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私は「左折」でできている

コンビニは進行方向左側にあった方がいい。

「このコンビニ、向こう車線にあるから入るのやめとこか」

父は幼い私を助手席に乗せながら、しばしばこのようなことを言っていた。車を運転するようになった今ならよくわかる。右折で対向車線側のコンビニに入るというのは、極めて面倒くさい。なるほど、だから幹線道路ではコンビニの向かいにコンビニがあるわけだ。

そういえば、私の隣で電車のシートの一番端に座っていたあの子も、車内の踊り場で左に曲がって、左側のドアから降車した。心奪われていた私は、左目でその去る姿を追いかけた。

なんてことを左折しかできない交差点で、ふと思い出したのである。

それから数日して、駐車場から近所の図書館までの間で何回左折したのかを数えてみた。すると、1kmにも満たない距離で私は7回も左折していた。ちなみに右折は2回だけだった。おそらく距離が長くなるほど、また経由地が多くなるほど、左折する回数が増えると思われる。なにせコンビニですら左折の方が入りやすいのだから。

だとすれば、きっとこれまでの出会いと別れの大半も左折によって生み出されてきたのではないか。新しい小学校の教室に足を踏み入れた時、アポなしで見知らぬ会社に飛び込んだ時。はたまた学友たちも卒業式の後は左折で駅に向かったし、あの人が入った棺は左折で斎場を後にした。

今思うと私はこれまで何度左折してきたのだろう。そしてまた、これから死ぬまであと何回左折するのだろう。

左折すれば、新たな出会いがある。それは私がこれまでの人生で証明してきたとおりだ。そして同じ数だけの別れもある。一方で、左折しなかった方つまり右側には私にも知る可能性のあった世界が広がっていたのだろうか。

そういえば、私の視力は前々から左目の方が少し低い。
私は「左折」でできている。そう思わずにはいられない。



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