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【読書記録】『高校生のジェンダーとセクシュアリティーー自己決定による新しい共生社会のために』

画像1『高校生のジェンダーとセクシュアリティーー自己決定による新しい共生社会のために』

高校生のジェンダー観や性教育の現状、性の知識についての調査やインタビューなどを通し、性と自己決定という点について考えていくアンソロジー。


感想

ジェンダーやセクシュアリティについて書かれた本でまず確認しなければならないのが、その本がいつ出版されたか、ということです。ちなみにこの本は2002年出版です。

なぜかというと、性別役割分業やセクシャル・マイノリティ、セクシャル・ハラスメントなどのジェンダー・セクシュアリティ界隈は、ここ数年で目覚ましいほど議論が活発になったからです。セクハラをした側が惜しみながら「今はそういう時代じゃないもんなぁ」と嘆くような感じです(?)。
またバラエティ番組におけるゲイの扱いは大きく変わったようにも思います(顔のよこに手の甲を合わせて「これ」とゲイを表すポーズを見なくなて久しいです)。

さて本題ですが、性の自己決定のために、筆者は男女の権力差とメディアに氾濫する間違った知識(特に男性向けメディアにおける、快楽を追求した性の情報)を問題視しています。
セックスは男性が主導するもの、彼女は彼氏に頼まれたら断れない、付き合っているならセックスはするべき、していないと恥ずかしいといった、世間が決めた性のあり方は、その世間で生きる人の生きづらさの原因ともなります。


私としても、性のあり方の根本はたかだか生物的なオスメスの身体的特徴と、性欲や性的興奮といった、ある性に対する個人的な感じ方しかなく、そこに本来社会の常識など入る余地はほとんどありません(ここでほとんどと書いたのは、例えば異性装に興奮するのは、ある性別に特有の服装が社会常識によって規定されていることで初めて生まれる興奮であり、そうした倒錯的な性的興奮は社会常識無しには生まれない性のあり方と言えるからです)。


ある社会によって常識とされる性のあり方があるからといって、個人が全て従うことなど、そもそも個人によって体の作りや思考法に差異があることから不可能なのです。それは、インターセックスの人やアセクシャルの人、ペドフェリアやBDSM、ポリアモリー、その他変わったフェチを持つ人を見れば明らかです。この中で、ペドフェリアは法律に、ポリアモリーは倫理によって阻まれる性のあり方です。


性を自己決定するためには、まず自分の中にある性のあり方を恥じることなく見つめ、それをなるべく開示していくことが必要です。恥じることなく開示できるようになるためには、性のあり方は人それぞれであることを社会成員全員が理解し、さらにそのために、性をタブー視することなく、話し合うべき話題であることを認識する必要があるのではないでしょうか。

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