見出し画像

新連載「風(おと)と官能」はじめます【第1回】イントロダクション・今道友信『美について』

芸術の、野生の”体験”に迫るシリーズ始めます

小さい頃から歌や踊りが好きで好きでたまらなくて、テレビの歌マネ振りマネばかりやっていて、バトン部と町内の民踊練習とバレエのレッスン同時進行しても全然苦にならず。そのくせ楽譜は「もしや読字障害?!」と思うほど読めなくて、どの楽器もモノにならなかった。そのかわり「聴くこと」と「書くこと」を組み合わせることで、音楽との絆を何とかつないできた自分の人生。3月吉日、自分の芸術への「ある信念」を入れる受け皿を、ここにやっと作るこことができました。題して「風(おと)と官能」

イントロダクション

①音楽は風

最初なので名前の由来をご紹介します。
「風(おと)」に込めた意味は2つです。第一の意味はもちろん「音楽」です。音はそもそも空気(風)の振動。ここではなるべく幅広いジャンルの芸術作品を取り上げようと思っていますが、どことなく音楽的な作品、音楽を感じさせるような作品を選んでしまう、はず。

②風は自由

2つ目の「風(おと)」に託した想い、それは「自由」さ。古今東西どこにでも、魂の自由さと軽さを持って、常識やジャンルの垣根にとらわれず、「いい!」となったらまっしぐら。そんなスタイルで書いていきたい。

③官能とは五感である

次に「官能」ですが、これはお察しのとおり肉体(からだ)の領域です。ここでは”体験”を伝えるということで身体感覚を無視せず拾い上げたい。そのためのコミットとして「官能」というワードを選びました。というのも、以前読んだ文章表現についての本にあった、この一言が妙に腑に落ちたから。

”官能とは、なにも性的な意味だけではない。官能とは感応。つまり五感に訴えかける」ということだ。” 

失われた「身体」を取り戻す旅へ

うん、知識の引き出しが増えてくるほど、教養を意識すればするほど、音楽を「頭」で聴いてしまうんですね。頭でというのは、演奏の仕方とか歴史とかストーリーなどの予備知識とか。「上手い下手」や「わかるわからない」など。目の前の音楽を聴かず、音楽について考えてしまっている。それを「聴くこと」だと思っている人もいます。聴き方は確かに自由です。それに、音楽を研究するにはこれは必要な聴き方。でも、少なくとも私に関しては研究者ではありませんし、自分の好きな聴き方じゃなかった。暇さえあれば歌ったり踊ったり、ヴィヴァルディの「四季」に人知れず悶えたり(笑)そんな子供時代だったのに、どうしていつの間に、私は音楽を情報(歴史資料やテキスト)として聴くだけで生身の身体から「引き剥がして」しまったんでしょう。

「自覚症状」は一昨年ほど前から始まっていました。自分の音楽の聴き方に、ちょっとした倦怠と乾きを感じていたこと。そんな私にとって、去年は「当たり年」でした。出会う作品のどれもが、退屈で寝ぼけた私を本気で起こしてくれたのです。

deep dive to Music

ある演奏会では、はじめて聴く作曲家(ミヒャエル・ハイドン)の音楽に、一瞬で「ときめき」を感じました。音という”見えないもの”に対して、アイドルに恋するみたいな気持ちになりました。「わーなにこれー!えーすごーいイエーイ!」みたいな笑。保育園の卒園式の練習で初めてヴィヴァルディを聴いた時みたい、12歳の時にガチ惚れした『アマデウス』の中に出てくるオペラ『後宮からの誘拐』のロックフェス同然のフィナーレシーンを見た時みたい。久々に「音楽で心臓バックバク状態」になった懐かしさと嬉しさで、弾むように帰りました。

別の日は、銭湯跡の地下空間で聴いたショスタコーヴッチに体感をバグらされました。初夏にも関わらず音楽で「寒い」とか「冷たい」とか、そんなレベルじゃない「底冷え」・・・肝まで冷えた(私にとっては人生初の生演奏での)ショスタコーヴィチでした。そもそもこの企画公演のプログラムの流れが上手すぎてエモすぎて泣いて、なぜかめちゃくちゃ傷ついて帰りました。(この謎の「傷つき」は、後に理由を説明します)

またある時は、自宅で見たTikTokの動画に一撃で魂を持っていかれました。スマホを見ながら音楽を聴いているひとりの男の子。リズムに乗っている彼の傍でその姿を見ているもう1人の男の子が、突然ふっと相手の両耳を包んでキスをする。その瞬間音楽はくぐもって、2人は別次元へ飛翔するのです。この「音楽」すらも無力(あるいは無意味・ナンセンス)に変えてしまうほどの至高の瞬間。「?!」身体を引き離すと・・・音楽はまた元どおりに聞こえてくる――これで15秒足らず。絶句しました。

