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Episode 229 ミックスジュースが作れません。

私の子どもたちが小さかったころ、NHK「おかあさんといっしょ」に「ぼくのミックスジュース」という歌がありました。

おはようさんのおおごえと
きらきらきらのおひさまと
それにゆうべのこわいゆめ
みんなミキサーにぶちこんで

…と歌うこの歌は、一般的な子どもの発達の状態を上手く表現した歌だと思います。
良いことも悪いことも、ひとまとめにして、ミキサーでごちゃ混ぜにして飲み干してしまえ!
五味太郎さんのこの詩は、明るく爽やかに子どものコミュニケーションの発達を表現している様に感じます。

ポイントは、良いことと悪いことを混ぜ合わせるということ。
良いことだけではなくて、悪いことだけでもない。
そこを自分で調整して飲み込むって、ものすごいミックスジュースですよ。
こうやって子どもたちは自分の中で、自分と家族で、友だちとの関係で、コミュニケーションを取りながら調整する能力を身につけて行くのだということです。

その一方で、私のように聴覚や触覚に「過敏/鈍麻」があり、コミュニケーションを「迂回」してアウトプットされる答えの帳尻だけを合わせる思考回路では、このミックスするという行為が遮断されているような気がします。
頭の中で「できる部分」だけを通過させて見かけの答えだけを合わせるわけですから、ミックスする必要がないのです。

そう考えると、私の頭の中で愛と性が別次元だったということの説明がつきます。
男性目線の視覚的な異性に対しての性欲と、女性目線の物語性のある恋愛を、相手を求めあう結果として交わらせる(=ミックスする)ことが出来ない…。
つまり、頭の中はミキサーではなくてコップ、頭の中のオレンジジュースとリンゴジュースは、いつまで経ってもミックスジュースにならないのです。

性欲の対象としての異性と、恋愛の対象としての異性を同じ「あの人」に被せられない。
性欲系の思考をするときの回路と、恋愛系の思考をするときの回路は全く別の回路を経由してしまっていたのではないか…ということです。

相手があってコミュニケーションの中で調整するということが出来ないから、答えをの着地点を用意してひとりごちの回路で答えに到達しようとしてしまう
傍から見て「意見を聞かない」とは、頭の中のミキサーが働いていないか、能力がとっても小さいのか…。

恐らく、定型者から見てこの部分はかなりイライラする部分なのでしょう。
その場の雰囲気がとても大事な「恋愛」が上手くいかない人が多いのは、きっとこんなことだと思います。

ASDの人が恋愛で上手くいくには、自分がASDであるとキチンと理解するところから始めなければならないと思います。
大好きなあの人とずっと上手くいくために、幸せをつかむために、勇気をもってASDと自覚することが大事だと思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/5/1

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