見出し画像

②【朝倉大輔 先生】宝生流能楽師をもっと身近に。

画像1

宝生和英宗家の書生として能楽堂に住み込み、公演やワークショップで各地を飛び回っていらっしゃる朝倉大輔先生。「鞍馬天狗」の花見児で初舞台を踏んだ大輔先生は、2021年2月20日(土)の五雲能において、同曲のシテを勤められます。今回のインタビューでは、普段詳しく明かされていない内弟子生活について、また、子方時代からシテを勤めるまでの心境の変化などについてお聞きしました。


――大輔先生は、内弟子生活はいつごろからスタートされましたか。
2013年の3月で芸大を卒業しまして、4月の1日から正式に住み込みました。今度の4月で丸8年になります。


――今は大学を卒業されてから内弟子に入る方が多いですか。
はい、基本的にはそうです。ただ、今はもう人数が減ってきているので、現在芸大に通っている子たちは、これから3年生、年齢でいうと20歳なんですけど、彼らも住み込みにするか、という話にはなっていますね。

昔は中学生や高校生から内弟子に入ることが多かったみたいです。それこそ、佐野由於先生は中学生から東京に来て、能楽堂に通われてたみたいですけど。

私は東京に実家があるので、いつでも能楽堂に来られるということで東京藝大卒業後になりました。ちなみに私が来たときは人数が多かったんです。12人いました。今は3人です。年々減ってきましたね。みんな卒業していっちゃって。


――大輔先生が住み込みを始めたとき、独自のルールなどはありましたか。
ありました。例えば、それぞれの衣服を洗濯するにしても大変でしたね。今、ここでは2台の洗濯機を共用で使っています。 なので、自分が洗濯したい時に、誰かが洗濯機を回してそのままになっている時は、中に残っている洗濯物を見て、だいたい誰のものかというのを判別していました。その先輩の所に行って、「洗濯機空けていいですか?」と聞きます。そうすると先輩が「あ、悪かったね」と洗濯機に残っていたのを乾燥機に入れてくださるので、その後にすぐ私が洗濯して干すという。だいたい誰のものか見たらすぐ分かってました。シャツからパンツまで(笑)。


――夕飯はどのように担当するのですか。
基本的に序列で一番下の人たちが先輩たちの分のご飯を作ります。先輩たちに「何が食べたいですか?」と聞いて、「何でもいいよ」と言われたら、適当に作って。「~が食べたい」と言われたら、インターネットでレシピを検索して作ります。

内弟子が10人を超えていた時などは、お肉とかも一晩で3㎏とか食べちゃいます 。同期と2人で買い出ししに、秋葉原まで行ってました。安い所じゃないと、食費もひっ迫しちゃうんで。たくさん食材を買ってその日のうちに食べきっちゃうんです 。

あとは、 火曜日の晩に蔵の出し入れがあるので、ぱっと食べてぱっと片づけられるもの、ということで、その晩はカレーですね。やっぱり最初、カレーを作り始めると、いろいろ凝るんですよ。スパイス入れてみたり、ソース入れてみたり。でも、結局、ルーの分量通りが1番うまいんじゃないかということが発覚して、それ通りに作って。作る人によってはいろいろ変わりますよね。

このような大量の買い出しというイメージしかないので、3人分とか無理なんですよ。作れないです。どうやっても、「これ量多くない?」っていう。スーパーだと2人分とか売ってますけど、それだと高くなっちゃうんで、どうしよう、と。


――このコロナの状況下で、内弟子生活に変化はありましたか。
緊急事態宣言が出た時、仕事が全部なくなっちゃったんですね。それが丸々2ヶ月、本当に何もなくて、「どうしよう」「今日も暇だな」って。でもやっぱり、ご飯は食べないとダメなので、その都度どこかに買い出しに行って、みんなで交代で作ってましたね。

出前やデリバリーを頼みたかったんですけど、店屋物だと栄養面とかどうしても偏ってしまうんですよね。 そこで必死に料理動画見て勉強しました。生姜焼きの作り方とか。


――内弟子生活の中では、料理が一番の思い出ということですね。
料理が一番印象に残ってますね。「同じ釜の飯を食う仲間」っていうのは一緒に住んでいない限り無理じゃないですか。全くの赤の他人と一緒に暮らして、一緒にご飯を食べて、一緒に片づけをして、っていう生活が1番印象に残ってて。

その期間少しでも一緒にいて、同じ釜の飯を食った人と、そうじゃない人とはやっぱり明確に気持ちの問題というか、人に対する思いが 全然違いますよね。たまには一緒に銭湯に行ったり、「ちょっとサウナ行こうか」と 、裸の付き合いをしたりし ました。そういう人との関わりというのが1番濃い時間なので、理不尽なことを言われることもあるし、先輩から受けた嫌なこととかも 覚えています。でも、「じゃあ、それをこっちがやんないようにしてあげよう」という気持ちの方が強いですね。後輩に仕返ししてやろうというのではなくて。この気持ちや経験は、今後の生活にも役立つんじゃないかな。


