マガジンのカバー画像

こんなやつもいるから大丈夫です、知らんけど

255
日常の疑問や問題意識、抽象的な問いをあーでもない、こーでもないといいながら、簡潔で読みやすいエッセイにまとめます。 どうぞ、肩の力を抜いてお読みください。 きっと何か発見があり… もっと読む
運営しているクリエイター

#農業

分かり合えなくても、分かち合うことはできる ~「ねじれの位置」を目指して~

私とあなたは「分かり合う」ことができるだろうか。 私はこれまで、あなたと「分かり合いたい」「分かり合えるはずだ」と信じて生きてきた。きっとそれが、私にとっては、あなたという存在に関心を注ぎ続けるエネルギー源だったように思う。 しかし、25歳になろうかという頃、私はこの信念を覆すこととなる。 私は他人を理解できない私は他人を理解できない という事実を私は知らされる。発達障害。医学的な見地からの診断である。 その特徴の一つに、会話や言葉の文脈やニュアンス、また他人の顔色や

農家が収穫よりも好きなこと

「この世に在る線は全て、線分である」 高校生の時に、そんなフレーズどこかで目にした。直線とは、ある2点を通る無限に続く線である。だから、その2点は端点ではない。一方で、線分は有限で端点が2つすなわち始点と終点を持つ。 高校時代、数学の授業で配られたプリントの座標平面にはしばしば2点を通る直線が印刷されていた。しかし、それはやはり数式的には直線でも、眼前の物質的な事実としてはせいぜい5㎝くらいの線分だった。私はその後も大量の線分を直線と呼びながら高校生活を送った。 時に一

自然は私に話しかけてこないけど

そういえば、自然に私が話しかけることはあっても、自然は私に話しかけてこない気がする。 私に農業を教えてくれているおじいさんは「自然が何を言うとるかを感じて、そんときそんときに必要なことをするんや」と私に言う。もはや仙人みたいなことを言うなと思ったら、実際、先日89歳になったらしい。 よくよく考えれば、昔の山水画に出てくる仙人も、当時の平均寿命を考えると傘寿すら迎えていなかったような気もしてくる。だとすれば、彼の方がよっぽど仙人らしい。 そんなモヤモヤを抱える私の前にも自然

からちゃん、バイト卒業しました~2022年と2023年~

あけましておめでとうございます。 皆様が年末に一年を振り返り、すでに今年の目標を発表されたであろう今頃に、今年も振り返りと一年の計を書き出してみようかなと思います。 2022年・年初に立てた目標の達成状況そのほかNHKの全国・海外版で取り上げてもらったりもしました。 宿業については、2022年は特に子連れのお客様・親戚グループに多くご来宿を頂戴し、新年を迎えるパワーをもらったような気がしています。 またnoteという点でいうと、さいたまのマルシェではnoterの方が数多く来

おい、ベンツ!お前に土が耕せるのか?

近頃、同い年くらいの友人たちが、車を買ったとよく耳にする。私も27歳になるのだから、そりゃそうだ。 SUVが流行りだとか、結局高級車は乗り心地が良いよねとか。  無論、その車に何を積むのか、誰を乗せるのか。私の知ったことではない。 ただ、車を買ったというその知らせは、どこか私を焦らせる。 そんなことを、ウチのマイカーこと「耕運機」を使いながら思った。 たしかに誰も乗れないし、歩いて追いつけるくらいのスピードしか出ないけどれど、ウチのマイカーは土を耕せる。 おい、ベ

うら若いのうらってなんだ?

花も恥じらう乙女がいたり、水も滴るいい男がいるこの世の中。 慣用句にまつわる例えというのは、いつも「なるほど」と思うものです。 所変わって、畑でネギ切り。 あら綺麗。切り口から水分が出てくると、こりゃ旨そうだなと思うわけであります。「うら若いね、お前」と心の中で口にして、畑を去ると脳裏に浮かんできたこの疑問。 うら若いのうらってなんだ? いつの日か、きっとどこかで覚えたこの表現。うら若いという言葉に対して、何の疑問も持っていなかったのですが、とても若いでもめちゃ若いで

誰がために花は咲く

春になるべく多くの花をもたらすためには、すでに咲いてしぼんだ花をがくごと処分したほうがいいと耳にしました。 咲いてしぼむというと、なんだか響きが悪いですが、これは実や種をつける準備なわけで。逆に言えば、花の処分は結実に体力を使わせないということでもあります。 他方で、唐辛子農家の私は、そんな実や種を普段商品としているのです。そのため、摘まれたビオラをみて、 「種を残そうとするビオラに、花以外はお役御免。逆に唐辛子には実を残せと伝える自分のエゴは膨張しきっているな」 な

