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公務員のいいところ

 公務員でよかったと思うことは枚挙にいとまがないが、思いつく限り挙げてみようと思う。


① それなりの給与
 実は大手企業と比較しても遜色ない水準。民間企業の給与明細を見る機会もないではないが、みんなが知っている有名企業に総合職として勤めている方で、年齢が私とほぼ同じなのに、私よりも給与水準が低い人はザラにいる。23区内の官署に勤務する国家・地方公務員なら地域手当が20%フルでつく上、今は残業代も満額支給される。残業が多ければもちろん、若いのに高収入と言って差し支えない水準になってしまうが、月の残業時間が10時間~20時間程度でもそこそこの暮らしができる水準にはなる。23区内勤務の国家なら、キャリアでもノンキャリアでも20代後半~30前半で600万の水準には届いてくるし、本省でバリバリやってれば+100万程度にはなる。


② 休みが取りやすい。
 役所によりけり、部署によりけりかもしれないが、少なくとも私が勤めている役所では、思い立ったらパッと休暇申請できる。明日休みたくなった時はもちろん、今日は体調悪いから午後休取るわー、でも全然かまわない。それをとがめる者は誰もいないし、むしろ周りの上司もちょくちょく時間休を活用している。ちなみに、一時間単位で休みが取れる。


③ 信用の塊。
 公務員というだけで社会的な信用が半端ない。勉強ができると思われる。真面目とか言われる。加えて住宅ローンはまず落ちない。普通に生活していて身の丈にあった買い物をする限りまず弾かれることはない。なんならタワマンも単独でフルローン組める。私がタワマン買った時には紹介されたすべての銀行(もちろんメガバン含む)で単独フルローン組めました。


④ ノルマがない。 
 これはそう。ノルマが達成できるとか、できないとか、そんなつまらないことを考えながら仕事をする必要はない。確かに人事評価制度の中で数量的な目標値を設定することはあるのだけど、それが達成できなかったからといってペナルティがあるわけではなく、達成できたらめちゃくちゃ褒めてくれる。そういう意味でのノルマのようなものはある。しかし、自分が好きになれない商品を他人に宣伝する必要もなければ、人様に媚びへつらって自分たちの商品を何とか買ってもらおうと汗をかく必要はない。これは意外と大きいと思う。言い換えると、公務員には営業の苦労は一生理解できない。


⑤ 仕事が楽しい。
 公務員の仕事は端的に楽しい。なぜならスケールが大きいし、国家や地方行政や国民の身分関係といった、現代社会の本質的な仕組みに携わることができるからである。民間が相手にする顧客はビジネスを介した私的な繋がりでしかないが、役人の仕事はビジネスとはまったく異なる原理で動いている。自分たちとクライアントだけが儲かる仕組みを作ればよいのではないし、お金儲けのために道を踏み外す必要もない。朴訥と、淡々と、国家のために仕事するのみである。これは、普遍的な道を歩む、ということであり、何かと迷いがちな人生の指針となるものでもある。国家や何らかの行政機関が存在しない世界を考えることは難しい。人類史の上で普遍的な仕組みに携われる身分を得るというのは、それがたとえ末端の仕事だとしても崇高なものである。


⑥ キャリアについて心配する必要がない。
 よく、公務員はつぶしが効かない、と言われる。その通りである。なぜなら、終身雇用を前提としたシステムの中で与えられた役割を演じながら(まさに「役」になりきりながら)ジョブローテを繰り返す役人の世界に、キャリアアップとかスキルアップとか転職とか、そういう概念は存在しない。確かに、器用な職員はたくさんいて、なんだかんだでみんな何らかの国家資格を複数持っていたりするのだが、そうした能力が自身のキャリアや昇給に反映されることはまずない。つまり、資格なんか取っても無駄である。しかし、無駄とわかっていても取る人は取るのである。なぜなら、その方が仕事が楽しくなるからである。自主的にキャリアプランを考える必要性がないからこそ、あえてプラスアルファの楽しみを求めることができる余裕も生まれやすい。真面目にコツコツやるタイプの人が多いのもそういう傾向に寄与している。


