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「私の死体を探してください。」   第19話

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 母さんが帰ってから、すぐに池上さんから電話があった。マンションのすぐそばまできていると言われたのでしぶしぶ部屋に招いた。
 
池上さんは昨日家に帰らなかったのだろう。昨日と同じ服を着ていて髪の毛はぼさぼさで、化粧も直さなかったのか、顔がぎとぎとしていて、口紅は輪郭だけしか残っていなかった。

 僕はその顔をしげしげと見たが本人はまったく気にしていないようだった。

「森林先生がいつもお使いになってたノートパソコンは見つかりましたか?」

「それが見当たらないんだ」

「仕事場を確認してもいいですか?」

「ああ」

 麻美の仕事場に案内した。麻美の蔵書はかなりよ量を山中湖の別荘に移したが、出版社からの郵送物はいつもここに届くので、本や書類はどうしても増えてしまう。壁中がぎちぎちの書棚に囲まれた机は部屋の中心に置かれている。麻美は本が日焼けするのを嫌がって、遮光カーテンを二重にしていたから、明るい夏の昼間でも、電気を点けても、この部屋は薄暗い。本人が不在で、しかも自殺していると言い残しているせいで、見慣れた部屋なのにどこか不気味に感じた。

「失礼します」

 そう言って池上さんは麻美の机の引き出しを開けたり閉めたりした。

「森林先生はいつもの一番下の引き出しにPCのバッグを入れているんです。それがここにないということは……」

「外に持ち出したまま、いなくなった?」

「その可能性が高いですね」

「そうか」

「正隆さん、もうあの小説は読みましたか?」

「麻美が毒殺魔かもしれない小説のことかい? いや、まだ読んでない。帰ってからさっきまで母さんと話していたからね」

「そうですか。でも、あれだけは必ず読んでください」

「概要だけ知っておけばいいだろう?」

「そういうことじゃないんです。当事者が書いたノンフィクションとしてだけじゃなく、小説としても『白い鳥籠の五羽の鳥たち』は素晴らしいんです。そして、森林先生は四人の友人をその時に失っているのだとしたら……」

「その友人とやらを麻美が殺した可能性があるから慌てているんだろう? なのに、まるでそうではないと知っているみたいな言い方だね」

「結末は欠落していますが、私は森林先生が四人を殺したとはとても思えません。五人の少女たちの友情はとても得がたいものだと思いました」

「女の友情は一瞬にして、敵意に変わることがある……と言っていたのも麻美だったけどな」

「それは……」

「池上さんは、もし、小説の結末が見つかって、その内容が麻美が毒殺を認めるものだったら、どうするつもりなんだい?」

 池上さんはひきだしの中にあったUSBを机の上に並べる手をぴたりと止めて、こちらを見た。

「分かりません。本当にそうなら、この小説を書いた意味は明確になります。でも、そうじゃないほうがいいし、そうじゃないと私は信じたいんです」

「もし、毒殺を認めるものなら、当然出版はできない。でも、そうじゃないなら、遺作としては傑作だと君は考えているのか?」

「そうかもしれません。私、残念でたまらないんです。森林先生はこの作品の話をおそらく誰にもされていません。もし、森林先生が亡くなっていたら、もう誰もこの作品について話を聞くことができないんです」

「結末が欠落しているんじゃなくて、未完という可能性もあるんじゃないかな?」

「それは絶対にありません」

「どうして?」

「森林先生は新聞連載でも、初稿を最後まで書き上げてから連載をはじめるんです。もちろん改稿や増筆されることはありますけど、完成させていない作品をご自身のブログに掲載するとは思えません」

 池上さんの口調がとげとげしかったので思わず嫌みを言ってしまう。

「君は本当になんでも知っていると僕に言いたいらしいね」

「むしろ……いいえ。なんでもありません。とりあえず、これを全部拝見してもいいですか? それから、何かIDや、パスワードのヒントになりそうなものの心当たりは見つかりましたか?」

 それは運転しながらよく考えてきた。僕が普段見ていないような場所だ。

「ちょっと、探してみるから、ここで作業していて貰えるかな」

 池上さんの返事を聞いてから麻美の仕事部屋のドアを閉めて、僕は寝室に向かった。

 まずはウォーキングクローゼットを確認した。PCのバッグをさがしたけれど見つからなかった。ベッドのサイドボードの引き出しを探ると、分厚いミントブルーの表紙の文庫本ほどの大きさの手帳が出てきたので、ぺらぺらとめくる。麻美の字だ。丸っこいどこか子どもっぽい字。学生のころからかったこともあった。アイディアの卵とも言えないような言葉の断片が散らばっていた。念のため持って行くことにする。 

 サイドボードの隣に置いてある金庫を開けた。暗証番号は僕と麻美の誕生日の数字をシャッフルして組み合わせたものだ。

 あ! と思った。そう言えばこの暗証番号はこの金庫にしか使っていない。ひょっとしたら、この番号がパスコードの可能性があるのではないだろうか?

 僕は金庫の中にはパスコードが分かりそうなものがないことを確認してから池上さんのいる麻美の仕事部屋へ戻った。

「結末は見つかったかい?」

「いいえ。そちらは何か見つかりましたか?」

「もしかしたら、金庫の暗証番号の可能性がないかなあと思っているんだ」

「すぐ試すので教えて下さい」

 僕が机の上に置いてあったメモパッドに暗証番号を書き付けると池上さんは、自分のパソコンで麻美のホームページの画面を開いて、何通りか試していたが、首を振った。

「だめですね。もしかしたら、これがパスコードなのかもしれませんが、IDがちがうのかもしれませんし、どこかに両方がメモされているものが見つかるといいんですが……」

「探してみるよ」

「あっ!」

「どうしたんだ?」

「また、ブログの更新がありました」

「内容は?」

「小説の続きです」

「そうか」

 僕は素直にがっかりした。そろそろ僕宛の遺書じゃないかと思ったのだ。ブログのパスコードだって大切だけど、自分で金を動かせない僕にはもっと必要な情報がある。

「正隆さんは怖くないんですか?」

「何で?」

「森林先生にとって正隆さんはとても良い夫とは言えません。罵詈雑言が書かれていてもおかしくないと思うんですけど、それが世界中の人に読まれてしまうのは怖いと思いませんか?」

「思わないね」

「どうして?」

「どうしてって、僕がどうして麻美が書いたことを気にしなきゃいけないんだ?」

「一番気にしなければいけなかったのは他ならぬ正隆さんだと思うんですけど、もうこれ以上話しても無駄なんでしょうね」

 大量のUSBを今日中に確認するのは難しいということで、僕は池上さんにそれを預けた。僕が中を見たって判別することができないのだからそれでいい。

 池上さんが帰ると、僕は池上さんがわざわざプリントアウトしてくれた『白い鳥籠の五羽の鳥たち』をしぶしぶではあるけれど読みはじめた。


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