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「褒める」から「認める」へ。生涯続く学びのモチベーションを得るのに必要なこと。

うだるような暑さが続いて、日中は仕事の能率が上がらない状態になっているこの頃です。

所属する英語スピーチクラブのトーストマスターズでは、この時期「役員研修会」が地方ごとに開催され、自分のクラブを運営するのに必要なことを学ぶとともに、他のクラブの方との親睦を深める機会にもなってます。ところが今年はコロナ禍ですから、研修は全てオンラインでの実施で、残念ながら直に他クラブの方とふれあう機会はなくなりました。そうは言っても、鳥取のように地方にポツンと1クラブだけあるような地理的状況では、オンラインといえどこのような機会が与えられる事は大変ありがたいと同時に、交通費等の負担も軽減されるので、一長一短ではあるなと思っています。

今年度、若輩者かつ頼りない性分でありながら会長という役割を担うことになった私には、事前の課題として「クラブの目標とそれに向けた具体的な行動を考える」ことが課せられています。自分の力だけでは難しいため、クラブの皆さんのお力にも頼りつつ課題をこなしております。

そもそもトーストマスターズが「学ぶこと」を目的として集まっている団体である以上、年度を問わず会長として求められるのは「会員が学びやすい環境を整えること」になってくるのかなと思っています。トーストマスターズは18歳以上であれば誰でも会員になれますし、一定の要件を満たしたら「卒業」なんていう制度はありません。学びに終わりなどないのがトーストマスターズです。これからの時代は、「人生100年時代」とも言われますから、長い人生という大海原を上手に舵取りして航海するためには、生涯学び続けるということが求められると言っても良いのではないかと思います。つまり、学校→労働→引退という従来の人生設計からシフトしつつあるというわけです。現に、知人にも「早めにリタイアして起業する」とか「計画的に転職と通学を繰り返す」などの人生設計を勧めている人が割といる気がします。

ただ、私もそうでしたけど「卒業」のような目に見える終わりがあるから勉強を頑張れたのであって、大学入試に向けた受験勉強のような「ハードなお勉強」を生涯続けろと言われたら、絶望しか抱けない方もいるでしょう。そういうのがお好きな方も一定数いらっしゃるでしょうから、全否定しませんが。
ただ、これまでの「ハードなお勉強」のような長続きしない方法から脱却して「生涯続く学び」を実践するには、それだけの動機づけが必要だと私は思うのです。そういうモチベーションって、どこからやってくるのでしょう?

トーストマスターズは、生涯学び続けるモチベーションについて1つの答えを提示しています。それは「褒める」のではなく「認める」スタンスを取ることです。
そもそも「褒める」とは、「誰かの行為等を優れていると評価し、述べること」というのが辞書的な定義ですが、心なしか「上下関係」が垣間見えるのは気のせいでしょうか。先生が生徒を褒めても、生徒が先生を褒めるという言い方はしっくりこない気がします。褒めるという言葉の裏には、「上のものが下のものの行為等を優れているかどうか評価する」というプロセスが入ってくると思うのです。
トーストマスターズには、先生がいません。それに、クラブの会長が私のような若輩者で、会員の皆さんには私の倍以上のトーストマスターズ活動歴を持つ方もたくさんおられます。どうして、私のような者が会員の皆さんを「褒める」ことができますでしょうか?はっきり言って「生意気」ですよ(^^;;
そこで、というわけでもないですが、トーストマスターズの評価はいつも「認める」なのです。優れているかどうかはさておき、行為自体を「認める」のであれば、上下など気にする必要はありません。その人が何をやったかにフォーカスし、やったことが優れているかどうかの判断は切り離しているわけです。

この「認める」スタンスは、モチベーションの維持にかなり効果的だと思っています。クラブでスピーチを何本も書けば、ある時は素晴らしい傑作ができ、はたまた駄作ができてしまうことが、私にはよくあります。傑作と褒められてしまうと、「次はもっと優れたものを出さなきゃいけない」のようなヘンテコなプレッシャーが出てきてしまいます。これがきちんと推進力になればいいのですが、「優れたものができるまで出さない」となると結局「先延ばし」しているのと同じ、つまり「何もやってない」状態が続いてしまいます。これではモチベーションが維持できているとは言えません。傑作の次に駄作が生み出されてしまっても、生み出したという行為自体を認めれば、少なくとも「何もやってない」の状態は避けることができます。無論、行動しなければ、学びは生まれません。一生学び続けるには、一生行動し続ける必要があると思います。

この「認める」スタンスを踏まえて、クラブの会長として「会員が学びやすい環境を整えること」を実現するには、たとえどんなに小さな行為で、結果がどうであったとしても、行為自体を「認める」ことができる人に、私自身がなれるよう努力することが求められていると感じています。


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