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2021年のセンス・オブ・ワンダー

2021年、新年あけましておめでとうございます。

年末は随分のんびりとすごしました。
風邪を引いていたこともあって、やらなきゃいけないことをできるだけ手放して、ゆるりとやりたいことだけを。
浴びるように音楽を聴き、気の向くままに本を読み、琵琶湖の風景を感じながらドライブし、インスタで心惹かれるアート作品や写真を探す。
年越しは家族の寝静まった自宅でジャニーズカウントダウンと共に。その後はKEEP ON FUJI ROCKIN'Ⅱに移って年明け一発目のTempalayのライブを楽しんでから就寝。

そうして迎えた新春の朝。
いつものように音楽を聴きながら朝食の支度(今朝はお雑煮)をしていた時のこと。

ここ最近で触れてきた音楽や本、自然など、様々なものたちへの感覚がぶわっと蘇ってきた。
もちろん、触れるものによってそれぞれ感覚は違うんだけど、それらの根底にある共通した感覚。
むずむずするような、わくわくするような、吸い込まれるような感覚。圧倒されて、それでももっともっと先へと進みたいような感覚。

すると、ふっと、
センス・オブ・ワンダー
ってことばが私の中に降ってきた。

センス・オブ・ワンダーとは、神秘さや不思議さに目を見張る感性のことだそう。
「沈黙の春」で有名なレイチェル・カーソンの遺作のタイトルでもあるけれど、残念ながらこの本を読んだことはない。(今年読もう。)

ああ、本当にそうだな。
このことば、すごくしっくりくる。
私、いつも不思議がっている。
そして、びっくりして、その対象を、その感覚を、尊んでいる。

音楽を聴いているときも、
ことばを読んでいるときも、
アートと向き合っているときも、
コーチングをしているときも、
コーチングを受けて自己探求しているときも、
自然を感じているときも、
どこかでこのセンス・オブ・ワンダーが働いている。
そして、そこで起こる感覚が、感情が、ことばに収まりきらないことが、不思議で果てしなくてたまらなくて、でもやっぱりことばにできるようになるんじゃないかと期待している自分がいる。


これはコーチングをしていてよく感じることなんだけど、問いに答えるということは、決して正解を求めるということではない。
答えるということは、たぶん、選択すること。
話すということ自体が、自分の中の何かを選んですくい上げてことばにしていく行為だ。
そして、答えることは、今はこれを選ぶという意思を持って進んでみること。
でも、その選択は絶対ではない。選んでみる、進んでみる、その先を見てみる、それでいい。
そうすれば、その問いは閉じない。
進んでみた先には、きっとまた新しい問いが見えてくる。
そうやって、閉じない問いは増えていく。
それは、それによってパンクしてしまうようなことではなくて、宇宙が広がり続けるような自然なこと。
そんな宇宙がひとりひとりの中で広がり続けている。
途方もない、けれど、なんて面白いんだ。センス・オブ・ワンダー。


「感性」ということばはあまりに広くてとらえどころがないから、「自分の感性を大切にしようね」なんて言っても「そりゃごもっとも」的な、つるっとした正義みたいな手触りですり抜けていってしまうんだけど。
「自分にとって大切にしたい感性って何?」っていうことが見えてきたら、きっとそれは手触りのある、ぎゅっと握りしめて生きていけるようなものになるかもしれない。

うん、2021年、良いスタートなんではないかな。ハッピーニューイヤー。

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