見出し画像

第一章 「理想の自分」を演じることをやめる

よりリアリティを持たせるために、
この文章は援助者とクライアントによる対話形式としている。
これらの事例は、特別なものではなく、仕事や家庭などで
誰もが遭遇する可能性のある問題、ストーリーを叙述的にまとめている。
しかし、その内容はフィクションであり、人物も架空のものである点については、理解のうえご拝読いただきたい。

注意事項

1.イントロダクション

 彼は話すとき、いつもうつむき加減で、どこか自信がなさそうである。
特に大きな病気があるわけではない。
でも、彼が自分のことを話すときは、いつも視線があわないのだ。

 これは彼と面談を行った初回の記録である。
中学生の時の部活動に関する話しから、彼の両親に話題に及んだ。

 彼は父親がどのような仕事しているのかよくわからないが、
ちゃんと収入はあり、生活に困ることはなかったという。
土日以外は仕事などで出かけていることが多く、
普段から子育てについては関心がなかったようである。

一方、母親は教育熱心な人で、例えば学校の成績がわるいと、
「あなたはもっと出来るのだから」と怒られることが度々あったという。
物言いが厳しい訳ではないため、期待を込めての言葉なのだろう。
しかし現在も何か上手くいかないことがあると、
母親の言葉が彼の頭をよぎるのだという、
そのためだろうか、会話の節々で「もっと頑張らないと…」という言葉が聞かれた。

2.次第に、追い込まれていく彼

 大学を卒業して、一般企業に就職した彼。
就職活動には苦労したようだが、都内で販売員の仕事に就いた。
彼は物静かで、言われたことは真面目にこなせそうな性格である。
一方で、自分の思ったことを人に伝えるのは、
あまり得意ではなさそうに見える。

彼は就職を機に一人暮らしを始めた。
働くこと自体は嫌いではないようだったが、
新しい環境に馴染めるかどうか、
期待と不安が半々という心境だったという。

 ただでさえ顔をうつむかせながら話す彼であるが、
勤め先での話になると、さらに言葉がとぎれとぎれになった。
それでも彼は話を続けてくれた。

販売員の仕事内容としては、特に苦手意識はなかった。
しかし、1~2ヵ月ぐらいしたころから、仕事に失敗が目立つようになった。
見かねた上司は、彼にやり方を何度か教えてくれるのだが、
それでも商品の陳列や管理においてミスが続いた。

そんな日々が続き、上司もあきれたような物言いをするようになり、
職場の戦力として見てもらえなくなった。
彼は「ここままじゃいけない」とは思うのだが、
何をやっても上手くいかず、空回りな気がして。
次第に自信をなくしていった。

3.ときには期待にそむくことが必要

 彼はとても焦っているように感じた。
話し口調はゆっくりで、言葉を選びながら話してはいるが、
仕事に上手く適応できなかった自分を、
なんとなく責めるような言い方をしていた。

彼は職場でのエピソードを一通り話した後、
少し間をおいて、「どうしたらいいでしょうか?」と切り出した。
何をどうするのか、当てのないような表情と言葉であった。

私からはこのように伝えた。
まず、何をどうするか、考える時間を置いてみてもいいかもしれない。

彼は「そうですか…」と小さな声で相づちをうつ。

少し間をおいて、私は続けた。

「まずは少し、ゆっくり休養をとること。
今はいいアイデアが浮かばないかもしれないが、まずは元気になること。
もしメンタル的に心配であれば、精神科クリニックを利用してみてもいい。
その時はまた相談してくれれば」と。
彼は「わかりました…」と言い、硬い表情は変わらないのだが、
少し肩の荷が下りたように見えた。

 その後、少し話した後、諸々の連絡事項を告げた。
また状況や心境に変化があれば、いつでも声を掛けるように付けくわえ、
その場の面談を終えた。

 その場では告げなかったが、
真面目で几帳面な性格が、彼に人の期待に応えようとさせ、
頭の中で ”理想の自分” を作っているのではないだろうか。
そして何かが上手くいかなくなると、
”理想の自分” でいられていないことに、彼自身が自分を責めて、
追い込んでしまっているような気がした。

だから、彼には、誰の期待にも応えない、
自分のための休息の時間を取ることが、
まず彼には必要だと感じた。

4.あどけない笑顔が見られるまで

 その後、また彼と顔を合わせることがあった。
幾分か、表情も明るくなったように見えた。

部屋に引きこもりがちであったが、
時間がある時には散歩で日の光を浴びるようになった。
また、図書館に行き、借りてきた本を読みながら、
一人でぼんやりと今後について考えるようにもなったという。

最近の変化について尋ねると、
「休息をとるように言われたので、今は特になにもしてません」
と薄っすら笑顔を浮かべながら話していた。
今後については、特に取りたい資格があるわけではないので、
また仕事ができればと考えているという。

 彼の真面目さは持ち味であり、
こつこつとやってくれる安心感はあるので、
きっと来て欲しい会社は見つかると、丁寧な口調で伝えた。
彼は「また情報を集めながら、考えてみる」と話し、
ゆっくり自分のことを考え、向き合う時間が取れているようである。

その後、少し話した後、今後のスケジュール観をお互いに共有し、
2回目の面談は早めに終えた。

5.まとめ

 ニワトリが空を飛べないように、
人から求められても「そんなの無理だ」「今すぐには出来ない」と、
言い返さなければいけないときもある。

もちろん、できるだけの努力は必要である。
ただ、あなたにとってそのやり方しかないのか、
やりたくないのに 、”理想の自分” になるための努力をしていないか、
ときには振り返って、考えてみることは大切だ。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?