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Episode 608 違いは発見を生むのです。

ASDとひと口に言ってもイロイロな方がいらっしゃるのですよね。
このnote記事に登場するASDは筆者…主に私なのですけれど、改めて私の説明をするとですね、動作性IQ優位で三次元(3D)映像型認知を得意とする一方で、文字読みに苦手があるタイプなのです。
その他もイロイロあるのですが、今回の話題に関係がないので、割愛させていただくとしましてですね…。

同じASDの方とお話しをさせていただく機会がありまして、そのお話がなかなか衝撃的だったのですよ。
お話しの相手はAさん…そう、先日の記事にも登場したAさんです。

先日の記事でもご紹介させていただいた通りAさんは言語性IQ優位の読者家で、「読書をするとは脳内で文字(文章)から映像を再構築する作業を行うこと」…と、お話しされていたのです。
コレを認知特性的に言うと「文字や文章を映像化してから思考するタイプ」または「文字や文章を図式化してから思考するタイプ」ということなので、言語映像型認知特性または言語抽象型認知特性ということになるのだろう…と推測されます。
それを踏まえてですね…。

えーとですね。
私は文章を書くことは嫌いではないのですけど、得意ではないのですよ。

引用した過去記事は、2018年10月に書いたもの…その後noteに引越した都合で、2020年4月の日付になってますけど。
私はこの記事を書いた…という記憶があって、明確な意図を以ってこの記事を引っ張り出しているのです。
ここにはなんで得意ではない文字を使って、わざわざ言葉を紡いでいるのか…の「理由」が書いてあるのです。

動作性IQが優位で文字読みが苦手な「私の頭の中」の記憶は3D映像記憶…つまり「ビデオ映像」だと思っていただければわかりやすいと思います。
それをあなたに伝えるのに一番適しているのは、あなたに「脳内ビデオ映像」をダイレクトに発信することなのですが、コレは物理的に不可能です。

仕方がないので、私は脳内ビデオ映像の実況中継を試みるワケですね。
ところがその文章化のスキルが高くないのですよ。
必死で言葉を絞り出し、あれこれ継ぎ接ぎしながら何とか文章を組み立てる、その労力は「完成した暁」の喜びとして現れるのです。
それは「もうこの件に関しては、この表現で良し」という確定事項に近い感覚です。

ところが、ところがですよ!
Aさんは「書いた記事を覚えていない」というのですよ!
この差は、おそらく文章(言葉)をアウトプットする能力に決定的な差があるからだと思うのです。

前述した通り「読書をするとは脳内で文字(文章)から映像を再構築する作業を行うこと」とAさんは言う…ということは、インプット側は映像記憶として保管されると言う点で、Aさんと私は共通です。
違うのは、Aさんは言葉にする能力に長けている…ということ。
私が必死で紡ぐ言葉を、いとも簡単に作り上げるワケですよ。
その差は…そうですね、小学校の運動会の、小学生による「紅組、頑張って下さい、白組追い抜きました」って感じの実況中継と、古舘伊知郎氏のプロレス中継くらいあるのだと思うのです。
ただ、ライブ中継ではそのくらい顕著な差でも、文字起こしをするとその差は縮まるのですよ。
文章作成が苦手な私でも、時間を掛けることで文字の構成を練ることはできるからね。

おそらく…ですが、ポイントはココです。
Aさんがサラサラと流れるように書いた文章は、意図するものを文字にする作業として、能力的にあまりにも軽いのだと思うのです。
そうでしょう、古舘氏が一字一句を考えてプロレス中継をしてると思いますか?
それに引き換え私はと言うと、どうにかしなければならない文字を、書いて読んで消して、書いて読んで…を繰り返して「紅組・白組の実況中継」からスタートして、古舘氏の話す言葉を目指して意味の通じる文章に仕立てるワケですよ。
つまりAさんが「さらり」と一回で済ませた作業を3往復も4往復もしているということです。
ここで反復という動作による「記憶の定着」が起こるとすれば、Aさんの「忘れてしまう理由」も、私の「覚えている理由」も説明できる…と、思うのです。

ASDという「自閉傾向」の正体は、引用した記事の中で書いた通り「私の気持ちのコントロールの困難さ」という一言で表現できると私は思っています。
ただ、その傾向を持つ人の表面上で表現される現象が明らかに違うのです。
そこには個人の得意とする能力が作り出す「感覚の差」があるのだろうと。

ASDという発達障害を難しく見せている理由は、この辺りにもありそうです。
違う感覚を持つ方とお話しする機会は、自分自身を知る良い機会にもなるのだと、今回のことで私はそんなことを感じたのです。

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