背筋がゾワっとなりました。意味の消失、自我境界が曖昧になる宗教的合一、何と言うか・・・つまりエロス的な稀有な瞬間、それを私は今、目撃してしまった!いやいや何もそんな難しい言葉を使わなくてもいいんです。いまどきの日本には、この感情を端的に表わした最高に的を得た「宗教用語」があるじゃないですか!そう「尊い!」です。
最初にこの言葉あてた人マジで天才。

TicTokって、一見たわいもない動画の連続に見えるかもしれません。けれど時折、ふと音楽と身体の宗教的な関係が垣間見えたり、エロス神やディオニソス神が「神々の遊び」にかこつけてお隠れになっている貴重な処でもあります。(※ちなみに私の考える「エロス」とは、もちろん性的なものに限定しただけの「エロ」ではありません。厳密にいえば「性愛」や「愛欲」でもない。人間が持っている根源的エネルギー、生命力、生の輝きみたいなものです)

去年1年ほんとうに疲れました。頭と身体が常にどこか揺さぶられていて、謎の疲労感が半端なかった。けれど音楽や芸術は人をここまでにするのか、ということを身をもって経験し実験台として過ごした貴重な時でもありました。信じられないことに去年から今年にかけて、直感?霊感?が前よりも研ぎ澄まされているような。何か、本来持っていた野生のカンが戻って来たといった方がいいかもしれない。しばらやく休んでいたタロット占いも、今年また再開しようかと思っているくらいに(さらっと宣伝)

1年かけてわかったこと、それは
「身体にくる」音楽だからこそ拡大と繁栄、豊穣のサイクルが生まれる。

真面目に遊べ「DEVIL'S PLAY!」

始めて聴いてドキドキしたミヒャエル・ハイドンも、冷たく響いたショスタコーヴィチも、たった15秒の「グッバイ宣言」ですら、私は「好き」になりました。

そんなこと当たり前じゃん。
音楽を聴く理由って「好き」しかなくない?

もしかして今、そう思いましたか?
そう思うあなたは、きっとクラシックとか聴かない人ですよね。それか、クラシックも聴くけれど、他のジャンルも等価で聴く人じゃないですか?確かにJ-POPやKーPOP、ロックだってメタルだって、好きだから聴くんです。でも明治以降の日本のクラシックの「正しい聴き方」って、そんな「好き」どころか「音楽を受け止める身体」すらどこかに置いて来て「真面目に」「高尚に」「上流階級の教養として」聴くことだけを強調してきた。

でもモーツァルトは、すでに250年も前にあの稀代の「色情モンスター」を主人公にした傑作『ドン・ジョヴァンニ』を作ったのです。小林秀雄は著書「モオツァルト・無常ということ」で確かにモーツァルトの本質を見抜き愛しました。けれど彼は、おそらく器楽曲しか「わからなかった」し「認めなかった」。私だって器楽曲が第一に好きだったので、それに合わせてモーツァルトで卒論を書いたりもしました。でも去年1年の経験から、それだとモーツァルトの半分しかわからないし「感じられない」と思い直したのです。モーツァルトが自然に受け入れたように(そういう時代だったのだとも思われますが)、音楽と肉体は感覚的に地続きであるということを今一度取り戻したい。抑圧やタブー視をせずに「音楽や芸術を感じ、伝えたい」——これがこのシリーズ「風(おと)と官能」を始めようと思った理由です。

大事にしたい心意気は「シリアスプレイ」つまり真面目に遊ぶこと。たかが芸術、されど芸術。どうせなら思いっきり遊びたい。より鮮烈に、音楽や作品が自分に接近してきたように感じられるような文章を目指してお伝えできればと思います。

ギリシャ エロス神

取り上げる対象の基準

というわけで、美学者である今道友信の『美について』を再読し、この本を参考基準に取り上げたい対象の「ガイドライン」を2つ決めました。

①「キレイ」より「美しい」

『美について』では、きれいと美しいの違いが書かれています。「きれいな水」とは言うけど「美しい水」とは言わないように、キレイは「清浄で整っている」ものに使われます。例えば「きれいになりたい!」と思って整形手術する人のお手本にされるのは個性的な顔の女優さんではありません。きっと、完璧に整った顔の女優さんです。(この完璧な顔立ちをCGとか使って突き詰めると最終的には似顔絵が描きにくい”完璧に没個性な顔”になっていくのだとか)

このキレイであることへの欲求は、いきすぎると遊びや余白部分を排除します。演奏を間違えない、上手い下手に執着する、正義感、道徳観。キレイさへの過剰な追求は、言葉を変えれば「限りない潔癖さへのこだわり」と同義なのです。

ここでは、キレイよりも「美しい」を選びます。美しさとは、負の部分(毒、傷、未熟さ、いびつさ、弱さ、時には悪)をも取り込みながら、それでも全体として「よき」と思う、”包括的な”概念です。「欠落」「欠損」すらも魅力に変える、神秘的な感情でもあります。抜けるようなクールさ、カッコよさとして現れ出てくる時もあります。そういうものを取り上げたいのです。もちろん私目線で、です。だから人によっては全くの「醜」に映る可能性も無きにしもあらずですが。ま、それはそれで面白いと思うのですよ。

