「人生はあっけない」と戦争を振り返ったおじいさんは言った。
人生をもっと面白くしよう。私はおじいさんの話を聞いたときにそう思った。
私は仕事柄、ご高齢の方とお会いする機会が毎日のようにある。彼らと会話をしてみて思うのは、いくら歳を重ねようとも、人はやはり人なのだということだ。
ドラマや漫画などでは、年寄は人格者として登場することが多い。長い人生の中で酸いも甘いも噛み分けてきた年の功で若輩者を導いていく・・・そんなイメージだ。
しかし、当然ながらそんな人格者はごく一握りだ。歳を取るということは、今日という日を積み重ねていくということであり、蝶のようにいきなり羽化するわけではない。人格者になれるかどうかは、”今日”をどのように生きてきたかにかかっている。
そして人格者かどうかなんて、私にとっては基本的にはどうでもいい。
菩薩のように優しい人もいれば、子供のように短気な人もいるし、家族に囲まれて幸せな人もいれば、天涯孤独な人もいる。
彼らは私たちと同様に個性にあふれているし、だからこそ、私は彼らが大好きだ。
さて、私は彼らの辿ってきた人生について傾聴する機会が多い。一人息子が結婚詐欺に合ったという人もいるし、娘に家を放火されて2階から飛び降りてなんとか生き延びたという人もいる。人生を長く送っている分、エピソードには事欠かない。
また、そんな有事を通して彼らがどのような思考をし、決断してきたかを知るのも大変勉強になる。
今日も、あるおじいさんから昔話を聞いた。
彼が7歳の頃、世界は戦争真っ只中だった。彼の実家は都心の一等地にあり、かなり大きな屋敷だったそうだ。当時はなにも思わなかったそうだが、後々自分の家はかなり大金持ちだったんだと気づいたそうだ。
そんな立派な屋敷も、空襲によって全て燃やされてしまったという。あたり一帯が火の海になるなか、人によっては逃げずに家の周りにロープを貼って土地の所有権を主張する人もかなりいたそうだ。全て燃えてなくなったとしても、そうしておけばどの範囲が自分の土地だったかを後々示せるからだ。
しかし、そういう人たちは、ほとんど空襲に巻き込まれて死んでしまったという。おじいさんの家族は土地なんかよりも命が大事だとまっさきに逃げ出したそうだ。
おじいさんはそのとき、命の価値というものについて考えたという。
命からがら逃げたおじいさん一家は、山の麓にある防空壕へ逃げ込むことにした。中にはすでにたくさんの人がいたが、おじいさんたちを追い返す人は誰もいなかったという。皆一様に壁にもたれかかったまま俯いていたそうだ。
しばらく休んでいると、おじいさんは異変に気づいた。さきほどから誰一人として動く気配がないのだ。不思議に思ったおじいさんは近くにいた人の顔を覗き込んだ。その人は目を開けたまま、事切れていたという。慌てて他の人達も見てみると、全員が死んでいたという。
おじいさんたちが来る前に、米兵によって毒ガスを放り込まれ全滅したのだそうだ。
もしもあと数時間前にたどり着いていたら、自分も死んでいたかもしれない。そう思うと背筋が凍る思いだったという。
他にも人には言えないような悲惨な光景を色々目にしたらしい。そんな経験をしたおじいさんは、人生はあっけないものだと悟り、ひたすら目の前のことを必死にこなしてきたのだそうだ。
笑いながらそう話すおじいさんを前に、私は返す言葉がなかった。
人付き合いに悩んだり、自分の存在価値がないと嘆いたり、そんなことで「人生は不条理だ」と拗ねていた自分は、一体なんなのだろうか。
命が失われるかもしれないという極限の状況を生きたことがないから、ぬるま湯でも熱湯のように感じてしまうのだろうか。
今の時代の悩みは、今の時代を生きている人にしかわからない、とは思う。しかし、戦争という強烈な体験を経た彼らの言葉には、明らかに世代を超えた重みがある。
人生はあっけない、とおじいさんは言った。ならば私は、もっと人生を面白くしようと思う。「何か面白いことが起こらないかなぁ」と受け身で生きるのではなく、自分で切り開くのだ。
もしかしたら明日死ぬかもしれない。そんな現代では冗談で済まされるようなことも、かつて笑い事ではなかった時代があった。
人生が急な終焉を迎えた時、私は自分の人生について納得することができるだろうか。他人の評価ばかり気にして自分のやりたいことを制限してきたこの生き方を。
人生はあっけない。
ならば、その日までしぶとく生きてやろうと思う。
大事なお金は自分のために使ってあげてください。私はいりません。