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「私の死体を探してください。」   第21話

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池上沙織【3】

 森林先生の仕事部屋には、先生が愛用していたノートパソコンはなかった。そして、ブログのIDとパスコードは見つからなかった。

 私は編集部にもどり、森林先生の仕事部屋にあった三十本以上のUSBの中身をすべてチェックし、ナンバリングし、内容の一覧表を作るという単純作業に没頭した。

 必要なものだけ探せばいいだろうと思われそうだが、回り道のようでもこの方が見落としはなくせると思った。今後何が必要になるのかも分からないからだ。

 作業をしながら、森林先生のブログが更新されていないか、どんなコメントがついているのかもチェックした。ブログでは『白い鳥籠の五羽の鳥たち』の登場人物が出そろったところだ。当分、この作品の続きが更新されるのだろうか? それとも、まだ地雷が埋められているのだろうか?

 この作品ももちろん地雷だ。森林先生以外はすべて仮名だし、地名もイニシャルを使われているけれど、今時の読者は簡単に場所や人物を特定してしまう。

 インターネットの広大な海の恐ろしさは、これほど広大なはずなのにポイントにあわせればすべてが明かるみに出ることだ。

 それはきっと面白いはずだ。自分でもそうする。何かを暴くのはどんな時代でもマジョリティな娯楽のひとつだ。

 聖地巡礼。

 そんな名前がつくこともある。

 コメント欄は荒れに荒れていた。当然白い鳥籠事件のことだ。

 興奮のポイントは明確だった。

・森林麻美先生が当事者の一人だったこと。 

・集団自殺ではなく無理心中だった可能性。 

・無理心中の首謀者が森林麻美先生だったとしたら、今まで自分たちはマスマーダーの書いた作品を喜んで読んでいたという事実と罪悪感について。

・真犯人がいるとしたら森林麻美の四人の友人のうち誰だと思うか。

・これは凄絶な現状を抱えた少女たちが巻き込まれた事件で真犯人は別にいるという主張(もともとの森林麻美先生のファンと思われるアカウントはほとんどこの意見なので、かなりまっとうなことを言っても外部には相手にされていない印象)

 すべてが交わり、混乱し、混乱すればするほど、あらゆる意見は揚げ足をとられ、更にその揚げ足がとられ、意見や考えや主張はもともとあった形を徐々に離れるように枝分かれしていく。

 炎上。

 炎上はそうして収集がつかなくなっていく。誰かが言ったと最初に誰かが言う。最終的にも誰かが言ったことだと言う。

 でもそれは特定の「誰か」が言ったことではなくて、世間や世論に揉まれたもっともらしい意見にすぎない。

 まったく作家性はないと言っていいと思う。けれどもこの揉まれた意見を予想して作っているなら、それは作家性だと思う。

 揉まれた意見のマジョリティになれることが現代のコメンテーターやエッセイストに必要不可欠な要素だろう。いかに視野が広く多角的に公平にものごとを見ることができるかを、人々に求められる。

 それを踏まえた上で、あえてこの小説をブログで公開した森林先生の意図は明確だ。

 最後までフォローさせること。

 最後の一行まで読ませること。

 こうして、ブログで小説が公開された今、もはや結末が知りたいのは私と神永編集長の二人だけではない。賛否のどちらの意見や推理や憶測を持っていたとしても、みんなこの小説が最後まで掲載されるのを固唾をのんで見守るはずだ。

「本当に好奇心をくすぐる天才だよな」

 神永編集長はそう言いながら、私のデスクに近づいた。

「すみません。ブログのIDとパスコード、森林先生の自宅マンションでも見つかりませんでした」

「こうなったら、逆に結末が掲載されるまで放っておくしかないだろう。今更、ブログを閉鎖しても、もう読者が黙っているはずないからな。好奇心の前には善悪なんかは無力なもんだ。それより、例のプロットはどこにあるんだ?」

 USBを十二本確認しても、人気シリーズのプロットは見つかっていない。森林先生は私以外の他社の編集者に渡しているのだろうか? そうだとしたら、その編集者から、一言あるのが筋というものだけど……。