⑦ 親を安心させられる。 
 これは意外と一番の理由かもしれない。地方公務員でも、国家公務員でも、特に地方出身の人だと、公務員として毎日真面目に働いている、というだけで親を安心させることができる。何なら働いていなくても、公務員でありさえすれば親は安心してくれると思う。私が国家公務員になって東京で働き始めた時には、うちの祖母は毎日のように近所の人や配達のニイチャンに「うちの孫は国家公務員でねえ」なんて自慢していたらしい。恥ずかしいったらありゃしないが、祖母が死ぬ前に孫が国家公務員になって働いている姿を見せられてよかったと思う。私も、自分の子供が公務員になってくれたら何だかんだで安心すると思うし、絶対に辞めないでくれ、と思うだろう。そして、私の人生も仕上がったな、と思ったりなどするのであろう。


⑧ モテる(人による)
 公務員という属性だけで一定の需要はあるというか、少なくとも「品質保証」にはなるわけで、「サラリーマン」だと十把一絡げだが、なぜか公務員は「公務員」という別枠のカテゴリーで評価してくれるのである。あとは自分の努力次第です。


⑨ 世の中の情勢の大抵のことが自分の仕事に関わってくる。
 ニュースを見ていても、見なくても、世の中の動きはダイレクトに公務に影響してくる。自分に関わりのないことはない、といえるほど、公務員の仕事の幅は広く、深い。自らの人生をこの国の歴史と共に歩ませたいのなら、公務員ほどそれに適した仕事はない。毎日の仕事がこれ、歴史を造る営みに他ならないのだから。


⑩ いろいろな人生を知ることができる。
 公務員は客を選べない、とよくいわれる。これもその通りである。しかしそれ故に、様々な人情に触れることができるのも確かである。普通に生きていたら絶対に出合わないタイプの人とサシで話す機会もできるし、世の中こんな人もいるのか!と毎日驚くこと千万である。新たな発見や驚きがない日はない。日々、仕事をしているだけでこれだけ多種多様な人々に触れ合える仕事は公務員の他にないかもしれない。これは、直接地域住民と触れ合う基礎自治体の職員に特に当てはまるかもしれない。世の中いろいろな人がいることを知ることは、それだけで人生得した気分になるものである。


⑪ 安定している。
 あえて書くまでもないと思うのだが、つまり給与が下がることは基本的にない、ということである。古き良き年功序列体系を残す公務員のヒエラルキーにおいては、歳と共に給与が勝手に増えることはあっても、仕事ができないからという理由だけで給与が下がることはない。40代~50代にもなれば、コストパフォーマンスが極めて悪い職員もたくさんいることは確かだが、裏を返せば、そうした職員を飼っておけるだけの余裕が組織にあるということでもある。将来はどうなんだ?と思うかもしれないが、将来的にもこの仕組みが大きく変わることはないと思っている。ジョブ型雇用なんぞ公務の世界には無縁であり続けるだろう、という確信がある。そういう世界で生き続けたい人には極めて適した職場だといえる。


⑫ 自分のペースで人生の課題に取り組める。
 なぜ仕事をするのだろう、とか、人生とはかくあるべきか、とか、歴史とか哲学とか、じっくり腰を据えて考えてみたいテーマが人生にはたくさんあると思う。そのようなテーマに取り組むのに、公務員という仕事に就いている人は向いている。なぜなら、仕事そのものがそのような普遍的なテーマに接しているからである。民間では、やれ年収だの、コスパだの、転職だの、スキルアップだの、目先の実利的な目標に目が行きがちであるし、ネットでもそのような言説が喧しいが、長い目で見た時、数年単位での年収の違いなど取るに足らないものだし、コスパだの転職だのスキルだの、いろいろこまごました小手先の話をしたところで、で、それって人生にとって何?とか、国家や人類の歴史に何か関係のあることなの?と思ってしまうのである。長い目で見た時に、普遍的な仕事に関われること。これほど安定的に幸福な気持ちをもたらしてくれるものはない。わずか数百万の年収の違いで人間のスペックを比べている連中を見るにつけ、スケールが小さいな、まるでどんぐりの背比べだな、と思ってしまうのである。


⑬  単純に、公務員である自分が好き。
 自分が公務員である、という自覚は、それだけで心のお守りになるものである。プライベートでも、ふとした時に、あ、そうだ、俺公務員だったわ、と思い出す。これが実にいい。休日にこの瞬間を迎えるために平日の労働があるとさえ言える。公務員の休日はすばらしい。それだけは確かだ。



以上、くだらない駄文もこの辺にしておこうか。

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