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【読書レビュー】公明党ー創価学会と50年の軌跡ー

私と公明党

noteを始めた理由は、以下のタサヤマさんの記事がきっかけだ。

この記事を読んで、「礼賛でも批判でもない”ログ”として残るものを書こう」と決意し今に至る。

そうしてnoteを書いているうちに、公明党議員主催の政治学習会で疑問に思ったことがあり、地元幹部に意見を送ったところ、その議員から返事をもらえたことがあった。また、その参議院議員との間を取り持ってくれた市議会議員との懇談会を区男がセッティングしてくれている。

その際、「果たして自分はどのくらい公明党のことを知っているのだろうか」という疑問が湧いた。

公明党の結党は1964年だが、私が公明党の中身を知り始めたのは創価大学在学中に行われた、2014年末の衆院選だ。選挙権を得て、数回投票をしていた私が初めて支援活動を本格的に行ったのがこの選挙だ。

学会三世である私は、中学生に上がるころから学会系の雑誌、『潮』(潮出版社)や『第三文明』(第三文明者)を読み漁っていた(注1)。また、選挙ごとに出される選挙公報を読み、他党が抽象的・理念的な言葉を並べている中、公明党は明確で具体的な政策を羅列していた。良くも悪くもはっきり内容を書いてくれる方が好きな私にとって、選挙公報を読み、応援したくなった。

そうした背景と、学生部の熱気に押され、自分も支援活動をやろうと決意したことを覚えている。今年の衆院選まで何度も選挙を経験した学会だが、私は2回ほどしか熱心に支援活動を行っていない(注2)。

そんな中でもよく聞く言葉が「普段から政治や公明党のことを勉強していればよかった」という声だ。毎回毎回この嘆きは仲間から聞こえてくるが、彼らは一向に勉強しようとしない。そういう疑問を抱く中、市議との懇談の話があった。この際だから政治や公明党のことを学ぼうと思い、手にした書籍の1つが、薬師寺克之『公明党 創価学会と50年の軌跡』だった。

選書の理由は、冒頭に掲載した記事中で、下記の通り一定の評価をされていたからだ。

調べたことがある人なら知ってると思うが、創価学会の選挙活動についてジャーナリスティックな記事は多々あるものの、研究と呼べるものがかなり少ない(*3)。
もちろん 薬師寺克行『公明党 創価学会と50年の軌跡』や、 中野潤『創価学会・公明党の研究 自公連立政権の内在論理』が2016年に出版されたことで、言論環境が改善したところはかなりある。
ただ上記2冊の指摘は大枠での構造に関わるもので、個々の活動現場がどのように公明党支援を語り、支持を継続するにいたるのかについては未だほとんど明らかになっていない。

結党50年を機に公明党は『公明党50年の歩み』を発刊している。しかし私は、第三者の記した客観的でソースのはっきりとした本を読みたかった。そのため、本書を読み始めた。そこには私の知らない公明党の顔があり、とても楽しく読ませてもらった。


本書の構成

本書はまず序章で、著者の執筆当時、公明党が直面している問題を取り上げ、公明党の体質やスタンスを歴史を振り返りながら探る形をとっている。
もうひとつの特徴は、客観的かつ実証的なアプローチで公明党の本質を理解しようとしている。公明党を主語にして紡がれた現代史の世界は、本書を読むまでと全く異なる景色を見せてくれた。

結論自体は、序章とあとがきを読めば十分に理解できる形式である。ただ、本書を順に読み公明党の視点で歴史を追うことで、なぜ今連立政権に参加しているのか、「平和の党」の看板を掲げながらそれを傷つけるようなことをしているのか、など世間一般で問われている疑問への回答が得られる。


青年部員も知らない公明党の一面

学会員が創価学会・公明党の歴史を知るツールと言えば『人間革命』『新・人間革命』だ。これが学会員の間での「正史」となって学会の世界は回っている。創価学会が日蓮正宗に「破門」された年に生まれた私にとっては、「言論問題」や「第二次宗門事件」などは『新・人間革命』を読むことでしか知れない世界だ。

