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そうは思いづらいけど、やっぱり親ガチャは全部「当たり」だと思う

最近話題になってる、親ガチャについて。「親ガチャ外れた」と言っているイマドキの若者たちに語りたいことがあるのですが、周りにいないので、ここで勝手に語りかけます。笑

そういうことあるよね

「親ガチャ外れたって感じたか。そっかー、まあそういうことってあるよなぁ。僕も親に対して、『もっとこんな親だったらよかったのに』って思ったことあるよ。てか、かなり多くの人が1回や2回は思ったことあるんじゃないかな?

なのに大人はイチイチうるさいよなぁ。『親ガチャ!なんて失礼な言葉。けしからん!責任逃れだ!』みたいな声よく見るよ。いやこの言葉って、基本は仲間内でちょっとした不満をボヤくときに使う言葉であって、そこまで深い意味はない場合がほとんどじゃんね。別に大人に直接言ってケンカうってるわけでもないのに、なんで大人はそれを変に取り上げて、つっかかってくるんだろうね。

あと、親ガチャけしからんって言う大人を、さらに批判する大人もいるよね。『虐待する親はどうなんだ!』みたいな感じで。『いやいや、こっちはそんな意味で言ってないんだけど 』と思わん? この批判もなんかズレてるというか、他の目的のために、拡大解釈してるような印象をうけるんだよね。『うちらの言葉を、他者へのマウンティングのネタに使うなよ』とか思われてんじゃないかな.. 

なんかこんなん繰り返すうちに、君らに『大人はダメだ、話通じねぇ』と思われて、信頼感を失うのが怖いよ(。。)

ところで、「親ガチャ」にも思うところがある

ところでさ、親ガチャってなかなか絶妙な表現だけど、微妙に的を得てないというか、適切じゃない部分があるね。だって『この親でよかったかどうか』って、ガチャの良し悪しみたいに、簡単にわかるもんじゃないじゃん。
きっと君も、昔は親のこと大好きだったでしょ。当時は幼くて色々見えてなかったから『大好き!』と思ってたけど、成長していろんなものが見えるようになってきて、段々『あ、うちの親ダメじゃん』と思うようになったんだよね。じゃあ今後成長していく中で、逆のことが起こるという可能性も否定できないでしょ。いまは見えないものが後から見えてきて、『この親でよかった』と思えるかもしれない。だから、親ガチャ外れたって言うのはまだ早いよ!後で、実は当たりだったと気づくかも。

聖書読んだら、親ガチャって全部「当たり」だと思った

そして僕は、個人的には全ての親ガチャは『当たり』だと思ってるよ。

僕は聖書っていう世界最高の本に書いてある神様を信じてるんだけど、この聖書によると、自分の周りにいる人っていうのは、神様が僕らのために、計画的に与えてくれる人なんだ。そして、神様は人間のことが大好きだから、『よし、こいつに最悪な親を与えて不幸にしよう』とは絶対に思わない。必ず、僕たちにとって最高の(=当たりの)親を与えてくれる。

でも神様って、人間とは桁外れに広くて高い視点を持ってるから、僕らにはその計画の意味がよく分からんときがあるのよ。だから、一見『いやこんな親、当たりなわけないじゃん。外れでしょ』と思えるような親を与えたりすることがある。でもそれは、僕たちが分かんないだけで、神様に問題があるわけじゃないのさ。

あの人が君の親であるということには、必ず良い意味がある。そのことを信じて、『じゃあその良い意味ってなんですか』と、真っ直ぐな心で神様に問いながら生きていくのであれば、いつの日かその答えは絶対にわかるよ。

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聖書的には親ガチャは全部「当たり」になるように仕込まれているわけだから、ガチャとしてはだいぶ問題があるよね。笑

たとえ、明らかに外れに見える毒親でも

すごく言いづらいけど、それが、例えば暴力を振るうようなヒドい親であっても、そうだと思う。僕は当事者じゃないから、こんなことを言う資格は本来はないんだけど、その人たちだって 『神様、この人が自分の親であったのは良いことでした。感謝します』と思えるようになると信じてる。どうしても押し付けがましく聞こえてしまうかもしれないけど、そんな『あり得ない』と思えるほどのことが起きるほど、聖書の言葉はパワフルなんだ。そのことを伝えたかった。

