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こんなやつもいるから大丈夫です、知らんけど

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日常の疑問や問題意識、抽象的な問いをあーでもない、こーでもないといいながら、簡潔で読みやすいエッセイにまとめます。 どうぞ、肩の力を抜いてお読みください。 きっと何か発見があり… もっと読む
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#料理

分かり合えなくても、分かち合うことはできる ~「ねじれの位置」を目指して~

私とあなたは「分かり合う」ことができるだろうか。 私はこれまで、あなたと「分かり合いたい」「分かり合えるはずだ」と信じて生きてきた。きっとそれが、私にとっては、あなたという存在に関心を注ぎ続けるエネルギー源だったように思う。 しかし、25歳になろうかという頃、私はこの信念を覆すこととなる。 私は他人を理解できない私は他人を理解できない という事実を私は知らされる。発達障害。医学的な見地からの診断である。 その特徴の一つに、会話や言葉の文脈やニュアンス、また他人の顔色や

冷凍えびグラタンもおふくろの味

中学・高校の6年間、母は私に昼食用の弁当を作ってくれていた。 メニューはというと、定番の卵焼きやウインナーなどもあれば、昨晩のお好み焼きがそのまま放り込まれていることもあった。 そうした手作りの料理たちの一方で、近所のスーパーで買ったであろう惣菜や冷凍食品もよく弁当に入っていた。 いま、私は一人暮らしをしている。そのためおふくろの味なるものは無論実家に帰らなければ食べることはない。 そうした意味で「おふくろの味はなんですか?」と問われると、先のお好み焼きはその一つであるよう

SDGsな暮らしと私の”ケチズム”

ここ数年、見よう見まねではあるが自分で包丁を研ぐようになった。 そんな話を知人にすると 「めっちゃSDGsな暮らししてるな」 なんて言われてしまったのだ。 SDGsに配慮して暮らしているという自覚もなければ、そのように暮らそうとしていたわけでもない。だからこそ、今流行りのSDGsはこんなにも身近にいるのかなんて思ったものである。 私が包丁を研ぐのは、新しい包丁を買うと高いから。少し考えてみると、割とすぐに、包丁のメンテナンスを行う理由が出た。 そうだ、私はそもそもケ

それはおむすびであって、おにぎりではない

とある朝、宿の客は私に言った。高松から昨晩来宿し、これから近くの山を登るという彼女らの昼食作りを手伝っていたのだ。 そして、たしかに机の上には、明らかにサイズの違うおむすびがある。 実はというと、おむすびという言葉はしっくりこない。私が生まれ育った大阪では、米飯を丸ないしは三角に成形したそれを大抵、おにぎりと呼んでいたからだ。 ただ基本的に現在私が暮らしを営んでいる香川では、おにぎりはおむすびと呼ばれている。そのため、香川の高齢者たちは若い私に と告げる。昔の男はおむす

さつま揚げを「天ぷら」と認めた日

母の言葉とは裏腹になぜか私の前には、さつま揚げがある。幼い日の私は、毎度のように騙された気分になった。 母は生まれてこの方大阪から出たことのない人だ。そのため、多くの関西人同様にさつま揚げのことを「天ぷら」と呼ぶ。 黄金の衣をまとっているはずなのに、あの茶色で柔らかい物体が食卓には鎮座ましましているのだ。あの軽くさっくりとした衣とは、真反対の揚げ物こそがさつま揚げなのである。今思うと、当時の私はそれを天ぷらと呼ぶにはまだ若すぎた。 就職し親元を離れると、自分でスーパーに

常備菜を常備できない

丁寧な暮らしには常備菜はかかせない。らしい。 肉を焼くだけ、スーパーのお惣菜を並べるだけではいけないのだ。ちょこんとキャロットラぺや手作りチャーシューを添えてやろう。と常備菜を勧める料理本は声高に叫ぶ。 実際、日々の食事の中で「もう一品あればなぁ」と思うことは多々ある。そんなときにも、常備菜は便利らしい。なにせ皿に盛るだけでいいのだから。 ただそんな常備菜を常備できない自分がいる。常備すると言っているのに、2日もすればなくなっている気がするのだ。気がするというより、もはや

「オールシーズン対応」の私とナスのトマト煮

今年だけは、最初で最後の夏が鍋の中にいる。そう思えた。 ーーー 今年は暑い。昼も夜も暑い。 夏が来たなんていうことよりも、暑いを先に感じてしまって、今が夏であることを忘れそうなほどである。 そういえば、最後に夏を感じたのはゴールデンウイークの頃だったかもしれない。いやきっとそうだ、何せまだウチの畑に、春野菜の生き残りであるカブやダイコンが鎮座していたのだから。 なんて口にした春の終わり。このとき、夏を忘れるくらいの猛暑がやってくるなんて、誰が予想しただろうか? カブ