著者の池田名誉会長は、できるだけ客観的に事実を書こうとする姿勢は見られるが、如何せん「小説」という体裁をとっているため本当のところはわからない。特に創価学会は秘密主義なため、当時の生々しいやり取りは中々表に出てこない。出てきたとしてもゴシップに限りなく近い。

その点本書は、党大会の記録などの公の関連文書や、学術的な論考をもとに執筆されている。そのため信頼性が高い情報が並んでおり、かつ事実の著者の意見がわかりやすく記載されているため、客観的に公明党の歴史や枠組みを把握することについては都合がよかった。

例えば「言論出版妨害事件」。『新・人間革命』でも触れられてい入るが限定的だ。あくまで『新・人間革命』は創価学会の歴史について書かれているものなので、公明党に関する言及は少ない。従って「言論問題」といってもよくわからないし、上の世代に聞いても教えてくれない。

その点本書は国会でのやり取りを元に詳述されており、流れや概要がよく理解できた。結党以来、野党らしい野党として議席を伸ばしてきた公明党が、共産党を筆頭に、国会で大々的な批判を受けたことを、政局の視点から視るとどういう受け止め方ができるか。もちろん、公明党・創価学会のやり方は稚拙だが、他の野党から過剰なまでの批判をされている構図は醜いものがある。また、「言論出版妨害事件」で公明党を守ったのは政府・自民党だが、これを機に公明党は大きな借りができた。このあたり、自民党は抜け目がない。

次に、政権獲得のため連合政権構想を打ち出し、一時は革新路線をとっていたことにも驚いた。このように公明党は右から左へ、左から右へと大きく路線が揺れ動く。現在では「自民党にすり寄っている」「権力にしがみついている」とも言われる。しかし公明党の歴史を見ると、狭隘なイデオロギーや概念論には拘らず、現実主義的な動きをとっていることが本書を読むことでよくわかる。

『公明党50年の歩み』には、党の政治路線として以下のように記載されている。

政治路線としては、上記の人間主義(筆者注:<生命・生活・生存>を最大に尊重する)を基軸とし、日本の政治の「座標軸」の役割を果たすことをめざし、①政治的な左右への揺れや偏ぱを正し、政治の安定に寄与する②不毛の対決を避け、国民的な合意形成に貢献する③諸課題に対し、新しい政策進路を切り拓くための創造的(クリエイティブ)な提言を行う――との役割を持つとしている。公明党50年の実践と行動は、まさしくそれを体現するものだ。(はじめに より)

「言論出版妨害事件」から政界で生き残る術を、「連合政権構想」から「野合」は無意味ということを、キャスティングボードを握り参議院に送られてきたすべての法案の成否を公明党が握った経験から「与党的責任」をそれぞれ学んできた。それらの歴史が今の公明党に反映されている。

即ち、自らの主義主張や持論にこだわらず、重要政策以外では柔軟な対応を心掛けることで、自党の重要政策を通す公明党のスタイルは、非自民連立政権頃には出来上がっていたのだろう。


創価学会員の「公明党嫌い」

私の小さなころからの疑問に、両親が新進党を応援していた時期があったことがある。一時期だけ新進党を応援していたのに、新進党解党後は何もなかったかのように公明党を応援し、新進党の話題に関してはそっけない対応をされる。

その疑問に本書は答えてくれた。現代政治史に立ち返ればすぐわかることではあるのだが、小選挙区比例代表制が導入されたことにより、小政党の生き残りが厳しくなったこと。「四月会」を筆頭に自民党から徹底的な攻撃を受けたこと。小沢に票目当てでポイ捨てされたこと。新進党解党後、民主党から連立の話がなかったこと。単独過半数が難しくなった自民党から連立の誘いがあったこと。

これらの歴史をつぶさに追うことで、自公連立は必然の流れであり、政党としての生き残りに必死になっていた事情がよくわかる。新進党体験がどれだけ創価学会員へダメージを与えたのか想像がつく。

さて、自公連立後の公明党は自民党タカ派に翻弄される。連立当初はハト派の小渕首相だったため安心感もあったであろう。しかし、連立してほどなく小渕首相は倒れ、タカ派首相が続いていく。それは公明党にとって苦難の連続だった。

