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「私の死体を探してください。」   第18話

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「ねえ、正隆」

 東京のマンションにつくと、母さんが待ち構えていた。ここで一晩過ごしたようで、リビングで寝ていたような痕跡を見つけて、なんともいえない嫌な気持ちになった。

「母さん、まだいたのか。帰って良かったのに」

「なんなのその言い方。あなたに頼まれて来たのに」

「そうだったね。ありがとう」

 棒読みでそう言うと母さんはため息をついた。

「警察に電話をしたら、結局警察署にいくことになって、色々聞かれたのよ。特にどうしてあなたが来ないのかって。問い詰められたの。まるで、あなたが麻美さんを殺したんじゃないかって疑っているみたいだった」

「そりゃあ僕が行くべきだったけど、別荘にいたからね。母さんも会ったことあるだろう?池上さんにせっつかれたんだ。自殺をほのめかす内容だったから、自殺を食い止めるためにも、早く警察に届けて欲しいって言われてね」

 母さんは僕をじいっと見た。この目は子どもの時からよく知っている。

 僕が嘘をついていないかを見極めようとする目だ。でも、この目が僕の嘘を見抜けたためしなんて一度もないのだから、母さんのことを気にする必要はないと思っていた。でもまさか、母さんがこんなことを言うとは思わなかった。

「ねえ、正隆、もしかして、あなた、麻美さんを殺したの?」

「母さん! なんでそんなことを? 僕が麻美を殺すわけないじゃないか! だいたい麻美のブログを読んだろう? 動画も見たんだろう? 麻美は自分で自殺をほのめかしてたじゃないか!」

「ごめんなさい。そうよね」

「でも、どうして、そんなこと考えたんだ? 僕が麻美を殺したかもしれないなんて」

 母さんは視線を一瞬宙に泳がせてから、首を振った。

「私の勘違いだったのかもしれないけど、正隆、あなた、麻美さんになりたかったんじゃない?」

「はあっ? どうして僕が麻美になりたいって思うんだよ?」

「そうね。それは私が麻美さんがあなただったら良かったのにって何度思ったか分からないからよ。麻美さんは若くして才能を認められて、小説家としてのキャリアの階段を着実に上っていた。それが麻美さんじゃなくてあなたじゃないことに私はいつも怒りを感じていたの。でも、そうね。私がそう感じていたからって、あなたがどう思っていたかは別のことよね」

「そうだよ。母さんがそんな風に思っていたなんて心外だけど、僕が麻美になりたいなんて思ったことは一度もないよ」

 母さんが、麻美の仕事に興味を持っていたことを初めて知った。今まで母さんは麻美に対して三島家に嫁いできた女。という視点でしか見ていないものだと思っていたのに麻美がどんな仕事をしているのか、もしかしたら僕より母さんの方が麻美の仕事に詳しいのかもしれない。

「そう。じゃあ私は余計なことをしたのね」

「余計なことって?」

「麻美さんの仕事の邪魔をすればあなたのためになるかと思って」

「え? どういうことだよ?」

「あなたがいない時を見計らって、ここによく来ていたのよ」

 池上さんがどうして母さんに連絡して欲しいと言ったのかがようやく分かった。

 僕が知らないだけで、母さんはここにしょっちゅう来ていたらしい。

 動画の内容は嘘ではなかったということだ。

「麻美は母さんがここに来ていたことを僕には言わなかったから、あんなやりとりがあったのは動画を見て初めて知ったよ。母さんはわざと麻美の邪魔をしたっていうのか?」

「ええ。私なら同じことを、自分の姑にされたら鍵を替えたわ。まあ、孫が三人欲しかったのは本当のことだけど」

「麻美にあんなことをして、母さんの心は痛まなかったのか?」

「分からない」

「え?」

「分からないのよ。麻美さんのこと。私は確かによく麻美さんに常識がないと言ったの。本当にあの人は何も知らないのよ。でも……。常識がないのではなくて、常識が通用しなかったのかもしれない」

「どういうこと?」

「私は嫌がらせに来ているつもりだったけど、手応えがなかったのよね。困った顔ひとつしなかった。麻美さんのブログを読んで。動画も見た。でも、あれが麻美さんの本音だとは私には思えなくて。それに、橋本さんの話は麻美さんが間違っているのよ。本当に信用できる人なんだから」

「母さん、まさか、その橋本とかいうやつと本気で結婚する気なのか?」

「ええ。そうなの」

 母さんの顔がぱっと明るくなった。

 もうすぐ、六十に手が届く母親の顔が輝いている原因が男だと思うと、ムカムカと胃が痛くなってくる。

「その橋本って人のことはもっと調べてみるべきだよ」

「その必要はないわ。正隆、私、あなたに同じことを言って断られたことを忘れていないわよ」

 母さんは、麻美と付き合いはじめたころ、かなり交際に反対していた。麻美が児童養護施設で育ったことと、麻美を虐待していた父親の素性が定かでないことを気にしていたのだ。もっと調べるべきだと言ったのを僕は無視した。

「それとこれとは別だろう?」

「ずいぶん、勝手な言い分ね」

「麻美が言っていたじゃないか? 何度も詐欺みたいなことをやっている人間なんだって」

「そんな人じゃないわ! 橋本さんが会社を他の人に譲ってからおかしくなったんだから橋本さんのせいじゃないもの」

「じゃあ、橋本に金がなくなったって言ってみろよ」

「そんなこと……」

「言えないんだろう?」

「言えるはずないでしょう。橋本さんのことを信じていないって言うのと同じだもの」

 橋本という男の恐ろしさが身に染みた。橋本が得意なのはきっとマルチ商法だけじゃあない。恐らく結婚詐欺師の一面も持っている。しかも、騙されている本人が永久に騙されていることに気づかないタチの悪い詐欺師のような気がした。

 麻美が小説にそういう登場人物を書いたと言っていたことがあった。

 麻美は自分が作った登場人物に似ている人間を探したのだろう。おそらく麻美にはいとも簡単なことだったに違いない。

 母さんがマルチにハマっているなら、金の流れを止めてしまえば収まることだと思っていた。でもこれは母さんの痴情が絡んでいる。橋本のことを悪く言えば言うほど、母さんの僕に対する反発は大きくなっていき、結婚に反対すればするほど、母さんは悲劇のヒロインになっていくだろう。

 一番厄介な男に引っかかった。

 橋本にしてみたら、ものすごく簡単だったろう。母さんは結婚してから、ずっと専業主婦だ。世間知らずもいいところで、兄弟とは仲が悪く疎遠。おまけに友人らしき人もほとんどいない。だから僕と麻美にも執着していたのだ。 

「橋本のほうはどうなんだ? 母さんのこと信じているんだったら、お金が出せなくたっていいはずだろう?」

「正隆、あなた酷いこと言うのね。見損なったわ」

「母さん、僕は酷いことなんて言ってないよ。信用とか信頼とかは相互関係がないとおかしいだろう」

「信用も信頼も、あなたに言われたくありません。正隆、私、知っているのよ」

「知っている? って何を?」

「あなた、ずっと麻美さんを裏切り続けていたでしょう? そんなあなたの口から出てくる信用や信頼なんて言われてもね」

「なんでそんなこと。でもそれとこれとは別だろう?」

「いいえ。とにかく、私と橋本さんの関係に口を出さないでちょうだい」

 母さんは怒りで顔を真っ赤にしたまま、マンションを出て行った。僕はしばらく呆然としていたけど、母さんが散らかしていったリビングを片付けはじめた。


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