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私の中の「書きたい」という衝動はどこからくるのか。

最近、「書きたい」という衝動が落ち着いてきてnoteの投稿が少し空いた。書きたい、と思う時とそうではない時は何が違うのだろう。

この「書きたい」という気持ち。10代・20代のときはとても強かった。自分のホームページを立ち上げて(無料でHPを作れたジオシティーズが懐かしい時代)、HTMLを覚えて、自分の中の不安な気持ちやモヤモヤした気持ちを、詩のような言葉でとりとめもなく書いて載せていた時があった。

あんなに自分の中の気持ちを吐き出していたのに、それが落ち着いたのは、たぶん家庭を持ってからだと思う。子どもができてからはあっという間に日々が目まぐるしく過ぎていく。それまでは仕事が終われば自分の時間がたくさんあった。向き合うのはいつも自分。あるいは夫(夫の前は恋人として)。多分それだけ暇だったのだろうと思う。

子育ての時間が生活の大半を占めるようになってからは、目の前に起きることに対処する日々が続く。それまで悩んでいたような、例えば友人関係だとか、片思いのような恋愛のことに悩む、ということがすぅっと減っていった。

溢れ出る言葉を書いていたあの頃の自分を思い返すと、生産的な自分を時々うらやましく思う。でもその生産性の裏には不安定さがあった。不安定さを抱えながら生産していたあの頃のように、今もう一度なりたいか、と問われるとそれはもちろん嫌だし、今のこの生活を選ぶと思う。

こうして書いていると、何かを得るということは何かを失うということなんだな、というのがとてもしっくりくる。あの頃にはなかった「家族」という存在を得て、心の安定を手に入れた私は、不安定さを失って「書きたい」という衝動が枯れていったのだ。

だけど、今また少し久しぶりにまた「書きたい」という気持ちが出てきて、これを書いている。昔のような強さはなくても、風が吹く中にあるろうそくの火のように、時には消えそうになったり、時には明るく灯ったりを繰り返しながら、今は「書きたい」という気持ちと付き合っている。

「書きたい」衝動は昔も今も変わらずあって、ただ、火のように明るくなったり消えそうになったりしながら、今も私の中にあるのだ。

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