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怒らないだけで、優しくはない

優しい人は怒って、叱る?

優しい人は意外と多い

なぜだか分からないが、私の周りには「優しい」と評される人が多い。
テレビやラジオを視聴していても、しばしば「あの芸人さんって、裏ではすごく優しいんですよ」なんていうホンワカ暴露話もよく耳にするように思う。

もしかすると、この世界は、割と「優しい」人が多いのかもしれない。

最後に怒ったのはいつ?

そんなことを思っていると、普段穏やかで優しい人が誰かに怒っているのをふと見かけた。もっと俗な言い方をすれば、キレていた。「この人、怒るんだ」と驚きながら、一方で「最後に怒ったのいつだったかな」と思い返してみた。
無論、イライラはするし、他人からすれば私が怒っているように見える場面もあるとは思う。ただ怒りを他人にぶつけていると自覚できる場面はもうずいぶん昔のことにような気がしている。
振り返ってみると、もう10年以上、もしくそれ以上の前かもしれない。

怒らないだけで、優しくはない

実はと言うと、私もよく「優しい人」と他人から言われる。ただ私個人の感覚からすれば、私は優しいのではなくて、怒らないだけだ。

私は怒るのは面倒くさいし、疲れると思うことが多い。「怒ったからって、目の前の課題が解決するわけじゃない」、「怒っている暇があれば、早く問題を片付けようよ」なんて考えている。つまり、怒ることは非生産的だと思い続けて久しい。

優しい人は怒って、叱る?

今思えば、私が知っている優しい人は、私からすればちゃんと誰かを怒っていた。言い換えれば、ちゃんと叱っていた。

先日、私の宿に大学生のお手伝いさんが来てくれていた。そんな折、彼女は私が指示した皿とは違う皿を客間に並べるというミスをした。

「運んでほしかった皿、あの皿と違うんやわ。悪いんやけど、
一回片付けてくれる?」
「すみません」
「謝らんでもええのに。間違えるときゃ、どう頑張っても間違えるからね」

なんて会話を彼女とすると、彼女は少し驚いた顔で、

「怒らないんですか?」

と尋ねてきた。正直、私からすれば、なぜ怒るのかが理解できないし、もっとも怒ることを面倒くさがる人間からすれば、怒るなんて思ってもみなかった。

今思うに、もしかすると彼女は怒ってほしかったのだろうか?
もっとも怒る・叱るなんていうことが、彼女にとってはプラスになったのかもしれない。いわば、厳しさは優しさとでも言うところなのだろうか。

優しい人は怒って、叱る?
怒らないだけで、優しくはない私には、この結論はいつになっても不安定なままだ。

(終)

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もちろん怒るが暴力や暴言になるのは絶対ダメです!

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