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④【木谷哲也 先生】宝生流能楽師をもっと身近に。

受け継いできた「もの」をテーマに、能楽師の魅力を伝えるこのインタビュー企画。今回で4回目となりました。

輪島出身で、お祖父様が能楽師だった木谷哲也先生。お祖父様とつながる大切な「もの」を持ってきていただきました。今月の五雲会では「是界」を勤められます。舞台で心がけていること、また、去年、書生から正式に能楽師として独立された心境も伺いました。

――哲也先生が「受け継いできたもの」は何ですか?
この唐織紐です。僕の祖父、山田太佐久は能楽師として舞台に出てはいたんですけど、僕が能楽師としての道を志したのは祖父が亡くなってからでしたので、受け継いだというよりも、家にあったものを持ってきたという感じですかね。

【山田 太佐久】やまだ たさく(1910-2007)
シテ方宝生流能楽師。17歳で能楽の道に進み、宝生流シテ方として活躍。昭和25年山田同門会を結成。50年日本能楽会会員。63年北国宝生会理事長に就任。北国文化賞〔昭和52年〕,松任市文化産業賞〔昭和54年〕,石川県文化活動奨励賞〔昭和63年〕


今回のテーマで、持ってくるものの候補の中にバネもありました。能の舞台に立つときに大口(おおくち)や半切(はんぎれ)という袴を強調した装束を着るときに使うものです。祖父の旧姓が吉池でして、バネには「吉池」って書いてあるんで、ちょっとややこしいかな、って思って唐織紐にしました。

僕が小さいころに、祖父がこれを着けていた所を見ていたのかもしれないですけど、ほとんど記憶がないんです。僕の母が趣味で組紐を作っていたので、これも母が作って祖父に渡したみたいです。祖父が亡くなったころ、僕はまだこの道を志していなかったので、祖父の持ち物は当時のお弟子さんに形見分けであげちゃって、ものがほとんど残っていないんです。代々能楽師を継いでいるお家のように、袴や着物、帯、扇、そういったものはないんですよね。

ちなみに、能をやっていたのが、母方の祖父なんです。僕の父は能とは関係のない家でした。僕は出身が石川県の輪島市なんですけど、そこの地元の伝統工芸に輪島塗というのがありまして、僕の父は輪島塗の仕事をしていました。

輪島塗は分業制で、父は蒔絵師と呼ばれる最終工程を担う職人でした。蒔絵師は、作品に絵を描いたり、沈金や蒔絵を施すのですが、自宅が作業場だったのでよく父の仕事は見ていました。宝生会所有の「翁」の面箱の直し(修復)を父が手がけたこともあります。


――哲也先生は実際にこの唐織紐を舞台で使用されていますか。
今は能で唐織という装束をつけるときにこれを使わせてもらっています。能の装束は、”紅入(いろいり)”と”紅なし(いろなし)”という2種に分けられまして、それによって唐織紐も使い分けます。この唐織紐は中途半端でどっちでも使えそうなんですけど、一応、紅入で。それなりに若い女性の役を演じるときの出立で使います。

紐の中央にあるこの赤い線が目立つかと思うんですが、これは目印です。着付けをするときに、着ける人が「ここが中央だ」と分かりやすいように。別になくてもいい印なんですが、この紐にはありますね。

残念ながら、今回の「是界」ではこの唐織紐は使用しません(笑)。今年の1月に五雲能で「竹生島」のツレを勤めたときに使いました。去年の「加茂」でも使ってますね。装束の表側から見えるものではないので、舞台写真を見ても分からないかとは思います。

2020年7月五雲能「加茂」シテ:木谷哲也


――お祖父様とのエピソードを教えてください。
祖父が能をやっていたという関係で、子どものころに子方として舞台に立たせていただく機会はあったんです。石川県で行う催しでたまに子方が必要な舞台があって、当時石川には子方をやる人が少なかったので、舞台の前に必要な稽古だけ受けるという感じでした。プロの能楽師になっていくような気持ちはその当時はありませんでした。祖父が亡くなってから能楽師を志したので、祖父が生きている間には僕が能をやるなんて一言も言っていなかったんです。

祖父と共演したなかで印象的な曲は「七騎落」ですね。祖父がシテを、当時高校生くらいだった兄が頼朝を、私が子方を勤めました。頼朝は本来子供がやる役ではないのですが、この配役で「七騎落」を勤める機会が2回もありました。当時すでに祖父は80代後半で、僕は子供ながらに祖父の動きを心配していました。子方のお仕事中なので、本来は祖父の心配をしているどころじゃないんですが(笑)。

僕は4人兄弟の末っ子なのですが、兄弟全員子方を経験していました。鞍馬天狗に4人で出たこともあります。僕が初めて金沢で舞台に出たのも、兄が牛若を勤める「鞍馬天狗」に兄弟3人で花見児で出た時でしたね。