②「藝術→芸術」というサイクル

『美について』によると、今普通に使っている「芸術」という漢字と「藝術(”藝大”と書く時以外ほとんど使わないのだが…)」という漢字は真逆の語源を持つそうです。「芸術」は刈り取り、「藝術」は植え付け。

私なりに意訳すると、前者は外に出ていくこと、後者は入り込んでくること(ギフト)でしょうか。しかも後者はかなり荒っぽいギフトです。感動は時に人を「苦痛」にすらさせます。私が去年の演奏会で、感動したにも関わらずなぜか傷ついたのは、そういうことです。そもそも、人はなぜ芸術による感動が起こる時、知ってか知らずかバイオレンスな身体用語を使うのでしょうか。泣かされる、胸を打たれる、えぐられる、しまいには「刺さる」。それは暴力的に(しかし魅惑的に)何かが自分の中に(ギフトが)入って来るからです。感動は新しい生命のごとく魂に刻みつけられ棲みつく。感動とは、魂への「conception(受胎)」です。

こうして突然やってきた新たな生命(インプット)は、受け手を通して外に発信(アウトプット)されます。ミニマムなものとしては鑑賞後の感想やツイート、クチコミなど。「あれ見た?」「わかる!いいよね!」

また、素晴らしい作品ほど「良い問いかけ」を持っていて、魂をやすやすと時空の彼方に持って行く。それは茫然自失だったり、忘我だったり、驚きで開いた口が塞がらない、だったり。ある種のエクスタシー(エクスタシーの語源は”エクスタシス(ekstasis)”で「外に出る」という意味があります)を招きます。抜け出た魂はどこ行くのか?ドラゴンボールに例えれば「精神と時の部屋」です。そこには豊富なインスピレーションがゴロゴロしている。そうなるとクリエイターはいてもたってもいられなくなり、半ば勢いに圧されるようにして、アンサーとしての「新たな作品」を産み出す。以下繰り返し・・・

これが「藝術」が「芸術」になる瞬間です。よい作品を作るには、よい作品に触れる必要があるのです。これはどんなジャンルでも同じこと。刈り取って「収穫」し「出荷」へと続く――これが作品を世に出す行為です。ある意味これは「消費行動」と捉えることもできます。お金を「使う」ようにさせるんですから笑。まあビジネス以前に、そういう原理なのだと思います。「植え付け→収穫→出荷→消費→植え付け」の理想的サイクルが起こるには(ここ大事!)まずは「身体に来る」ものを、身体感覚として「ヤバ…好き」という気持ちが不可欠なのです。(※性的なものを含んでも含まなくてもです)

こうして芸術作品は時空を超えて拡大し繁栄していく。人間みたいですね。だって結婚するなら好きな人としたいでしょう?「ためになるから」「役に立つから」そんな堅物のエリートとなら一緒に仕事はできるでしょうが、一生連れ添うとなると「無い」よなって。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」

愛なき時代に生まれたわけじゃない

体験を疎かにする「身体を剥奪された芸術(ジャンル)」はいずれ滅びます。上記のような連続性が起こりにくいからです。これは少子化と同じことで、未来は確実に豊穣とは反対の方向「衰退」に向かっていくと思います。だからこそ、敢えて肌ざわりや舌ざわりのいいもの、役に立つものではなく「ザラついた好き」を大事にしたい。次の人に何か爪痕(ギフト)を残せるような気概を感じるものを拾い上げたいのです。

最後に。
このような個人的な「気づき」をぶつけたい、というところからのスタートとはなりますが、広く愛されるよう、Visonだけは大きく持って始めたいと思います。

おそらく不定期更新になるかと思われますが(目標は月2本)さまざまなコンテンツを、気ままに興味の風に乗りながら渡っていこうと思います。また、人物を取り上げる時は活動支援の意味も込めて「有料記事」にする予定です。ご賛同いただける関係者の皆さま、また「同じようなことを実は思っていたよ!」という読者の方と、1人でも多く出会えますように。そんな希望とともに第1回を閉じたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。(続)


【第2回・予告】(予定)
クリスチャン・ディオール ~夢のクチュリエ~

ご意見、ご感想、ご提案は何なりと。
このトピックでの対談希望、執筆依頼等も受け付けています。

越水玲衣/Koshimizu Rei
エッセイ|コラム|小説|脚本|タロット占い
新潟県長岡市生まれ。16歳で県の高校生小説賞、集英社『ロードショー』シネマエッセイ受賞。以来、主宰していた演劇ユニットや市民劇の脚本、エッセイ寄稿など「好きな世界を文章で紹介・表現する」活動をしている。元公務員。バレエ経験11年。文化学院文学科/日本大学文理学部哲学専攻 卒業。モーツァルト、カフェ読書、夜の灯り、ちょい呑み、タコ焼きが好き。


毎日の労働から早く解放されて専業ライターでやっていけますように、是非サポートをお願いします。