はら くみこ

「うれしいも、悲しいも、さみしいも、ありのままをホッと出せる居場所」をつくるひと。 ア…

はら くみこ

「うれしいも、悲しいも、さみしいも、ありのままをホッと出せる居場所」をつくるひと。 アナザースカイは高知。

最近の記事

続:こんな風にも「好き」は仕事になったりする

2019年に、同じタイトルで記事を書きました。(文章が青い…恥ずかしい…) https://note.com/hrkm_1228/n/n332d4c5a9fe2 そんな仕事に区切りをつけるタイミングが来て、私にとって大切な5年間を残すために、もう一度、今の私から見えている居場所づくり・ユースワークについて書くことにします。 ■子ども支援学との出会い 当時決して意識の高い学生ではなかった頃、それでも私の中に妙にはっきり残ったこの言葉。この言葉と出会ったのが、大学の子ども支援

    • 自分との信頼を結んだ1年

      今年は平和だったな、と語り始めた1年の振り返りで、 「えっと・・・どこが?」と言われて初めて、あれ、平凡な1年じゃなかった、と気付かされました。 ※画像はどりちゃんに年末に一緒に書いてもらった振り返りの現在地MAP!良き時間でした、ありがとう! 今思えばいろんなことがありすぎて、わりと2021年頭の方に心の柔らかい部分をぎゅっと押し込んで、鎧を着て過ごした1年だった。 前ほど泣かなくなったし、怒りも爆発させなくなった、でも、悲しいことも辛いことも怒りたいことももしかしたら

      • 「ほんものであること」を大切にしはじめた変化録

        なんとなくわかっているのは、物心ついた時から、寂しがりだったこと。 だから、人と繋がりたくて、一人じゃないと思いたくて、たくさん頑張ってきたんだと思う。 良い自分を見せないと、人が離れてく。 人が離れていったら寂しい。 だから、みんなが離れないような自分でいたい。 そこに見栄とか心配させたくないみたいな気持ちも絡まって いつの間にか、周りの人に少しずつ隠し事や嘘をついて、 「どの自分もわたしだけど、少しずつわたしじゃない」 そんな状態になっていた。 嫌われるかもしれな

        • 手放す機会は向こうから。

          2021年、風の時代だーって意気揚々と迎えましたが、想像以上の強風が心の中で吹き荒れていて、転んでは少し回復して、また転んで、そんな日々です。性格上、すべて乗り越えてから「こんなに大変だったけど、こんな気付きがあった」みたいなきれいな発信をしがちなのですが、今の自分を発信することに意味がある気がして、とりあえず綴ってみます。 完璧主義との対峙「あと1点はどうしたの?習ったことなんだから、全部できて当然なんだよ」 99点のテストを持って帰ると、そういわれて育った私は、絵にかい

        続:こんな風にも「好き」は仕事になったりする

          2020年、いろんなものを「掴」みました

          年の瀬ですね。 今年は、周りの環境も、自分の中も変化の波が大きすぎて、書いてる間にどんどん状況が変わるから(笑)すっかりnoteもご無沙汰していました。 1年間、本当によく泥臭く自分と向き合って、 一人で夜な夜な内省していたノートは3冊目が終わりそうです。 もうこの修行いつまで続くの、と何度も思ったのですが、年の瀬になってようやく、そんな修行の日々から抜けつつある気がします、よく頑張った自分。 自分の中で大きな転換点になるような1年だったので、年の最後に、残します。 ■

          2020年、いろんなものを「掴」みました

          向き合っていきたい大きな2つのテーマ。 「外側のものさしから自由になる」 「半径3メートルを大切にする」

          向き合っていきたい大きな2つのテーマ。 「外側のものさしから自由になる」 「半径3メートルを大切にする」

          あの頃の私たちは、踊ることが全てだった

          「走り終わったとき、振り返ってお辞儀するのにグッとくるんだよね〜」 今年も箱根駅伝を見ながら毎年コタツの中でもらして、父母に首を傾げられるお正月の三が日を過ごした。 たぶん、純粋な箱根駅伝の感動だけじゃなくて、駅伝の熱さと、ひたむきさと、臙脂のタスキや声援に、あの頃の、不器用で泥臭い毎日を重ねているんだと思う。 愛しくて、手放したくなくて、でもいつか終わることもわかってて、憎らしい日もあって、逃げたくなる日も、実際に逃げた日もあって、でもやっぱり愛しくて。そんな気持ちが全

          あの頃の私たちは、踊ることが全てだった

          OCPP第1期を終えて

          昨年の10月から参加していたプログラム、OCPP(Online Corching Pattern Practice)の最終講が年末に終わりました。結びとして、完了のワークをやりましたが、もう少しこの気持を味わいたいなと思ってゆっくり言語化したものを載せます。 ---------------------- 1.参加の意図OCPPに参加した一番の意図は、「力をつけたい」という想い。自分の人生が動き出したとき、いつも隣には対話があって、その価値を強く信じてるし、純粋に対話の場で

          OCPP第1期を終えて

          ダイアログ・イン・ザ・ダークに行ってきた。 視覚が閉ざされることで、休息・人の温かさとか、その人が必要なものを感じられる場、な気がする。 ちなみに私は日常の違和感が顕在化して、ざわざわの声が大きかった。 身の回りが落ち着いたときにまたやったらどうなるんだろう・・・

          ダイアログ・イン・ザ・ダークに行ってきた。 視覚が閉ざされることで、休息・人の温かさとか、その人が必要なものを感じられる場、な気がする。 ちなみに私は日常の違和感が顕在化して、ざわざわの声が大きかった。 身の回りが落ち着いたときにまたやったらどうなるんだろう・・・

          最近、「寂しさ」という感情と向き合っていて、 今日のOCPPの最終講、終始「寂しさ」があったのだけど、みんなと分かち合うことで、「寂しさ」が痛みじゃなくなったなー。 そういえば、4年間遠恋をしていた人も、「会えない寂しさを分かち合えるのが癒しだった」と話してた。

          最近、「寂しさ」という感情と向き合っていて、 今日のOCPPの最終講、終始「寂しさ」があったのだけど、みんなと分かち合うことで、「寂しさ」が痛みじゃなくなったなー。 そういえば、4年間遠恋をしていた人も、「会えない寂しさを分かち合えるのが癒しだった」と話してた。

          「自立」と「依存」の着地点

          人は人生において、自分を変えてくれて、なりたい人物になれる道筋を作ってくれる人と出会えるけれど、最終的にはその道をひとりで歩まなければならない 私が宝物のように抱いている、LA・LA・LANDのデミアン・チャゼル監督の言葉。初めてLA・LA・LANDを観たときには、結末に唖然として、悲しい気持ちになってたけども。この言葉とLA・LA・LANDの結末が受け入れられるようになった、1年間と戦いと、とりあえずの着地点の記録。 ■とにかく自立したかった1年前の私ストレングスファイ

          「自立」と「依存」の着地点

          こんな風にも「好き」は仕事になったりする

          仕事は何しているのと聞かれて、一言で説明することが難しくて。教育系・塾みたいなとことだけ、答えることが多いですが、もう少し噛み砕くと、子どもたちの居場所を作ることを、仕事にしています。 居場所ってどんなもの? ありのままでいられる場所? いていいんだと思える場所? 自分の気持ちを、臆せず表現できる場所? 私にとっての居場所は、社会人1年目から所属しているよさこいチーム「なるたか」でした。(http://www.narutaka4351.com/) とっくり愛を注ぎ

          こんな風にも「好き」は仕事になったりする