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「自立」と「依存」の着地点


人は人生において、自分を変えてくれて、なりたい人物になれる道筋を作ってくれる人と出会えるけれど、最終的にはその道をひとりで歩まなければならない

私が宝物のように抱いている、LA・LA・LANDのデミアン・チャゼル監督の言葉。初めてLA・LA・LANDを観たときには、結末に唖然として、悲しい気持ちになってたけども。この言葉とLA・LA・LANDの結末が受け入れられるようになった、1年間と戦いと、とりあえずの着地点の記録。

■とにかく自立したかった1年前の私

ストレングスファインダーによると、私の強みは「社交性」「共感力」「コミュニケーション」「包含」「ポジティブ」。なんと他者ありき(笑)中高時代から、人の期待に応えることは当たり前のことになっていて、人や場に求められている在り方や行動を感じ取る力と、その器用さは嫌いじゃなかった。でも、「人に認められる=自分に価値がある」というのは、ときに苦しい。ふとした瞬間に自分を支える柱が自分の中にないような気がしたり、何気ない一言に勝手に傷ついたり、誰にも見てもらえていないと感じて前にも後ろにも進めなくなったり。

私の場合は、率直に言えば、大切な人との関係がうまくいかなくて、どんなにがんばっても、一番認めて欲しい人に認めてもらえない(当時はがんばり方を間違えてこんがらがっていたのだけど)となったとき、「どうやらわたしは、"自立"ってやつをしないといけないらしい。」「自分の足で立って、やりたいことをして、人に満たしてもらっていた部分を自分で満たせるようにならないといけないらしい。」と、いうのが自立に向けた戦いのスタート地点。
そこからおよそ1年、自分の中で「自立して自分軸で生きるのが正しいんじゃ!」という価値観が強固になっていって、「依存しない自分」「自立している自分」になろうと背伸びし続けた。

好きな街に一人で住む、お気に入りの家具を揃える、自炊をする、使いたいものにちゃんとお金を使う、休日一人で散歩してみる、本を読む。仕事がんばる。

今まで滅多に一人で過ごすことは少なかったけど、やりたいことは意外と一人でもできるんだと知った。日々の中に自分のお気に入りが増えていくのは楽しかったし、できることも増えて、なりたい自分に近づいていくようで、自分の変化も嬉しかった。

■繋がりを信じるということ

本当は二週間くらい前は、「こんな自分でも自立できてきましたよ」って途中経過をnoteに書こうとしたのだけど、なんだかしっくりこなくて、手が止まってた。もっと本当のことを言うと、変わりたいと思って、ここまで馬車馬のごとく走ってきたのに、1ヶ月くらい前から急に停滞した。

「人と共に生きるを、体現しているみたいな人だね」
「目の前の人に、寄り添っている人がいて、なんかくみこを思い出したよ」

そんなときにもらった言葉の受け取り方も分からなくて困ったりしてた。だって「誰かに依存して生きたくない」って走り続けてきたから。でも、私についている「人を、繋がりを、信じる」という肩書きは、どうやら思ったよりみんなに認知されてて、簡単に剥がれないみたい。積み重ねてきた25年間は馬鹿にならない。

たしかに、自立したいと思う一方で、たくさんの今まで出会ってきた人たちのおかげで、今わたしはここにいる。いつの時代の自分を思い返しても、一緒に誰かの顔が浮かぶ。
「あの頃、あの子といつも一緒にいたなあ」
「あの人に憧れて、背中を追っていたな」
「あのとき、あの人の言葉に救われたな」
親、友だち、憧れの先輩、仲間、恋人、これまでわたしはたくさんの人の背中を見て、手を引かれて、同じ景色を見て、ここまできたし、そこでみてきた価値観が自分を作って、今ここにいる。その生き方はその生き方で、わたしにとって大切で、これからも人と繋がることは切り離せないことなんだろうな。

■とりあえずの着地点

一緒にいたい人とは、とっくり一緒にいてみよう。やりたいことは、とっくりやってみよう。心を預けたいと思うものには、預けてみよう。そこで感じるいろんな想いを、酸いも甘いもしっかり味わおう。というのが、最近の心持ち。

じゃあ、元の立ち位置に戻るのかっていわれたら、そんなこともなくて、なにか小さな違和感が積もったり、自分のお気に入りが変わっていきそうだったら、そのときは手を離せばいいと思う。そして人生はうまいことできていて、うまいタイミングで、それに気がつく出来事があって、また新しい出会いがあるんじゃないかとも、最近思う。
自分が何が好きか、どうしたいか、何が嫌で、何を大切にしたいか、見えるようになって、叶えられるようになってきた今の自分なら、変化を怖がらず、そのときに自分が本当にほしいものを、手に取っていける気がする。

そんな風に、どちらの自分も抱きしめて、歩くことを決めた。それが一番、自分らしいなと思ったから。これが今のわたしの着地点。

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※ここから先はLALALANDのネタバレ注意

LA・LA・LANDのミアとセバスチャンは一ハッピーエンドを迎えたのだと思う。お互いがいたから、道が開けて、二人は自分の夢を叶えることができたから。

でもちょっと、今の私は、「そこにお別れがあるから美しい」というのは悲しいなと思ってしまうから、人と繋がり合いながら、自分の足で歩いていけることが幸せということにしておく。

その横に、誰かがいなくてもいいし、いてもいい

#コラム #映画 #生き方

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