜けてくれない。いちいち泣いて笑って、感動していくスタイル。なんだか似たことを言っていた気がする。そういう人がいてもいいじゃない。人生初見プレイなんだもの。

そんなこんなで。内山結愛さん、ありがとうございました。




§.AME TO EBISU

会場につくと、聴いたことがある音楽が流れていた。ミニマルなインストゥルメンタル・ミュージック。以前流れていたときは、トラック全体に空間系のエフェクトがかかっていた憶えがある。このときのそれは、本当に、いくつもの開演前に、何度も聴いたものだったはずだ。検証のしようはない。特段するつもりもない。

はじめて「syukufuku」を聴いたときから、「君に届かないでいい その方が綺麗なままでいるから」という歌詞が耳に残っていた。その気になればだいたいの物事は届けることができてしまう、そんな時代にあえて『届けない』という美学を見出す。そのように聴いていた。

この日の僕には、『届けない』ではない、『届けようがない』という現実が見えた。あえて、という次元の話ではない。美学的でもなんでもない、無情な景色だ。そして一瞬の戸惑いの後、この曲の題名が「syukufuku」であることの色合いが変わって見えた。

この世は無常。ゆえに、届かないでいい。「型破り」と「形無し」は違う、という話もある。形式上は届いていても、そのメッセージが届いていることの保証はどこにもない。その視点に立つことができれば、『届けようがない』現実のなかにも、きっと綺麗な景色を見出すことができる。ILIEの音楽とは、そのためのおまじないだったのかもしれない。頑なに逆張りを続けるのではなく、盤面を軽やかに裏返してしまうかのように、しなやかな一歩を踏み出すために。

そんな音楽を、誰よりも軽やかに奏でてきた人たちがいる。誰よりもしなやかに歌ってきた人がいる。会場を後にしてから、僕の歩き方はきっと、少しずつ変わってしまっている。きっと、そのままでいい。






●今月のプレイリスト


●今月あたらしく知った音楽


●今月なつかしんだ音楽


〔付録〕現実逃避の記録

ch1:Casino Coupe(セミアコギター)
→BOSS SY-1(ギターシンセサイザー)
→MASF Pedals RAPTIO(グリッチディレイ)
→MASF Pedals POSSESED(ランダムディレイ)
※通常通りギターのアウトプットから出力。シンセサイザーはうっすらかかる程度。ランダムディレイも控え目。グリッチディレイはとにかく踏む。

ch2:コンタクトマイク
→BOSS DD-8(ディレイ)
→BOSS MT-2(メタルゾーン)
※ギターのボディにマイクを貼りつけて収音。ディレイはリピートMAXで発振状態にしておく。メタルゾーンで全体的な音作りをし、ホワイトノイズ風の音に加工する。

ch3:ダイナミックマイク
※部屋の床に転がしておくだけ。おそらく、ギターの生音を拾っている。

※終盤はギターを放って、グリッチディレイを踏みっぱなしにしてch1から音を出し続ける。ch2の音量をメタルゾーンでコントロールしながら、ディレイタイムを変化させる。最後にミキサーからジャックを引っこ抜いたらいい音が出た。

※DAWでステレオイメージャーやリバーブをガッツリかけて終了。