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「ほんものであること」を大切にしはじめた変化録

なんとなくわかっているのは、物心ついた時から、寂しがりだったこと。

だから、人と繋がりたくて、一人じゃないと思いたくて、たくさん頑張ってきたんだと思う。

良い自分を見せないと、人が離れてく。
人が離れていったら寂しい。
だから、みんなが離れないような自分でいたい。

そこに見栄とか心配させたくないみたいな気持ちも絡まって
いつの間にか、周りの人に少しずつ隠し事や嘘をついて、
「どの自分もわたしだけど、少しずつわたしじゃない」
そんな状態になっていた。

嫌われるかもしれないから、耳痛いことは言わないで自分が我慢する。
心配させたくないから、難ありエピソードは話さない。
今でも、親に救急車で運ばれた話も仕事にいけなくなった時期があった話もしていない。

たぶんこれは子どもの頃から始まっていて、怒られないように、心配されないように、都合の良いことしか親に言ってこなかった。
だから私の母は「久美子は悩んできたことなんてないもんね。」と今でも言ってくる。私の圧倒的女優力なのか、母が人を疑うことを知らなすぎるのか。笑

書いてみて思ったけど、感情が暴れると、抑え込みが効かなくなっていろんな本音が溢れ出すケースの多い。普段抑え込んでいるものを外に出すために、いつも背中を押してくれてたんだな。
ありがとう、私の感情。

で、そんなことしてるから、人の中で生きるのがなんだかしんどくて、
一人で籠城して回復を図ることもここ数年多かったし、
「この人は何を話しても大丈夫」と思える半径ゼロ距離の人に気持ち執着しつつ、でも「重い」と離れられたら嫌だから、手放しに依存もできなくて、表面は重くない自分でいるみたいなやっぱりちぐはぐなことになったりした。

なんだこれ生きづらい。

今思えばいびつ、でも渦中では、本当になんとも思ってなかった。
たまたまこのタイミングで気づいただけで、27年間ずっとやってきたんだと思う。

自分らしくして好きな人に好きって言えないなら、自分らしくなくても好きな人には好きって言いたい。そうやって続けていけば、それも僕らしくなってくと思うし。

これはそんなときに見直した大豆田とわ子の名台詞。
お酒を飲みながらこれを聞いていたら、ぐわーっといろんなものが繋がって、「ああ、私は、"自分像"みたいなものを守ろうとして、ちゃんと自分の中に在るものを、大切な人たちには伝えたかったんだな」と、ここまで言語化したら、やけにスッキリした。

あくまで私はこうしたかった、という話なのと、全人類にというより、自分が「この人とは長くそばにいたい」と思う人たちに向けて、ということなので、全オープン!最高!みたいなテンションではないのは悪しからず。

と、いうことで私の「ほんものであること」キャンペーンが始まって、
今までは飲み込んでいたことを、「伝わった」と思えるまでちゃんと伝えきったり、小さな隠し事をなくしていく日々を始めたのでした。

「ほんものであること」を大切にし始めて、すこし変わり始めた今の景色

一番伝えたかったのは耳の痛いことでも、自分の意志でもなくて、「大切」とか、「ありがとう」とか、「私にとってあなたはこういう人だよ」という大事な人たちへの存在承認だったことに気づいた。
言いたいことを抑え込んでる間に、全部こんがらがって言えなくなっていたけど、言いたい人にこれを言い回って、言うたびに緊張して、言えるたびに大泣きして、でも伝え終わったら安心して、みたいなリハビリをしまくった。

気がついたら、ここ数年繰り返してた一人で籠城回復タイムがいらなくなった。

これまで、嘘をつかずにいられる関係がごく貴重だった(半径ゼロ距離くらいまで近くないとそう思えなかった笑)。だから、そういう人に執着してしまう私がいたけど、一歩下がってみたら、少なくとも私の半径3メートルの人たちは、みんな嘘なんかつかなくても、そばにいてくれることが分かった。

やっぱり手を離れていった関係もあった。やっぱり結構悲しかった。でも、離れないように自分を抑えて近くにいるより、言いたいことを言える距離のほうが心地良いことを知った。だから、「たぶん、これが正解」って今は思う。

これからもう少しクリアにしたいこと

ここからは、こんな変化があって、これから向き合いたいと思っていること。
わたしは、あまりにも「人にそばにいてもらうために」行動を選択してきたことが多い。薄々気づいてはいたけど。

それ自体は悪いことでもないんだけど、勝手に人の内面を見立てて「きっとこの人はこうしてほしいんだろうな」で行動を選んでるけど、その真実はどこにあるの?という話。

いきなりそれをゼロにはできないけど、「誰かのためにやろうとしていること」「自分が純粋にやりたいと思っていること」この区別が、もうすこし自分の中でつけられたらいいなと思う。
そして、純粋にやりたいと思っていることの割合が少しずつ大きくなったら良い。


そんなところで、変化録は一旦終わり。自分にとって大きな気付きだった気がしていて、もしかしたら、つづくかも。


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