見出し画像

HSPやINFJが「努力していないように映る人」を見てイライラするのは危険信号⁉ 「努力教」「努力原理主義」に陥らないためには?

他者を見て何を感じるか?

それは今のあなたの精神状態を表すのかもしれない。

ワーカホリックに陥っていた時代の僕は、何かに急き立てるような暮らしを続けていた。

「向上しなければいけない」「研鑽を積まなければならない」といった感じで、気づけば「ねばならぬ思考」がどんどん強化されていく。

その結果、怠けているように映る人に苛立ちを覚えるようになってしまったのである。

今、振り返ると心が不健全な状態だったと思う。

努力の意味を調べると「力をこめて事をすること」「あることを成し遂げるために、休んだり怠けたりすることなく、つとめ励むこと」とある。

いずれも心身に、ぎゅっと力が入っているニュアンスだ。

真面目な性格のHSPやINFJは「リラックスするのが苦手」という人が多い。

「自分を緩ませるよりも、自身を叱咤激励している方が簡単だ」という方だっているかもしれない。

自分に厳しく生きすぎると、やがて他者にもその生き方を求めるようになる。

怠けていたりサボっているように見える人が許せないのは、「ねばならぬ」で頑張りすぎているからかもしれない。そのために、日々を楽しめなくなっているからだろう。

誰かに強いられているように感じる努力は、その人を痛めつける。

こういう状態に陥ると「楽をしている」と思える人を見て憤慨する。

楽をしているように思える人が許せないのは、「あいつだけ緩く生きやがって」という憤りがあるからだろう。

そのように感じる人ほど「堕落してはいけない」という焦りを持っているのかもしれない。

どんな生き方をするのも、その人の自由である。首根っこを掴み「こう生きねばならないんだ!」「この生き方だけが唯一の正解だ!」なんてことを言う権利は、親にだってない。

生き方への好き嫌いは、もちろんあっていい。ただし境界線を超え、価値観を押し付けていいかといえば否だ。

目を吊り上げて「あなたは努力が足りない!」と声高に言っている人に、心のゆとりはない。

他責になるほど、余裕をなくしているわけだ。

最も理想的なのは、当人は楽しんで没頭しているのに、傍から見えたら「あの人は、すごい頑張っている」という状態だろう。

努力を強いる人と、努力の自覚がない人の大きな違いは、悲壮感である。

悲壮感を漂わせながら「もっと頑張らないと!」と躍起になっている人ほど、頑張っていないように映る人を許せない。

「やりたいからやっている」「楽しいからやっている」というシンプルな動機を持つ人は強い。

「やりたくないけど、己に鞭を打って頑張っている」という動機の人は、いつか心がポキリと折れるかもしれない。

自戒を込めて書くが、周囲に「努力して生きていない人」がどんどん増えていき、許せない人が増えているときは要注意である。

そういった状態に陥ったあなたに必要なのは、自分を優しく労わることだろう。

休息は、明日を乗り切る活力を生む。

頑張りすぎてしまう人ほど、定期的に心身を休ませ緩める重要性を思い出していただきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?