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Episode 17 だから文章を書くのです。

かつての少年ジャンプの人気作「バクマン。」が好きなんですよね。
創造する苦しさとかを扱う作品って他にもイロイロあるけれど、「あぁ、こうじゃないなにか…」って描写が凄くピンとくるんです。
自分の中にイメージした「何か」を表現できない苦しさとか、思いついた後のイメージの溢れ方とか、出し尽くした後の焦りとか。
あれはシビアな商業マンガの世界ですが、きっと誰しもそんな表現しきれない何かを抱えているんだと思うんです。

自分を表現するのって難しいですよね。
ミュージシャンや画家とかカメラマン、映画監督に俳優、プロのスポーツ選手やダンサーなども…自己表現の手段を身に着けている人たちはやっぱり憧れの対象です。
そんな一流のプロでも「どのように表現するか」って、きっと悩むんだろうと思います。

私のような小市民なんか、人に誇れるような表現手段があるワケもなく、今日も安酒のゲップとともにささやかな平穏を有難く楽しむわけです。

私は人とのコミュニケーションが苦手です。
理由はイロイロあるのですが、一番大きな理由は、やはり「会話下手」ということでしょう。
どうしても「普通の人」の「普通の会話」のスピードについていけません
ズレていることに気が付いていないころは、変なタイミングで話し始めたり、話しが一方的になったりするケースがあったのだろうと思いますが、その「ズレてる感」を感じられるようになってからは、絶対に大丈夫だと思えるタイミングまで話さなくなりました。
無口とか、おとなしいとか言われる機会が増えるのは、成り行き上で仕方のないことだったとは思います。

言葉が苦手で文字が苦手な私が、山手線を逆回りしてまで文章を書いているのは、自分の表現手段がこれしかないからです。
視覚優位で頭の中は映像書庫であっても、飛びぬけた絵心があるわけではありません。
宇宙人ジョーンズとかでない限り、映像作品は1人で作れないし、制作にも時間がかかります。
その点で「書く」というのは、拙い文章であっても、1人で紡ぎ出して表現でき、少なくとも自分の納得いくところまで誰の目に触れずに書き直しができるのです。
会話のようなキャッチボールが発生しないから、タイミングという時間の制約の壁が低く、書きたい時に書けて、疲れたら止められるのです。

私は聞くことが苦手です。
言葉が苦手で文字も苦手です。
それ故に会話が苦手で、ダイレクトな対人コミュニケーションも苦手です。
でも、人が嫌いなわけではありません。

書くということは、自分の気持ちを一番素直に伝える方法なんです。
私にとって文章を書くとは、最も自己表現しやすいメディアでの自己表現です。

インプットとアウトプットの得意が、必ず一致するとは限らないのです。

旧ブログ アーカイブ 2018/10/1 

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