天ぷら120円と讃岐の国

うどんに天ぷらをトッピングするか否か。 讃岐の国に引っ越してきた私にとって、この問答は日本経済の行く末よりもよっぽど由々しき問題である。 「人生は選択の連続だ」と敏腕IT社長は声高に叫ぶ。ただうどん屋がもはやインフラと化した香川県では、県民は彼よりもよっぽど日々選択に迫られているように思う。 その選択は天ぷらをトッピングするか否かという先の根源的な問いでもあるし、トッピングをすると決めた後に「どの天ぷらをトッピングするか」という新たなる選択も含んでいる。 もっとも讃岐の

「ウチの旦那も太鼓判!」って誰やねん

ネットで料理のレシピをみていると、しばしば、 「ウチの旦那も太鼓判!美味しい煮込みハンバーグのレシピ」 なんていうタイトルをよくみかける。そして、毎度思うのだ。 「誰やねん、ウチの旦那って」 さて、事の本題はもちろん煮込みハンバーグなのかハンバーグステーキなのかではない。すなわち、「ウチの旦那も太鼓判」という表現にある。 もっとも私が素直で可愛い人間ならよかったのだが、毎度毎度例えば「お宅の旦那は、何でもかんでも不味いって口にするような奴なんか?」なんて邪推してしま

氷下魚(こまい)とアスパラを食べに来まい?【フォロワーさんからの贈り物】

ここは瀬戸内・香川の丸亀市の離島。 雪に覆われることもなければ、氷点下を下回る日もほとんどなくて、いわゆる温暖な気候。 そんな「さぬき広島」という離島に、とある魚が送られてきました。 そう「氷下魚(こまい」です。 おそらく北海道を始め北国の方以外はなじみがないかもしれませんが、これがホントに罪な奴で。お酒にとにかくよく合います。 私は大学院時代、札幌に2年ほど住んでおりまして、そのときに出会って「こんなにウマいものがあるのか」と思った食べ物です。居酒屋に飲みに行くたびに

ノーメイク男は「すっぴん料理」で恥じらいを覚えた

SNSで料理写真を投稿するとなると、いつもの料理より疲れてしまう。きっとそれは誰かに見られるという視点が自分の中にあるからだろう。もしくは見られるを通り越して、見られたいという自己顕示欲の場合もあるとは思う。 いつもなら1品しか作らないのに、写真用に数品用意してみたり。面倒な油ものにもトライしたり。誰かに見られるとなると、ここまで体が動くのだから不思議な話だ。 とノーメイクの女性がふざけ交じりに声を上げた。男で化粧をしない私にとっては、化粧の有無、もっといえば眉毛の有無が

スパゲッティサラダってサラダじゃないよね

「お前のためを思って言っているんだぞ」 喫茶店で居合わせた隣の客が、部下と思しき若手社員に説教をしていた。 かれこれ同じような話を30分は続けている。 雑誌越しに盗み見た若手社員の顔はひどくくたびれているように見えた。 「お前のため」を隠れ蓑に、上司がストレスを発散しているように思えてならない。そのようなことを考えながら、アイスコーヒーと同じくらいに冷えたホットコーヒーをぐいと飲み干して店を出た。1月にして小春日和然とした陽気のわりに、思った以上の寒気を覚えた。 この季節

卵黄だけって言われても、結局全卵入れちゃう話

「やっぱり、卵黄だけにしておけば・・・」 仕上げの卵黄お料理番組でよく見かけるワンシーンだ。実際、とろりと垂れる卵黄は濃厚な味わいをもたらしてくれるし、見た目もかわいらしい。 毎度のこと、誰かがこんなことを言う。そして、私は思う。 卵白だけ余っても困るんですけど。 卵白をそんな都合よく使いますかね?そりゃ分かる。捨てるのはもったいない。 たしかに、使い道はある。 ただそんな都合よく卵白を使いますかね? 仮に使うとしても、一度卵白を皿に移して、保存して。あー、めんどく

微炭酸な毎日を

少し前だが、宿のお客さんが缶チューハイを宿に置いていった。 「飲み切れなかったので、よければ飲んでくださいね」と。 その炭酸は、いつものそれに比べれば小さなものであった。 炭酸飲料・酒類に求めるのは、やはりあのシュワシュワ感。 私自身は、炭酸水をそのまま飲むのが好きだったりもする。他にも、焼酎割にハイボールと、そこでは概ね強炭酸の炭酸水を使うことが多い。 しかし、今考え直すと、強炭酸の炭酸水を買っている理由は特にはなかった。ただ漫然とスーパーに行ったときに「強」という文字