見出し画像

Episode 303 冷静に煽ってしまうのです。

世界にはいろいろな言語があって、それ故に文化や慣習もイロイロとあるのだと思います。
昔、何かの本の中に「値下げ交渉」の世界観の話があったのを覚えています。
どのようにして品物を安く買うかも、地域や文化によってイロイロだ…という話です。
日本ではあまり値下げ交渉は盛んではありませんが、電化製品を買うときなどはこの手の交渉ごとが発生したりしますよね。

「もうひと声…」というのが、一番日本的な価格交渉だという気がします。
そこをどうか、もう一歩譲歩してくださいませんか…という発想に基づく交渉方法です。
私もこの商品の良さは認めているのですよ…ただちょっと高くて手が出ない。
あなたもそこを汲んで、私が納得する「手が届く値段」の提示でお互いに手を打ちませんか。

その一方で何処かの国では、売り手の価格に対して極端に安い値段を言い、お互いに折り合いのつく値段までジリジリと値段の探り合いをするという方法が普通だとか…。
「定価10,000円なんて高すぎる、6,000円だな」
「いやいや、ここにこんな高度な技術が使われているんだ、負けても9,000円までだね」
「その技術がすごいことは分かったし、その分を汲んで7,000円でどうだい?」…って感じの交渉方法もあるって。
世界は広いな…と思うワケですよ。

私は、この価格交渉の世界観が「定型の日本人社会」と「私の思考パタン」を映し出しているようだと感じたことがあります。
私は完璧主義の両極思考と言う厄介な思考パタンをベースに持ち合わせていて、この発想があなたとの意見のすり合わせを難しくしているのだと思うのです。

私はあなたの気持ちを察することが難しいのです。
だから「ちょっかい」を出して、あなたの反応を見るということをすることがあるのです。
この方法は時と場合によっては非常に有効な方法になりますが、その真逆の事態を招くこともあります。
具体的にはネガティブな反応を見ようとしてはダメだということです。
喜んでいるのか、そうではないのか…であれば、笑い話で済まされます。
でも、怒っているのかどうか…のちょっかいは本当に怒らせることになるからです。
私としては「あなたの気持ちを知りたいだけ」で、たいした意味を持たないことが、あなたを激怒させてしまうことがあるということです。

「この店のパスタは美味しかったね、評判になるのもわかるね」
「そうか?60点ぐらいじゃないの?他にも美味しい店なんかいっぱいあるよ」
今、ふたりで食べたレストランを出て直ぐにこの会話があったら…。

私としては、パートナーがどのくらい美味しかったのかを知りたかっただけなワケですよ。
でも「えー?私は90点はつけられると思うけどなぁ…」なんて、会話の方向に進むわけもなく…今の食事自体を台無しにする険悪なムードがこの後には待っているワケですよ。

「なにが不満なの?」
「不満なんてないよ、何を怒っているの?」

ちょっかいを出した反応が欲しい。
あなたが出した評価と私の評価の具体的な「ズレ」を比べるから、あなたと私の違いがハッキリするのではないか!
「えー?私は90点はつけられると思うけどなぁ…」って感じで反応があれば、「そう?どんなところが良かったの?」って話が繋がるのに…。

この場合なら、あなたにとって「味の問題」は二の次で、食事の時間をふたりで共有できたことを評価して、「美味しかったね」だったワケです。
私が実際にその店を60点と評価しようが、それは関係なく「そうだね」で終了だったワケですよ。
あなたと私の「美味しい」の感覚が違うのは当たり前のこと、あなたの好物と私の好物が一致しないのは普通のこと。
同じ基準の物差しで「美味しい」を図る必要はないのです。
私はこの辺りに「お互いの譲歩」という日本的な価格交渉の感覚を感じるのです。

反応を引き出そうとする行為は、つまり会話を「自分のフィールド」に引き摺り込もうとする…ということです。
私の得意な合意点を具体的に探っていく某国的な価格交渉の世界…。
突然、そんなところに引き摺り込まれてもねぇ…。
その日を振り返って、帰りのクルマの中で「そう言えばさぁ、今日のランチのパスタ、あれってどんなところが美味しかったと思う?」
「次に食べに行くなら、今日の店とこの前に行った店と、どっちが良い?」
「うーん、私はこの前の店に行きたいかなぁ…あの店のボンゴレ美味かった!あれには勝てないかも…。」
精々でこんなところでしょうか…。

実際にその店を60点と評価することと、その評価に相手を引き摺り込もうとすることは別の話です。
「ちょっかい」は相手の反応を見るために出すものだから、出してる方は「極めて冷静」です。
その冷静なハズの私が出した「ちょっかい」に対して、「感情的」な想定外の反応が返ってくると危険。

その一言を出す前に「反応を見ようとしてないか」と、踏みとどまることが大事だと思います。
実は私、ASD者の「キレる」の半分以上は、冷静に反応を見ようとしているだけなような気がしています。
だから「キレてない!」と言い張る、先に感情的になったのはあなたの方だ…と。

私が理解できる物差しに乗せようとすることは、極めて冷静に相手を煽っていると、自分自身も相手も、なかなか気が付いていないような気がしているのです。
だから、私の得意な某国的な価格交渉の図が頭を過ぎったら、「その方法はマズい、煽っているぞ!」と思うことにしようと思うのです。

でも、これがなかなか難しくて…。

旧ブログ アーカイブ 2019/7/14

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?