これらの流れを追っていくと、創価学会員の中でも「公明党嫌い」が一定数存在することに納得がいく。これほど右往左往する政党はない。
ただ、「福祉」「教育」といったところでは譲らないし、選挙で勝つための日程調整では過剰代表性をいかんことなく発揮する。「平和」に関しても、一時期は「日米安保即刻破棄」という姿勢から、合意形成のため、最低限のラインは死守しようとする姿勢も見て取れる。

そのあたりの評価が、内外通してどうなのか。

著者はまえがきでこのように述べている。

公明党は多くの野党とは異なる権力を持つ政党であり、公明党の判断が国民の生活に直接、影響を与えているのである。したがって国民は もっと公明党のことを知り、その活動をきちんと監視すべきである。それ が本書を書こうと思った最大の理由である。

公明党について、創価学会外部の人はまともにとりあわず、内部の人も評価が二極化しているように思える。もちろんみんな自分の生活がありライフスタイルがあるため、一政党についてまじめに学ぶことはなかなか難しいことではある。しかし、政権与党として20年弱存在している公明党をちゃんと監視できているであろうか。


ビジョンなき公明党

あとがきで著者は、権力闘争に明け暮れる政治家たちを「肉食」と評する。一方で、公明党の議員には「草食」の印象を受けるという。「草食」が自民党の猛者たちに対等に向き合うことができるのか、公明党代表の山口那津男に問いかけると、以下のような返事が返ってきた。

「公明党は野心のない素朴な人が周りに押されて選挙で当選している。与党として大事なことは、大衆の声をつかみ、信頼を得て他党の議員や官僚と議論し、成果を国民に還元していくことだ。私たちは自民党政治に対する耐性を作る必要はあるかもしれないが、そもそも自民党のようなやり方をこれからも続けることができるのか

長期政権となった安倍政権が終焉し、昨今その総括が行われ始めており、長期政権のデメリットが指摘されている。明らかにこれまでの自民党のやり方に限界が見て取れる。そんな中、首相もハト派の岸田首相に代わり、公明党としては、当初抱いていたイメージの連立がやっとできると考えているのではないだろうか。

同時に公明党の限界も見て取れる。筆者は最後にこう指摘している。

まじめに「部分最適」を追求する政党であることは間違いない。しかし、「部分最適」が、必ずしも「全体最適」につながらないことはよく知られている。

軽減税率をはじめ、公明党は部分最適を追求していく政党だという指摘はその通りだと感じる(軽減税率に関して、私は反対だが)。ただ、50年の歴史を眺める中で、政権与党として国家のビジョンや国政全般への対応をする用意が公明党には見えない。それは公明党の国会議員も認めているところである。

それは、公明党が重視する「大衆」が50年の間に大きく変容してしまったことに関係する。「大衆とは何か」。この問いは現代において非常に難しい問題ではなかろうか。公明党が直面する問題は、私たちが直面する問題でもある。


創価学会と公明党

本書は公の資料や学術的な論考をもとに、非常に精密に書かれており、公明党の歴史を通して枠組みや本質を理解するためのツールとなり得る。

一方で、創価学会との関係についての言及は非常に少なく感じる。それは、冒頭のリンク記事内でタサヤマさんが触れているように、創価学会の研究が進んでいないことや、創価学会の公の資料・学術的な論考がほとんどないことに関係している。

本書は公明党と現代政治の駆け引きについては十二分に描かれていたが、公明党と創価学会との駆け引きについては全くと言っていいほど触れられていない。かといって、ほかにまともな本もないので困ったものである。

本書を通じて、客観的に公明党を知ることができたのは非常に大きな収穫である。同時に、現実主義的な対応を続けることの大切さと、明確なビジョンを掲げていくことの難しさを知った。こうしたことを踏まえて市議との懇談会に臨み、建設的な対話ができればと思う。



注1 私の実家は辺ぴな寒村だ。小さい頃からよく本を読んでいたが、ど田舎なため情報源もロールモデルも本を勧めてくれる人もいなかった。また、地方新聞を毎朝読み込んでいたが、速報性がある記事だけでは物足りず、それらを補完するために家に転がっていた「潮」や「第三文明」で知的好奇心を満たしていた。当時の自分の世界はそれほど狭かったのだ。

注2 体調を大きく崩す時期が複数あり、支援活動どころではなかったことが大きい。



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