手放す機会は向こうから。

2021年、風の時代だーって意気揚々と迎えましたが、想像以上の強風が心の中で吹き荒れていて、転んでは少し回復して、また転んで、そんな日々です。性格上、すべて乗り越えてから「こんなに大変だったけど、こんな気付きがあった」みたいなきれいな発信をしがちなのですが、今の自分を発信することに意味がある気がして、とりあえず綴ってみます。

完璧主義との対峙

「あと1点はどうしたの?習ったことなんだから、全部できて当然なんだよ」
99点のテストを持って帰ると、そういわれて育った私は、絵にかいたような完璧主義。
いや、いつも完璧でいられているわけではないんだけど、「至らない部分」「失敗すること」への自分責めがすごい。
99個のできたより、1個のできなかったで落ち込むし、
たぶん、自分のキャパギリギリまで頑張る癖は、「限界まで頑張ったけどできなかった」と、言い訳をするため。

人には「失敗していいよ。そこから学べばいいよ」って言えるのにね。

でも、それが自分を苦しくしていることにも気づいていて、そろそろ、自分の中の「やりたい」という気持ちとかポジティブな原動力で動けるようになりたいなあとふんわり考えてたら、対峙するタイミングが向こうから来てしまった。

きっかけはあまりはっきりわからなくて、でも、自分という人間との付き合いも長いので「被害者意識」とか「イライラ」みたいな感情が出てきたら黄色信号なのは分かってる。だから、今年の1月くらいから「あ、この感じよくない」という自覚があって、だましだまし、やすみやすみ、という感じだった。

だましが効かなくなったのが2月で、なんかこういうときっていろいろ重なるよね。実家の猫が急逝したり、仕事でもごたついたり、親しい人とギクシャクしたり。

あーもうだめだ、踏ん張れないって観念したときに心に満ちた言葉が

「こんなに頑張ってるのに」
「こんなに良い子にしてるのに」

もう観念してそのまんま書きますが、27歳にしてこれは、なんてダサい。笑

周りのだれも、私のこと頑張ってないなんて思ってないことも分かってて、認めて、頼りにしてくれることも分かってて、それでもこの言葉が出てくるのは紛れもなく自分の問題。

ここ数年で、自己肯定感を上げてきたつもりでいたけど、
それって「できることが増えていく自分」に対して「自分ここまで行けんじゃん!」みたいな自己肯定感のあげ方で、「できない自分」みたいなものは相変わらず認めてあげられてなかった。

ここまで考えて、「じゃあどうしたい?」と自分に問いかけたら

失敗も、できないことも、こんな風にスローペースになってる自分も、次に高く飛ぶために沈み込んでるんだって歓迎したい。

こんな声が返ってきた。そうしたら「失敗は財産」的な情報がよく入ってくるようになって、ようやく、息が吸えるようになって、今。

ミジンコメンタル状態は回復しきってなくて、でも何度も決め直して、少しずつ変わっていけるかな、いきたいな。という感じ。


素直に自分を表現すること

感情は、満たされたあるいは満たされないニーズを指し示す(NVC JAPAN)

NVC(Non Violent Communication)では、「ポジティブなものも、ネガティブなものも、感情に良し悪しはなくて、ニーズを教えてくれるサインだよ」そう教わった。
ここからは、それを分かったつもりになっていて、誰よりも自分の感情を選別していたのが私だった、という話。

■スーパー繊細さんモード

完璧主義との対峙と同時並行で起こったのが、
とにかく、「役割を演じる」「相手に合わせて感情をコントロールする」という状態にものすごくストレスを感じるようになってしまったこと。(感情労働というらしい)

元からこの状態になることはたびたびあって、のらりくらりと人と距離を取って回復するのだけど、
今回は、気が重い約束の前日とかに、お風呂でぶわっと感情が暴れて涙が出てきたりしてて、「きちんと見てあげないと、やばい気がする」となった。

私の場合は分かりやすく、「マイナスの感情、特に怒りや嫉妬、悲しみを人に見せるのはダメ、というか見せるもんじゃない」という思考が強くて、
でも、自分が感受性が人より豊かなことはわかっていて、すぐ漏れ出してしまうから、うまくコントロールしなきゃと言い聞かせてきた。
だから、気づかない間に、いろんな感情を、外に出ないように出ないように封じ込めて、自分自身もその感情に気づいたらブレてしまうから、蓋をして、感じないようにして、なかったことにしてしまう癖があったんだと思う。

結果、その感情を通して、気づくべきことも全部、蓋をした。

そしたら、抑え込んでいた感情が、
「ちょっと見ない振りすんのやめてもらえます( ゚Д゚)?」
と本気を出して畳みかけてきて、スーパー繊細さんモードへの突入。

もう箸が転がっても落ち込む、誰にも会いたくない、喋りたくない、根暗引きこもり原が誕生してしまったというわけです。

これは、ここ数年で手に入れたTipsなのだけど、
ここまで落ち切ったら、もう抵抗してもしょうないな、という感覚。
おとなしく引きこもる、そこで浮かんでくる声を、「ああ、こう思ってるんだな」と受け止める、大切だなと思ったものは書き残す。
「じゃあ、本当はなにがほしいの?」と自分に問いを向ける。

そんなことを繰り返して、同じようなことをぐるぐる考えてるうちに、螺旋階段みたいに少しずつ上がってく。

■言葉になった願い

そこで、ようやく言葉になったこと。

私に必要だったのは、自分の感情を抑え込んでコントロールすることじゃなくて、
自分のポジティブな声も、ネガティブな声も、きちんと拾うこと。
そんな声が教えてくれる、気づいてほしい自分のニーズが「在る」ことをまずは自分が分かってあげること。

ここまでは、これまでも何度も気づいていたけど、今回はその先で大切にしたいことが見えた。

気づいたニーズや感情を、攻撃や暴投でなく、大切な人には伝えられる自分であること。
伝えても大丈夫、と思える信頼を、大切な人に自分から寄せること。
そして、相手からも、伝えてもらえる自分で在れたら、最高。

自己否定とか自己防衛とか、不安とか、混沌とか、そんな感情の先で、これが言葉になって妙に安心して、ああ、大丈夫そうだ、そんな気持ちがようやく生まれて、長いトンネルが終わりそうな兆し。

知らず知らずにコンプレックスにしてた「感情の豊かさ」
克服するのではなく、なくすのではなく、きっと強みになる、はず。

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というわけで、これからしばらくの私のテーマ。

①完璧主義を手放して、失敗も停滞も歓迎すること
②自分の素直な気持ちを、大切な人には、届けること(投げつけるのではなく)

私の生まれてこの方持ち合わせてきた「完璧主義」と「感情の抑え込み」を手放そうと決めて、自分を生きづらくしてるいろんなものを手放せる未来は、明るい気がする。

そして、私はやっぱり、みんなが抱えてるいろんな思い込み(逃げ恥では"呪い"と言ってたよね)を、一緒に見つめて手放す手伝いがしたいな、そんなことをして生きていくんだろうな。

そんな感じの春間近の近況でした。

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