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「私の死体を探してください。」   第20話

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白い鳥籠の五羽の鳥たち【2】

 それまで麻美には友情というものがどういうものなのか分からなかった。

 麻美はもう覚えていないけれど、麻美の母親は麻美が生まれて間もなく死んでしまったらしい上に、父親とは物心つく前から疎遠になった。疎遠になった理由は父親が麻美に虐待をしていたせいだった。まだ三歳だった麻美をベランダから落とそうとしていた父親。麻美の泣き声を聞き慣れていて常に心配していた、近所に住んでいた老女が通報をし、麻美は命拾いした。当時の記憶は麻美から綺麗に消えていた。

 せっかく消えていた過去を突きつけたのは麻美の小学校の担任の教師だった。たまたまその日、ニュースで話題になっていた虐待死を教師は朝の会で取り上げて、通報がいかに大事かを、こともあろうに命拾いした麻美を引き合いにして説いた。

 麻美にしてみれば、まったく寝耳に水の話だった。特に説明されたことはなかったけれど、親がいなくて児童養護施設にいるのだとは分かっていた。 
しかし、実父が自分を殺そうとしていたというのは、その担任教師から聞かされるまで知らなかったのだ。

 自分が知らなかった事情を自分のことをよく思っていない大人のほうが詳しいことに、幼いながらも、麻美は気分が悪くなった。背中に「馬鹿」と書かれている紙を貼られているのに見えないのは自分だけだったのと似ている、とも彼女は思った。

 小学校の同級生とその親たちは麻美の背中に貼っている紙を見て麻美を遠巻きにした。「可哀想な子」なのでいじめを受けることはなかったが、すすんで彼女と友だちになってくれるような子もいなかった。

 児童養護施設でも、なぜだか友だちはできなかった。

 麻美にとって、孤独は日常だった。悪意や攻撃が向けられるよりはずっとましな日常だ。もしかしたらそれは実父から受けていた虐待の潜在的な記憶から、安全を確保するための彼女なりの知恵だったのかもしれない。

 麻美は勉強はできるほうだった。

 そして、特に何も考えず、担任教師のすすめのまま、その地方都市の進学校に入学した。 その高校には、中学校の同級生はほとんどおらず麻美のことを知る人はいないといっても過言ではなかった。

 麻美の背中に貼られた紙が剥がされた瞬間だった。 

 麻美に最初に話しかけてきたのは佐々木絵美だった。その時のことを、ずっと後になっても麻美は何度も反芻している。

 あれほど嬉しくどきどきした瞬間は彼女のその後の人生にも数えるほどしかなかったからだ。

 入学式を終え、教室に向かう廊下だった。二列に並んで進んでいく中、佐々木絵美は後ろから麻美にこう言った。

「ねえ、それって天然?」

「え? 何が?」

「髪だよ、髪!」

 麻美の髪は強く縮れていた。黒くて堅くて太く、よく切れるのであまり伸ばせないのが本人にとっては大きなコンプレックスだった。

「うん。そうだよ」

「へえ。可愛いね」

「え?」

 佐々木絵美は麻美が思いもしないことを言ったので麻美は気の利いた返事をすることができなかった。

 けれども、その日学校から施設に帰っても、麻美の胸に絵美の言葉はいつまでもピカピカと点滅して光っていた。

 褒められるという経験は麻美にはあまりにも少なかったのだ。

 森林麻美と佐々木絵美二人が繋がり、福原奏、山本由樹、藤田友梨香が加わって輪になった。五人は出身中学がそれぞれ違い、共通点はほとんどなかった。

 ただ、麻美を除く四人にはそれぞれ、秘密があった。

 一見すると恵まれた環境で育った四人はなぜだか麻美に親がいないことをうらやんでいるようなふしがあった。麻美ははじめのうちはそれが不思議でしかたなかったのだが、秘密が共有されるようになると、それも不思議なことではないと考えるようになっていったのだ。


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