そういう親のもとに生まれて育った人の傷を思うと本当に胸が痛むし、神様マジなにしてるんですか、という気持ちにもなる。でも聖書は、『神様は、私たちの目にはどんなに悪く見えることでも、良いものに変えてくれる』と約束しているんだ。このこと知ってたら、無敵だよ!人生どんな悪いことが起こっても、僕らの勝ちだからね。

僕も種類は違うけど、両親に関わる出来事で、大きな痛みを経験したんだ。でもその痛みは、神様が全部良いものに変えてくれたよ。

暑苦しくなりすぎたね!笑 いや実際はさ、君らが親ガチャという言葉を使う時に、深い意味がない場合がほとんどだってのは分かってるんだよ。でもなんか色々考えるきっかけになったから伝えたよ。てか聖書マジ最高だから読もうよ! :)」

聖書の言葉

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「自分がしてほしいことを、他人にもしなさい」って、結構よく言われることだよね。このことは聖書にもはっきり書いてあるよ。でも少なくとも、親ガチャの件に関しては、日本の大人たちは若者がしてほしいことを全然してくれてないよね。大人は「身内の中で使われてるスラングを拡大解釈して、第三者に批判してほしい」なんて、絶対に思ってないよ。きっと、大人は君たちのことを理解しようとさえしていない。 でもさ、大人に限らずだけど、人って色々な問題を抱えてる存在なんだよ。申し訳ないけど、寛容な心でゆるしてやってくれ。

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これはイエス・キリストが語った言葉だよ。「あなた」ってのは神様のことだね。イエスが、自分の周りにいた人について「神様が世界から選び出して与えてくれた人」とか、「私に委ねてくれた人」だと考えていた、ということがわかるね。このように、自分の周りにいる友人・同僚・家族といった全ての人が、神様が私たちに与えてくれた人なんだ。僕らにとっては周りの人って、ガチャみたいにランダムに手に入れるものだと思えるけど、背後では神様が超意図的にアレンジしてるんだよ。

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この箇所はぱっと見ではピンとこないかもしれないけど、要するに「僕らを危険な状態から救うために、自分の最も大切なものを犠牲にした」ということだよ。自分にとって一番大切なものってなに?それを、誰かのために諦められるかな?神は僕らのために、一番大切なものを諦めてくれたよ。なぜなら僕らを愛してるから。

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これは創世記に出てくる「ヨセフ」という人の言葉なんだけど、彼は若い時に兄弟に騙されて、外国で奴隷にされるというとんでもない目にあったけど、神様の計らいで最後はその国の総理大臣的なポジションになって、その国と自分の故郷の危機を救ったという人だよ。 自分を騙した兄弟に対して、この言葉を言ったんだ。人の悪意によって起こった出来事を、最終的には良いことに変えてくれるのが神様。どんな出来事も良いことに変えられるんだから、どんな悪いことが起こっても落ち込む必要ない。これ知ってたら最強だよ!

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さっきのヨセフの言葉と関連することだけど、全てのことは回り回って僕らの益となるんだよ。僕も去年コロナ関連でいろいろあってめっちゃ辛くて、鬱っぽくなったんだけど、いまはあのとき鬱になりかけてよかったと思ってる。当時は本当に辛かったけど、それを通して価値観の歪みに気づけたし、ある意味生まれ変われたからね。いま人生を思い返すと、こういう「ネガティブだと思ってたものが、後からすごいポジティブに変わった」ということが、自分の人生にはたくさんあったなぁと感じるよ。

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ヒドい親のもとに生まれ育った人についてもう一言だけ。よくわかんないかもしれないけど、僕らの本当の親って神様なんだ。両親は「この地上で、親として僕らの世話をする」という役割を与えられた存在なんだ。正直、この世話人がいつもよい世話人とは限らない。でも、僕らの本当の親である神様は必ずよい方で、僕らのことを愛してくれる存在なんだ。 そのことを知り、本当の親である神様の愛に触れる時、傷ついた心が癒され、本当のアイデンティティを手に入れるよ。神様は悲しむ人や傷ついた人を、喜びで満たしてくれる存在だよ。

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