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Episode 401 「忘れる」ではなくて「違う」のです。

ASDの私は「私の人生は、"Continue" ではない "Reset" だった」という指摘を以前にしました。
これは自分自身が「失敗した!」と感じることについて、その後どのように対応するのかという点でお話しした内容です。
その辺のお話は過去記事を読み返していただくとして、このような "Reset" は日々の生活の中で数多く発生しているのだろうと思うことがあります。
私の傷になる前の話…つまり「ヒヤリ・ハット」です。

Twitterを見ていると、昨日きちんと説明して理解してもらった内容を翌日には忘れ去るASD…って類のツイートを見かけることがあります…しかもかなりの頻度でね。
これ、ASDの立場である私側からみると、昨日と今日で同じ内容だと捉えてないのではないか…って思うことがあるのです。

私は音楽が好きで…でも、音楽的な知識も才能もないのです。
いち時期、ギターにチャレンジしたこともありましたが、早々に挫折しました。
指先の器用さに関しては「平均」を大きく下回るであろう不器用でして、「B」とか「F」が難しいのはギターを触ったことがある人なら分かるであろう最初の難関なのですが、1年以上かけてもここを突破できなかった…と言えば、その才能の無さを理解してくださるだろうとおもいます。

そこに持ってきて、楽譜が読めません。
五線譜に並んだ音符…私にはマス目に入った記号に見えてしまうのです。
ひとつひとつの音符の意味することは分かります。
でも、四分音符のド、四分音符のレ、四分音符のミ…と並んでいて、それぞれの意味は分かるのですが「ドレミ」という音にサッと変換できないのです。
何回も見て練習して、その五線譜の並びが「ドレミ」で、その音までリンクして…さて、楽譜が「ドミソ」になったらもうダメです。
だってそれは「ドレミ」じゃないもの。
最初からやり直しです。
四分音符のド、四分音符のミ、四分音符のソ…と並んでいて、何回も見て練習して、その五線譜の並びが「ドミソ」で、その音までリンクして…。

私がやっていたのは「楽譜を読む練習」ではなくて、「暗譜」です。
それだけではないのは百も承知で言いますが、基本的には音符の組み合わせで出来ている楽譜の持つ意味を理解することが出来ず、その並び順で音符が描かれた楽譜だからこの曲と理解…というイメージです。
音符を見てその曲が何なのかを理解するのではなく、楽譜を見てその曲が何なのかを理解するイメージ…ということでしょうかね。

さて…昨日言われたお話しと、今日のシチュエーションはマルっきり同じかと問えば…否。
だって、昨日は昨日、今日は今日でしょ?
昨日と同じ「ドレミ」なら分かるのだと思います…でも昨日と今日は違うじゃない?

私の感覚では…昨日が「ドレミ」なら、それに似たような今日は「ドミソ」です。
同じ五線譜に並んだ四分音符のオタマジャクシ3つですが、並ぶ位置が違うから別物です。
それが分かるからこれも分かる…にはならない。
「昨日も言ったでしょ?」と指摘されて、「そうか?」と思ってしまうくらい「ドレミ」と「ドミソ」は違うもの。

私には定型と呼ばれる人には応用できる範囲を、カバーしきれていないという自覚があります。
昨日言われたことを忘れる?…ワケないじゃないですか。
そこまで記憶力が弱いとは思ってませんよ。
多分ですよ、忘れているのではない、違うものという認識なのだと私は思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2020/1/26

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