「広い広い背中があり」

「広い広い背中があり」

イ・ビョンリュル(1967~)

紙さばきのうまい人になりたかったり
木さばきのうまい人になりたかったり
一頃は石さばきのうまい人にもなりたいとも思ったけれど
もう悉く投げ出して

とても広い広い背中を持って
月も錯乱も捨て下ろしておいてもたれてみたらな

とても広くひりひりする背中があり
たまにはお寺のように振り向いてみても良かろうはずなのに

永く永く泣いているつもりで河水もすべて流し
手も風に洗っては干し

僕の広い背中に顔を埋め
大体三百年くらいは背中が擦り減りきるまで顔を埋めて

紙を遺(わす)れ
木も石も何もかも遺れて
とても広い背中を頼り
いずれかの一時に再び人に生まれ変わって
一人に染みついたすべてが忘れられたらな

――――――

 生きている詩人の中で一番好きな人。

 一回だけ朗読会で会ったこともある。

 京都の砂糖をプレゼントでいただいた。広島のしゃもじをあげたいな。

 私は結構スタイルが違うんで、この人を真似すらできないけど、無意識にも意識的にも真似しようとしていた時もあった。

 この方が社長を務める出版社で、彼の新刊のイベントを行うというお知らせがあった。「旅行は何か」という題であった。オフィシャルツイッターアカウントに答えればいいものであった。「旅行って、一番泣きたい世の中の終わりまで、ガソリンを注入してしまった軽油専用の車のような自分の人生を引いて行くこと。」と答えた。詩人が直接「このツイートに一瞬戦慄」とRTもした。二か月ほどたって、朗読会の知らせを聞いて駆け付けた。そこで、私を見知った彼が「あの人ですよね、あなたのツイートが断トツ1位でしたよ」と(当時自分の自撮り写真がツイッターのアイコンだった)。

 だってあの時、日本全図買って、稚内という地名を発見した。雪も絶壁も全部ありそうであった。最北端に行きたかった。カシオペアも北斗星も調べてみた。行かなかった。一つは廃線になった。けれどある知り合いの人は新婚旅行で乗ってみたらしい。

 そういうことである。この人の文はとてもとても涼しくて、浪人していた時、北海道に行きたかった。あの人の新刊詩集が去年出版されて、私のあの文章を引用しているのを見つけた。そして、いつの間にか私は詩書きを辞めた。今、私はここにいる。北海道とは反対側に。何の書かず、未だ絆とご縁のこと、好きがりながら。人とのつながりを、うまくはできていないけど、なるべく大事にしたいと思いながら。

 出版社の広告で今日あの人の詩を読んだらいろいろ思い出。それを辿り着きながら、訳してみた。

 あ、最後に。イビョンリュルさんのエッセイには、こういう一文がある。

 「札幌にいきませんか。これは、あなたが好きとのことです」

――――――

※ここに転載する過程で翻訳を大部手直しした。この文については、以下の文も関連している。
なお下の文も日本語がめちゃくちゃだったので校正した。

https://ameblo.jp/hiroshimahousen/entry-12580455686.html

https://ameblo.jp/hiroshimahousen/entry-12624846316.html

(以上、2015年12月28日・FBの投稿より前のブログに転載(2020年12月28日)したものをさらにここへ転載。この二通りのリンクも、近いうちにノートに移行させ、そのリンクに入れ替える予定)

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