DAY6. 執行猶予
先が、長すぎる。
いや、「先」なんてものを考える余裕がないくらい、不確実なことが多すぎる。あまりにも謎だらけで、だからこそ神秘的で、これはもはや、宇宙や地底の全貌を解明するのに匹敵するくらいのことなんじゃないかと感じている。
妊娠が、継続していた。
最初にことが動いたのは、胚盤胞まで育った受精卵を子宮に戻してから1週間後の、いわゆる判定日。不妊治療7年目にして、初めての妊娠判定を受けたところから。
その数値は芳しくなく、妊娠を継続するためのHCGホルモンが、できたら50は欲しいところ、33mIU/mLしかないという。「このまま無事に出産できるまでの確率は33.3%」と医師に告げられた。
その10日後、子宮の中に小さな「何か」が見える。でも、たった3ミリほどしかなく、赤ちゃんを包む袋である胎嚢なのかどうかは微妙だった。胎嚢はこの頃、1センチくらいになっているものだという。
HCGホルモンは1798 mIU/mLにまで伸びていたが、本来はもっと伸びてなきゃいけない。「これが胎嚢だったとしても、かなり難しそうだ」と言われてしまった。
さらに3日後、HCGホルモンは3862 mIU/mLになっていた。その「何か」も、若干大きくなっている。それでもわずか4~5ミリほどで、まだまだ小さい。
しかも、胎嚢にしては「形が崩れている」「位置もおかしい」と医師は言い、「おそらく流産しかかっているところだろう」と診断された。もしくは、見えているのは胎嚢でもなんでもない何かの陰で、また別の見えないところに「子宮外妊娠をしている可能性も高い」という。
そして、また4日後。
HCGホルモンは7378 mIU/mLにまで上がっていた。子宮の中に映っていたあの「何か」も、まだそこにいた。
「これは胎嚢ですね。まだまだ小さいですが、ちゃんと赤ちゃんの袋の形をしています」
まだ7ミリほどの大きさだったが、とうとう胎嚢と認められたのである。
映っている「場所」は確かにちょっと手前すぎるけれど、子宮内には収まっているし、二層になった袋の形も今回は見えたから、妊娠継続で間違いないだろうと医師は言った。
ただし、やっぱり発育はとても遅く、ホルモンの数値の伸びも、安心できるようなものではない。このまま成長が止まってしまう可能性が高いと告げられた。
そしてまたまた、結果は次回持ち越しとなったのである。
「とにかく、待つしかありません」
気をつけることも、特にないという。その受精卵が持って生まれたもの次第なのだと。
「今の段階では、何をすれば結果が良くなるということもないし、逆に、お母さんが何かをしたからといって流産するということもありません」
ひとまず、緊急で手術などが必要になってくる子宮外妊娠の可能性は消していいだろうということで、次の検診は1週間後だと言い渡された。
しかし、こんなに初期の初期で、こんなにも多くの関門があるなんて、思いもしなかった。夫婦ふたりでこのコロナ禍に何度もクリニックへ足を運び、いたずらに感情を揺さぶられ、いまだ答えはもらえない。
執行猶予は、あと1週間。
その日までにどれだけ赤ちゃんが成長できるか、もしくは止まってしまうのか。今度こそ、決定的な判断がくだされることになるだろう。夫が勝手に命名した「もったいぶり子」のマタニティネームが、いよいよ冗談じゃなくなってきた。
「おめでとうございまぁーす!!」
受けた電話口でいきなり言われて、面食らってしまった。
「えっと……」
「え! かけた先、間違えちゃった!? 合ってますよね??」
彼女は確かに私の名前を呼んでからそれを言ったし、その言った内容にも、心あたりはある。
「いや、あの、もしかして、聞かれたんですかね……?」
「ご懐妊されたんですよね!? ちょうどメールしようと思っていたところだったので、直接お祝いさせていただこうかと!」
盛り上がっている彼女には、大変申し訳ないのだが。思わず答えにつまる。
というのも、ほんの数分前。彼女の会社の同僚、私からすると「クライアントさん」である男性に、私から電話をかけていたのである。
「あの、実は……」
