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Episode 389 稲妻と雷鳴の違いです。

私の住む日本海側の街は、晩秋から冬場に「冬季雷」という雷が鳴り響くことがあります。
積乱雲が発生しやすい夏場に多いイメージの雷ですが、日本海側の積雪のある地域では豪雪を呼び込む雷神様が冬場に猛威を奮うのです。

関東圏の雷と言えば「夕立ち」。
日中の暑さが地面を温めて上昇気流が発生、水蒸気が標高の高いところで冷やされて入道雲が出来上がって…なのですが、冬季雷は日本海を北上する暖流(対馬海流)の上を北西からの季節風が吹き抜けることでできるのです…なので、昼でも夜でも関係なし。
電気を消して布団に入って…瞼に「カッ!」と光が映ったかと思うと、数秒後に「ドシーン!」と雷鳴が轟く…寝入りっ端にやられるとドキドキして眠れなかったり、深夜に雷鳴で飛び起きたり。

日本語では「雷」のひと言で済まされ敢えて「稲妻」と「雷鳴」に分けない自然現象を、英語では “lightning” と “thunder” に分けるのだそう…。
目に見える光速の稲妻と、耳に届く音速の雷鳴は違うものだということです。
私はこの違いが程よく私の「理解力の差」を現わしているのだと感じることがあるのです。

先日のブログ記事では「聞く」という耳から入る情報について、理解する作業に脳内処理の能力を取られてしまって聞くこと自体が疎かになるということを指摘しました…なのですが、人間の営みは確実に「五感」という身体感覚を並行して使っているわけでして、聞くを単独で扱うことは先ず不可能なのです。
というのも、私は「聞く」が苦手と思う一方で、「見る」が得意だという自覚があるのです。
聞くには集中力が必要でも、見るは勝手に入ってくる…目と耳に同時に届いた同じ内容を理解するのに、稲妻と雷鳴ほどの理解力の差が生じていると思ってくださると分かる易いかもしれません。
小さな子どもが稲妻を見て、瞬間的に耳を塞ぐとかヘソを隠すとか…。

つまり、目から入った情報は瞬間的に理解できてしまうから、耳からの情報を待たずに思考を先に進めようとしてしまうことがある…ということ。
さらに、目からの情報が理解しやすくて「楽」だから、脳内処理の領域が視覚側に多く割り振られることも…経験的に間違いのないこと。
以前に私がお話しした「耳にスイッチがある」という話は、苦手な領域を意識しないと楽に流れるという意味でもあるワケです。

ネットの情報によれば「味覚1.0%、触覚 1.5%、臭覚 3.5%、聴覚 11.0%、視覚 83.0%」…というのが一般的な五感の配分なのだそうです。
このバランスであれば、定型と呼ばれる一般的な人の思考パタンを造り易いのでしょう。
でも私には聴覚に過敏/鈍麻があって、それ故に聴覚の割合が定型のバランスよりも明らかに低いのだろうと思います。
そして、それを埋めるように視覚の割合が高くなる…。

発達障害で語られる得手不得手のバラツキが生み出す問題とは、つまりこう言うことなのだろうと思うのです。
視覚や聴覚など感覚の過敏/鈍麻を、症状のある部位だけで考えることは出来ない。
それは経験上、間違いないことだと私は思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/12/27

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