「未完」と「完成」は表裏一体?【島の画家さんに絵を依頼しました③】
島(香川県丸亀市讃岐広島)に住む画家の斉藤茉莉さん(以下、茉莉さん)曰く、
らしい。年末にお願いしていた唐辛子・香川本鷹の絵が完成したということで、「絵っていつから絵になるの?」という質問にも答えてくださいました。今回はこの問いに関する茉莉さんの解答を紹介します。
「未完」の幅
改めて、「絵っていつから絵になるの?」と問われると、紙に色が着いた瞬間から絵になっているということらしい。ただ
なるほど。美術館の完成した絵しか見ることのない私にとっては、未完の絵を見たのは中学校のクラスメイトのそれ以来かも。
ここで私が思うに重要なのは、「未完」と「完成」とはいっても、それって単純に2つに分けられるものでもなくて。すなわち、完成=100%だとするならば、完成率27%のときも、85%のときも未完なわけで、未完という言葉には幅があるように感じられるということです。
逆に27%完成しているということは、73%が未完であるとも表現できます。そのため、制作途中の絵をみるときに完成に重きを置くのか、それとも未完に注目するのかで楽しみ方が変わるのかもしれません。
でも、あれ?未完と完成を捉えるためには、完成=100%の状態を当初から把握しておく必要があるのでは?
「完成」はいつから見え始めるのか?
という課題が与えらえた場合。このとき、完成率は「現段階で、100件のうち何件を入力できたか?」で計算することができます。
つまり、そのととき30件入力を終えていれば、30件÷100件×100%=完成率30%として数値を算出できます。
でも、これはあくまで割り算の分母と分子の数が確定しているからこそ可能であることを忘れてはいけません。
とはいえ、実は茉莉さんもこの絵の製作途中、
なんてことを口にしていたような。ということは、茉莉さんの中ではある程度早い段階から完成の予想が立っていたということなのか?
「未完」と「完成」は表裏一体
茉莉さん曰く、絵の完成とは100%に到達することを指すのではなく、「最適」になることらしい。
だから、もし完成=100%という定義があったとしても、それに対して、もし80%や120%の状態が「最適」であると思えたなら、それが完成ということ。
またこれは描き手視点だけの話ですが、見る人の視点を追加すれば「なんか足りねぇな」だの「なんか蛇足が多いな」なんて評価が絵に下る可能性もあります。だとすれば、そのとき、描き手が完成と呼んでいたものは、見る側から未完と思われる可能性も否定できません。
だとすれば、未完と完成は、もはや表裏一体の関係にあるように思えてきます。
表裏一体だからこそ
昨今、絵を始めとしたアートブームが巻き起こって久しくなりました。それは、もしかする、この表裏一体の存在をアートが教えてくれるからかもなのかもしれません。
つまり、いま悩んでいることも、裏を返せば、それはそれで何かパワーを持っているということ。
自分の仕事や課題を絵として捉え直すと、完成に到達するという直線的な営みからは見えてこない、新たな価値と出会えるやも。
無論、農家や宿業を営む私が絵を描くことはありません。でも、アートの片鱗を思考に取り入れるというのは、日々の生活をみつめなおすきっかけになりそうな気がしています。
だから、私はまず、中身の見えないコップを卒業して、透明のグラスに水を入れるところから始めてみるつもりです。
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★斉藤茉莉さんについて
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仰々しく記事にしましたが、私と茉莉さんはご近所さんでもあります(笑)
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