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あの頃の私たちは、踊ることが全てだった

「走り終わったとき、振り返ってお辞儀するのにグッとくるんだよね〜」
今年も箱根駅伝を見ながら毎年コタツの中でもらして、父母に首を傾げられるお正月の三が日を過ごした。

たぶん、純粋な箱根駅伝の感動だけじゃなくて、駅伝の熱さと、ひたむきさと、臙脂のタスキや声援に、あの頃の、不器用で泥臭い毎日を重ねているんだと思う。

愛しくて、手放したくなくて、でもいつか終わることもわかってて、憎らしい日もあって、逃げたくなる日も、実際に逃げた日もあって、でもやっぱり愛しくて。そんな気持ちが全部入り混じって。
でも、結局あの瞬間、あの感覚、あの景色。
「生きててよかった」「出会えてよかった」
そんな青臭いことを、あの頃は本気で叫んでいた。

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大学時代の私は、決して意識は高くなくて、授業だってマイルストーン(早稲田のサークルが発行している講義の口コミ集。単位取得の難易度とか、教授の厳しさとか全部わかる)でいわゆる楽単を低空飛行で取得してた。もっといろんな世界を知っていたら違う未来があったのではと思う日もある、いや大いにある(笑)

学生時代にしかできないものって何だと思う?
お金を稼げるようになれば、欲しいものは手に入るようになるし、海外旅行だって実際いける。
でも、社会的に価値があるないとか、そんなの関係なく、時間も体力も精神力も限界までつぎ込んで何かに打ち込めるのは、今だけだよ。

大学4年生、当時カタリ場事業部でインターンしていた頃にもらった言葉。社会人になって、いろんな人と出会って、同世代でいわゆる「すげえやつ」がたくさんいる環境になっても、どこか自分の選択を信じられたのはこの言葉があったかも知れない。

社会人4年目になって、26歳になって、今はもう、私を構成して、価値付けるものはよさこいひとつじゃない。あの頃よりも、しなやかになったし、生きやすくなった。もう、「これをやり切れなきゃ、自分の学生生活は無価値になる」そんな風に何かに自分を預け、浸かり切ることはないかもしれない。

それでも、今自分が持っている想いや向かいたい場所は、まぎれもなく「自分にはこれしかない」と、不器用ながらに、もがいてきた時間から今日まで繋がってる。「誰かの居場所を作りたい」「ありのままでいられる場に価値がある」振り返れば、ハタチの頃から口にしていた言葉が、今では力強い私の軸になってる。

今の仕事柄、周りの学生から少しずつ相談をもらったりする。
ここまで書いているけど私は、「打ち込んでるものがない」を否定するわけではない。ただ、「就活しなきゃ」「しっかり将来に意味のある資格を取らなきゃ」とhave toで自分の時間を埋めるくらいなら、自分の好きなものとかやりたいことを探したりするほうが、よっぽど学生生活でしかできないことな気がしてる。もちろん、見つからなきゃ焦るし、好きなことなんて沼だし、好きなことだからしんどいことなんて数え切れないくらいあるけど。「それで浮き上がってこれなくなったら、会いに来てもらえれば、手を貸すから、安心して沈んでおいで。」
そんなことが言えるように、元意識低い系学生の私(笑)が、少し先の人生を、ちゃんと味わって、楽しんで過ごしたいなと思う。

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