私は、確かに伝えたはずだった。
私事で大変申し訳ないが、不妊治療の末、妊娠したことがわかった。しかし今は、流産になる可能性が濃厚で、いつ何が起こるかわからない。何か、手術をする必要も出てくるかもしれない。奇跡的に妊娠が継続したとして、高齢出産なのでご迷惑をかけることになると思う。自分はこの仕事をしばらく降りたほうがいいと考えている。
「まだ周りに言える時期じゃないのですが、仕事にできるだけ支障がないように、あなたにだけ先にお伝えしました」と、言ったはずだった。
彼は、何を、どこまで言ってまわっているのだろうか……。脱力しながら、改めて思う。不妊治療って、難しい。ましてやその先、妊娠に至れたとしても。
もちろん私だって、まだその時期じゃないのは知っていた。だいたい安定期と言われる頃、流産の可能性がぐっと少なくなる妊娠4か月をめどに言えれば、お互い気まずいことも起きにくいだろう。
でも、社会のなかで生きている以上は、どうしたって何かしらの責任がついてまわる。
しかも、このコロナ禍。妊娠中は重症化のリスクが高いとも言われている。高齢出産ならなおさらだろう。普通に出産するのさえ高リスクなくらいだ。
結婚して、妊活を始めた頃は、フリーランスで自宅での作業が多い仕事をしている自分は、恵まれているように思った。それは、出産して子育てをする自分を想像したときに、在宅ならきっと動きやすいだろうという、単純なイメージから。
でも、実際はそう気楽ではない。フリーランスである以上、クライアントに不利益を被る働き方などできないし、一度仕事を断れば次が来る保証もない。
すべてオンラインというわけにもいかない、ある程度日程調整が必要な仕事だけに、これまでの通院ですら気を使ってきた。自分の体のことながら、これからますますその予測がつかなくなるだろうことを思うと、本当に頭を抱えたくなる。
その夜、サッカー日本代表は、強豪スペインとの準決勝戦だった。まさに東京オリンピックの花形。恐らく日本中が観た試合のひとつだろうが、夫があれだけ朝から心待ちにしていなかったら、普段サッカーに興味のない私は観ていたかどうかわからない。
ちょうど夕食を終えて、いい時間だったこともある。何気なく夫の隣で観戦し出したら、いつの間にか声を張り上げているのだった。
「うーわ!」
「ぐあ、惜しいー!!」
「危ない、あぶないー!」
「かぁあーーー!」
きっと日本が勝つなんて夢のような話なのだろうと、素人ながらに思っていたところへ。むしろ拮抗して、最後の最後までお互いノーゴール。点が入りそうで、ギリギリのところで決まらない姿が、なんだか今の自分と重なって見えたりした。
不妊治療をしていると、何かとそこに吉兆を見てしまう。もしも日本が、この難攻不落のスペインを破ったら、無理だろうと言われた私の妊娠にも希望があるのではないか……とか。最後のひと葉じゃないんだから、いい加減にしろという感じだけれど。
ゼロ対ゼロでの延長戦、さらにその後半。もうすぐ終わる、PKだろうかというところで、スパーーン!と決まってしまった。文句のつけようもない、スペインのゴール。
ここまでか、と一瞬思ったけれど。
日本にあきらめムードは漂わなかった。本当に、最後の笛が鳴るギリギリのところまで、こちらもまた手に汗を握って、思わず声を出さずにはいられない試合展開を見せてくれたのだった。
「はぁーー」
「つかれたぁーー」
ただソファで固唾をのんでいただけの私たち夫婦は、まるで自分たちもひと試合終えたかのような勢いで、そのくやしさを分かち合った。そして、なんだかお互いとても清々しい顔をしているのだった。
「ちょっと。大丈夫なの?」
夫が私のおなかをチラリと見やる。
「力、入れちゃったよー」
子宮のあたりがチクリとした。でも今は、その違和感に不安を感じるより、存在してくれている喜びが勝っている。
準決勝戦は終わってしまったけれど、まだ終わりじゃない。次は、実に53年ぶりだというメダルをかけたメキシコとの3位決定戦だ。
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