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Episode 305 想いが声に乗りません。

私自身のイラつきについて、悲しく思うことがあります。
自分自身をキチンと目の前の相手に説明できないこと。
これが本当に歯がゆいのです。

パートナーに「私の考えていることを上手く説明できない」と言うと、まず間違いなく「普通、自分以外の人の考えをきちんと理解できている人なんかいないから」と言う答えが返ってきます。
違います、違います…そうではありません。
あなたが理解できるように説明するのではなくて、私が何を言おうとしているのか、私自身が納得できるレベルの言葉にならないのです。
その前の段階、私の中で思考を言葉に乗せて、キレイにアウトプットできないという話です。
口から出てくる言葉が、自分の意思を反映している言葉になってくれないのです。

語彙力が豊富で、表現力も豊か…本当の私はきっとそうです
自慢しているワケではありません。
でもその能力を発揮できる環境は本当に狭く限られていて、ひとりで想いを文字にして、書いては消して、消しては書いて、読み返して、読み返して、納得できるまで同じ文章を弄り倒して。
それは、たった3分で読めるこのブログのひとつの記事を、1時間かけて書くという話ですよ。
自分の想いを文章という「結晶」にするのには、そのくらいの労力がかかっているということです。

読者の皆さんにその労力を分かって欲しいと言っているのではありません。
私は、その位の労力を掛けないと自分の言葉を紡ぐことが出来ない…という事実を知って欲しいのです。
語彙が豊富であっても、表現する力があっても、それを構成するためには自分の想いを伝えるための文章を作るプロセスが必要で、そこには書くと言う作業がどうしても必要なのです。

私は、私自身が持っている語彙力や文章を構成する技術と、言葉を出し入れする会話のレベルが全く噛み合っていないと自覚しています。

日常生活の中心は「書く」ではなく、「話す・聞く」といった会話を中心にしたコミュニケーションです。
「書く」と「話す・聞く」は、言語を扱うひとつのカテゴリとして扱えるほど単純な仲間…ではないと思います。
でも、言語というひとつのカテゴリでもあるのです。

得意の中に不得意を抱えている、このアンバランスさをどのように表現したら良いのでしょう。
口から出る言葉が「極めて稚拙」な表現にしかならない…違うちがう、そんなことを言いたいワケじゃない。
まして、その口から出た言葉が相手を傷付けるような表現になるとしたら、どんなに悲しいでしょう。

得意なハズの言葉が、あなたを傷つける。
得意の中のアンバランスさがあなたと私を縛り付けるとしたら、これは悲しいことだと思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/7/16

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