お迎え頼みますね、春さん。

「迎春言うても、アホ寒いやないか」と毎年愚痴をこぼすものでしたが、年末年始に畑に行けば「ほんまに春が来るんやなぁ」と感じたりもします。 オオイヌノフグリ、コハコベ、ヒメオドリコソウ、ホトケノザ。 3月頃から誇らしげ咲く草花が、ちょうど今、冬を様子見るようにちらほら顔を出すのです。 これまでは春を迎えるつもりで生きてきました。 だからこそ、2022年は、春に自分を迎えてもらおうかなと思います。 良いお年を。

農家の俺でも「二郎」はウマい

香川の離島で農業をしている。 自分で作物を育て食べる。 近所の人たちが野菜をくれる。 極めて充実した食生活だ。 ただ、食いたいものがある。 そう、ラーメン二郎である。 おそらくラーメン二郎といえば、「体に悪い食べ物」の代表格であろう。 ギトギトの油に、濃い醤油味、そして白い粉こと化学調味料。 大盛りの麺は、2日は炭水化物を取らなくてもいいのではとさえ思える量である。きっとオーガニックや丁寧な暮らしの対義語はラーメン二郎であろう。 農業を始めてからより一層、腹が減るように

手紙を書くために唐辛子を販売しているのかもしれない

極僅かとはいえ、「好きなこと」を暖かく大切にできるのならば、案外そんな自分を好きになれる気がしてきた 好きを突き詰める大学生ここ数日、私はハタチの大学生と生活をしている。 彼はウチの宿や唐辛子畑のヘルパーとして、2~3週間滞在予定だ。 そんな彼は初日の晩に、 と言った。たしかに好きじゃなければ、私が住む香川の離島に農作業を楽しみに現れたりしないかもしれない。 好きが何か分からない彼はやはり、 と質問してきた。ただ私はかねてより「好きなこと」が思いつかない人間である。強

ここ掘れイノシシ、奇跡のスマホ

この夏、私はスマホを失くした。しかも、畑で。 遡ること、4ヶ月。 畑作業と友はいつも私にラジオや音楽を届けてくれた。そんな友を私は畑で失くした。それから一週間、毎日畑を探してみたが、全く見つからない。ついには諦めて新しい友を迎えることとした。彼は畑で殉職したのである。 さて季節変わって秋も深まる11月。冬を迎えるせいかイノシシの活動も活発になってきた。そんなイノシシのたちの被害に悩む私は、今日も畑の見回りに。 当たり前のように足跡が付いているのをみると、胸の奥に冷や汗が

久しぶりに野菜を買うと、新しい味がした

自分が育ている作物は購入しない。 また旬ではない作物も買わない。だから、冬にナスやトマトを食べない。 そんな生活が早一年半になった。そのため、昨冬は畑のカブ、水菜、小松菜ばかりを食べていたら春が来ていた。 今年はそうも行かないらしく、当面は野菜を買うほかなさそうだ。だって獣害が出たから。 さて、そろそろ収穫するはずだった野菜を買ってみると、買った野菜、そしてその生産者に対して凄くありがたみを持つようになっている自分がいる。なぜなら、一応は私もその苦労を知っているから。

幹に実はならない

幹に実はならない、そしてまた、幹なくして実はならない。 実る唐辛子努力が実るなんて表現があるが、まさに今、唐辛子・香川本鷹は実りの時期を迎えている。夏の暑さや水枯れに耐えながら、なんとか今、収穫を行えているというわけだ。つまり、彼らの努力は文字通り、実を結んだ。 香川本鷹の発芽(4月) 栽培初期から唐辛子をみつめていると、彼らは幾度となく枝を分化させ、今の姿に至っている。1本の幹を2つの枝に分化させ、次第には4、8、16・・・と成長していくわけだ。そして、その分岐点に1

中濃ソースの凄さはド・モルガンの法則では説明できない

「とんかつソース∩ウスターソース」ということか? 中濃ソースとは何か?生きるとは何か? 愛とは何か? 中濃ソースとは何か? 私の人生における最大の謎である。 いや、ほんま、中濃ソースって何? 大阪生まれ大阪育ちの私にとっては、ソースといえばウスターソースやとんかつソースはもちろん、時と場合によっては焼きそば・お好み・たこ焼きソースなんてものが冷蔵庫に入っていた。なんなら、ピリ辛のどろソースも良い。 ソースネイティブな私の青春いわばソースの国で生まれた、ソースネイティブ