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Episode 402 繋げるものがないのです。

今年は暖冬で、私の住む地域でも降雪量が少ないのです。
1月も下旬…少なくとも数回、例年なら玄関先の雪かき作業をしていて当然の時期ですが、今年は手押し雪かき(通称「ママダンプ」)の出動回数は「0」で、生活するにはラクなのですがいつもと違うのは、ちょっと不気味で怖いかも…なのです。

降るモノが降らないワケですから、空模様もいつもと違う感じ…春っぽい淡い青空が広がってみたり、秋っぽいイワシ雲が銀色に光っていたり…。
いつもの年ならば、鈍色の低い雲が居座って、青空なんて拝めないのがこの時期の普通の空模様…日本海側の降雪地域の冬模様なのですが。
そうは言っても、やはり降雪がないのは、生活している住民としては「ありがたい!」の一言でして、営業に四苦八苦しているスキー場とかには申し訳ないのですが、今年は楽させていただいているワケです。

そんな1月のある日、季節外れの「秋晴れの薄い雲」を眺めて「さて…あの雲は何という雲だろう」って思ったのですよね。
あの「イワシ雲」っていうの?「ウロコ雲」っていうの?
あれはいったい何なのか…気になってしまって。
Wikipedia によると「イワシ雲」「ウロコ雲」は巻積雲と言うのだそうで、同じものをさすのだそうな。
そしてそれとは別に似たように見える「ひつじ雲」は高積雲と言う別のタイプらしい…!

前回のブログ記事で「ドレミ」と「ドミソ」は違うもの…という指摘をしました。
では、何でそう思ってしまうのか?
それはきっと、私のインプット能力が弱いから

多分…「ドレミ」と「ドミソ」の関係は、定型者から見たら「イワシ雲」と「ウロコ雲」の関係と同じように感じるのでしょうね、同じカテゴリの別名称くらいの感覚。
でも、私は「あの人が言ったイワシ雲」と「この人が言ったウロコ雲」の違いを探してしまうワケです…だって、もしかしたら「ひつじ雲」とか言う全く違うものかもしれないじゃないですか。

聴覚に過敏/鈍麻がある私は、苦手な「聞く」というコミュニケーションを避けて生活する知恵を身に付けてしまいました
結果的にこの感覚が対人コミュニケーションの弱さを生み出すわけですが、それ故に耳に入ったことの「正確さ」には敏感だったのだと思うことがあります。
音と映像の完全一致…という表現が分かりやすいでしょうかね。

子ども時代からのコミュニケーションの積みかさねとは、コミュニケーションの「トライ&エラー」を "Continue" するということだと思うのです。
そうやって失敗と成功を経験する過程でコミュニケーション能力を身につけていくワケです。
ところが私は苦手な聞くを回避するために「ブラックボックス」という思考回路のショートカットを使って、インプットにアウトプットを強引に短絡させる方法を編み出してしまった…。
本来経験すべき「トライ&エラー」もショートカットしてしまったワケです。

この場面で言えば「イワシ雲」という音声インプットに対しての「イワシ雲の映像」であって、「ウロコ雲」という音声インプットに対しての「ウロコ雲の映像」です。
つまり、本来同じものであるハズの「イワシ雲」と「ウロコ雲」を繋ぐべく発生するハズの経験がないのです。

なぜ別のモノと感じてしまうのか…。
その根に、五感に関する過敏/鈍麻の存在を感じずにはいられません。

生き抜くために培った「ブラックボックス」という技術が、応用範囲の狭さを作っているのかもしれない…と、私は思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2020/1/29

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