「プロットはいただいていません」

「なんだって?」

「いただいていないんです」

「えっ? じゃあ……あのシリーズは連載できないってことか」

 神永編集長があっけにとられた顔をした。

 怒られた方がずっとましだった。奥歯をぎりぎり噛みしめる。プロットが見つからないことに焦っているのは神永編集長ではなく私だ。焦りを通り越している気もする。胃の中が誰かにつかまれているようにむかむかする。

「すみません」

 つぶやくように小声で言うと神永編集長は我に返った。

「いや。いいんだ。こうなってくると、プロットが本当にあったとしてもすぐに森林先生と交流のある作家のどなたかに執筆を依頼することもできないし、出版できるかどうかも分からない」

「でも『白い鳥籠の五羽の鳥たち』の結末が掲載されたら、逆に森林先生の作品に注目は集まるはずです」

「そうだったとしても、まずは『白い鳥籠の五羽の鳥たち』の出版が先になるだろう。もう、今できることはこのブログを追いかけることだけだ。とにかく、作業を進めてくれ、俺はちょっと行ってくるわ」

 問い合わせの電話は鳴り止まない。それはうちの出版社だけでなく、森林先生が過去に本を出したことのある出版社のすべての電話回線がパンクしている。

 そこで、今日急遽各社合同で記者会見が行われることになった。と言っても、誰もあのブログに書いている以上の事実を言えるはずもない。

 何も分かっていないのだ。森林先生の居所も、生死も、人気シリーズのプロットの行方も、そして、なによりこの『白い鳥籠の五羽の鳥たち』の結末を誰も知らない。

 編神永集長の後ろ姿を見送ると、私はため息をつきながらパソコンの画面に戻った。二面に分割した画面のひとつはUSBのデータの内容。もうひとつはもちろん森林先生のブログだ。ブログの画面を更新すると新しいコメントがぞろぞろと増えていく。それをスクロールしていくと、妙なコメントを見つけた。

「え? 何これ?」

――森林麻美を出せ! このブログは全部嘘だ! 削除しないと名誉毀損で訴えてやる―― 

 画面の向こうで、このコメントを書いた人間が顔を真っ赤にさせて怒っているのが目に浮かぶようなコメントだった。

「まさか、事件関係者?」

 確かに、死んでしまった少女たちのうち、三人には一見すると分からない複雑な事情があった。 

 吹奏楽部の福原奏は兄がダウン症のいわゆるきょうだい児でほとんど両親から構われていないのに、将来兄の面倒を見ろというプレッシャーだけはかけられており、いつも鬱屈とした思いを家族に抱いていた。

 陸上部を母親の指図でやめさせられた山本由樹は学校から帰ると祖母の介護をしているヤングケアラーだった。県外に進学を希望していたが、その夢は叶いそうになかった。

 美術部の藤田友梨香は両親がともに医師で子どもに医師以外の道を与えるつもりがない。成績が学年でも最下位に近い藤田友梨香はそのことがかなりのストレスになっているようだった。

 この三人のプロフィールを並べてみると、確かに森林先生に親がいないということがささいなことに思えてしまう。家族がいるということで身動きがとれなくなる子どもが現実にいた。このことを暴露されたら、その家族がどう思うか。

 でもこの三人に関しては事件当時から、散々暴露されていたことで、特に目新しくはない。蒸し返してほしくないということなのだろうか?

 あの攻撃的なコメントは、この三人の中の誰かの関係者だろうか? それとも、佐々木絵美にも複雑な事情があって、これから、結末に向けて描かれるのだろうか。

 それにしても、笑ってしまう。死んだ人間相手にどうやって名誉毀損で訴えるというのだろう。

 そして、死んでいるからこそ、コメントを書いた人間の言い分を森林先生が聞くこともないのだ。

 そして、私は自分の滑稽さに笑ってしまった。すっかり、あの小説の続きがどうなるのかをじりじりして待っているのだから。

 そんな私を、森林先生がどこかで見ているのではないかと思わずにはいられなかった。 


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