――能楽堂に住み込みということですが、大輔先生が寝泊りされていた場所はどちらですか。
ここですね(稽古舞台のすぐ横のスペースを指す)。ほとんどこの辺に布団を敷いて寝てたんで、書生の3分の1の時間をここで過ごしてました。私が書生に入った当時は12人いたので、スペースがないんです。能楽堂の書生部屋は6畳間と8畳間しかなく、結局2人か3人しか寝られないわけですよ。湯島のお家元のお宅には2人ないし3人留守番隊として行ってましたが、残りの3人どこかで寝ないといけない。1人は「宿直部屋」といわれる部屋で、残り2人はこの稽古舞台になりました。楽屋で寝るわけにもいかないので(笑)。

画像2

――大輔先生の子方としての初舞台は「鞍馬天狗」。そして今回の五雲能ではシテを勤められます。内弟子生活を経てどういう心境ですか。
正直まさかこんなに早く「鞍馬天狗」のシテを勤めさせて頂くことになるとは想像できていなかったんです。やっぱり良い曲。誰が見ても面白い能で、お家元から頂戴したご褒美だなと思っています。花見で並んで帰って来る時って、シテは座っているだけだからあんまり分からないんです。

私、牛若は1回しかやったことないんですよ。その時は私の父がシテだったので、親子でこの曲を勤めさせて頂いたんですね。 当時は自分のことに一生懸命だったから、父が何をどうやってたかは全然分からない。時の流れは感じているんですけど、今回のシテはゼロベースというか、1から作っていかないとどうしようもないという感じです。


――子方をなさっていた当時のことを覚えていますか。
子方をやっていた時間が濃密すぎてあんまり覚えていないんです。間違えたっていうのは覚えているんですけど。間違えてなくてそのままやっているのって本当に覚えていないんです。ひと月に1回のペースでやっていたので。時の流れを感じるかどうかと言われるとですね、僕らが初舞台を踏んだ時って10人近かったんですよ、子方の数が。それが今は5人でしょ。やっぱり少子高齢化社会になっているんだなと思いますね。


――子方をなさっていたときは、どのようなご褒美をもらっていましたか。
図書カードなどをシテの先生方から頂いていました。でもそんな事は稀で、ほとんどありませんでした。 基本的に父から褒めてもらったことは一切なかったですね。母からは「よく頑張ったね」というような感じで褒められる時もありました。

座ってるだけって痛いじゃないですか。子どもって我慢できないから動いちゃったりして、そういう時は母からも「もうちょっと動かないようにできないの?」と結構言われて、「だって痛かったんだもん...」と。父からは楽屋に帰って来るなり、「ばかやろう」って拳骨くらったり。よく泣かされてました。「泣いてたって稽古終わんねぇんだよ」って怒鳴られてましたね。


――今回の「鞍馬天狗」の見所を教えてください。
私、学生時代に近藤乾之助先生に習っていた時期がありまして。私はその時に「天狗はやさしくだよ」と言われました。特に「鞍馬天狗」の天狗というのは牛若丸の成長をずっと見守っている役柄なんです。そういう「やさしさ」というか、実際の親子じゃないけど、親子っぽい愛情というか。私はまだ子どももいないし、親になったこともないので、そういったものを実感を伴っては見せられないと思うのですが。そういう所が出ればいいかなと思いつつ、やっぱり天狗は天狗だから、普段の自分よりも一回りも二回りも大きく見せられたらいいかなと意識しながら稽古してます。


――天狗を「やさしく」演じるというのが意外でした。
能の天狗って不思議なもので、いたずらをして怒られて帰っていくっていうパターンが多いんですけど、たまに人助けをする天狗もいるんです。その代表的なのが「鞍馬天狗」。あと「大会(だいえ)」という曲では、お坊さんが「お釈迦様の説法の様子を見たい」と天狗に言うと、天狗が「叶えてやる」と言って見せてくれる。でも「何勝手にやってるの」と帝釈天に怒られて、すごすご帰っていくというような感じ。純粋に悪さをするというのは「車僧(くるまぞう)」や「是界(ぜがい)」しかない。どっちかに寄ってるんですよね。善人の天狗なのか、悪人の天狗なのか。「鞍馬天狗」ではそういう善人側として演じられたらと思っています。


――今回はどのような気持ちで舞台に臨まれますか。
最低限間違えないで演じたいと思ってます。芸の良し悪しって結局見てる人の価値観によるじゃないですか。だから最低限間違わずに、最初出て行って、帰って来るまでを目標に。目標が低いと思われるかもしれないですけど、これが意外に難しくて、舞台に出るといろいろ考えちゃうんですね 。何も考えないようにやるっていうのが1番の目標というか。あとは自分の稽古は必ず撮影して自分で見直しているので、自分が納得できるものを提供したい。そのあたりは料理人と一緒かもしれないですね。


日時:2月3日(水)、インタビュー場所:稽古舞台、撮影場所:稽古舞台、二月五雲能「鞍馬天狗」に向けて

画像3

画像4


ご購入はこちら。
※防疫のため、当日券は宝生会事務所までお問い合わせください。


朝倉大輔 Daisuke Asakura シテ方宝生流能楽師
1990年、朝倉俊樹(シテ方宝生流)の長男として生まれる。1994年入門。19代宗家宝生英照、20代宗家宝生和英に師事。初舞台「鞍馬天狗」花見児(1995年)。初シテ「金札」(2015年)。

お問い合わせはこちら。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?