――能楽師の道を志したきっかけは何ですか。
祖父が亡くなったというのが一番大きいです。祖父が亡くなったのは、僕が高校2年生から3年生にあがる時期でした。一般的に、能楽師という職業は進路の選択肢にないことが多いかとは思うんですけど、自分には少なからず能楽師としての選択肢があって。純粋に能楽師に憧れたというのもあります。

祖父の通夜のとき、兄と2人で蝋燭番をしていて色んな話をしました。祖父の舞台写真などを見るにつれて、当時社会人だった兄が、僕には能楽師の道に進む選択肢があることを話してくれて。次の日、葬式のときに母に伝えたらどんどん話が進んでいって、今こうして能楽師として生活しています。

去年の5月に、書生から能楽師として独立させていただきました。そのときに、能楽師を仕事にしたんだな、という気持ちが芽生えたといいいますか。これを生業にするんだっていうのは独立してから強く思いますね。

つい先日、空き家になっていた祖父の家を稽古場として使うようになりました。独立のタイミングがコロナに被っていたのと、しばらく空き家だった家なのでようやく掃除も終わって。石川県の白山市というところで、まだ少人数ですが、やっと始められたなという思いです。


――哲也先生は現在、宝生会の木曜教室(第42期生)の講師を担当されていますね。
今年の1月から始まりましたが、今はコロナの状況もあるので、教室に入りたいとご連絡をいただいても、緊急事態宣言が出て、「やっぱり...」という方もいらっしゃいます。その中でも、見学に来てくださり、お稽古を初めてくださる方もいまして。1対1の稽古をしているんですけど、人に教えるっていう経験が今までそんなになかったので、僕も勉強させてもらっています。

僕自身、能を始めてからの方が、いろいろな角度で能を楽しめるようになりました。能はやってみた方が面白いです。能楽師を目指すとなったとき、最初に謡や型を勉強して、書生に入ってからは面や装束にも触れさせてもらえるようになりました。宝生流の本面ですとか、昔から伝わっている装束とかを手に取って見ることができるのはとてもありがたく、嬉しいですね。

能は、どこから興味をもってもいいんです。動きでも、装束や面でも、囃子でも。お稽古をしていけば、プロにはならないとしても本舞台で発表会をしたり、本物の装束や面を使わせて頂いて能を舞うこともできる。木曜教室も、毎年12月には発表会があって、本舞台に上がることができます。

★ご興味がある方は宝生会事務局まで


――今回の公演に向けての稽古はされていますか?
いつもそうなんですけど、稽古するしかないと思っています。最初は、こうかなと思うようにやってみて、その後に先生からの稽古を受けて、教わった通りにできるようにまた自分で稽古をするということの繰り返しなんです。どの曲をやっても難しいなと思いますね。書生にいたときは書生部屋のすぐ下に本舞台があったので、いつでも稽古できる状況でした。寝る前にもできたくらいです。本舞台と一緒に住めていたというのは非常にありがたかったなと、とても実感していますね。

今は住居が能楽堂から離れているので、なるべく行けるときはここに来て稽古するようにはしていますけど、いつでもできるわけではないですね。自宅では大きい音が出せないので稽古はあまりできません。本舞台に来られないときは、自宅での稽古や移動中にイメージトレーニングをしています。実際に舞台にいるのをイメージしながら稽古することが増えました。「こう見えているのかな。」「どう動けているのかな。」と。


――今回の五雲能の「是界」を勤めるにあたって、お客様にメッセージをお願いします。
「また観に来たいな。」と思っていただけるような舞台にしたいと心がけています。「是界」という曲は動きも多くて、特徴的な型もあるので、観ているだけでもそれなりに楽しめると思います。自分が「良いな」と思える舞台にすることが、お客様にとっての「また来たいな」に繋がるんじゃないかと。理想像が自分の中で作れるように稽古して、それに近づけるように、また稽古して。観てくださる方に楽しんで頂けるよう、精一杯勤めます。

余談なんですが、僕は朝倉大輔先生とよく顔を間違えられるんです(笑)。背格好も似ているし。大輔先生は「是界」にツレとして出るんですよ。前シテとツレは2人とも直面なんで、兄弟に思われる可能性がありますね(笑)。

日時:3月1日(月)、インタビュー場所:稽古舞台、撮影場所:稽古舞台、3月五雲能「是界」に向けて

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木谷哲也  Tetsuya Kidani
シテ方宝生流能楽師
1989年、石川県輪島市に生まれる。2008年入門。20代宗家宝生和英に師事。初舞台「舎利」ツレ (2013年)。初シテ「草薙」(2016年)。

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おまけ話
――今日のファッションのポイントは?

これはこの間、家元に「寝間着じゃねえか。」って言われたセーターです。これで行こうと思って着てきました。本当はパーカーとかで来ようと思ったんですけど、この後に稽古があるんで。ちなみに、髪の毛は家元に「ここ行きな。」って言われた床屋でずっと切ってます。




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