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「私の死体を探してください。」   第17話

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三島正隆【3】

 ハッと意識が覚醒した。

 リビングの天井の高さでどこにいるのかを自覚する。昨日、池上さんが帰ってから、すぐに母さんに電話をした。もちろん、行方不明届を出してもらうためだ。

 でも、母さんは金のことで頭がいっぱいだった。悔しいことに麻美が動画で言っていたとおりだった。

「本当に困るのよ! ねえ、正隆、いくらか都合してもらえないかしら? お願いよ」

「母さん、その件は帰ってから話そう。その時、その話を持ってきた母さんの同級生を連れてきてくれ」

 同級生を連れてこいと言ったら、機関銃のように止まらなかった母さんの言葉が一瞬止まり、なにやら、もそもそと奥歯にものが挟まったような話し方になった。

「あのね、ちょっと話しておきたいことがあるんだけど、本当はこんなタイミングで正隆に話すのは……」

「母さん、いったい、どうしたんだよ?」

「お母さんね、その人と再婚しようと思ってるの」

「はあ?」

「結婚するのよ。だから、お金のことは心配しないで? 麻美さんがなんて言ったかはしらないけど、とにかく雪だるま式に増えて戻ってくる途中だから、心配はいらないの」

 想像以上に大変なことになっているのだけは理解できた。

「母さん、とにかく今すぐ、俺のマンションに行って麻美が行方不明だと一一〇番通報してくれ」

「分かったわ。でも、お金はどうなるの?」

 金の話と麻美が行方不明になっている話と、一一〇番と行方不明届の話がグルグルと五巡くらいしてようやく母さんは僕のマンションへ行く気になった。

「金か……」

 そう言えば池上さんはこのまま麻美が見つからなければ、大変なことになると言っていた。確かに僕に自由にできる現金はないと言ってもいいのかもしれない。

 とにかく東京のマンションに帰れば何かてがかりが見つかるかもしれない。

 それにしても、あんな長々と母さんに遺書を書くくらいなら、どうして、僕が一番必要なことを書き残し、まず先に僕宛の遺書を公開しなかったのだろう。

 冷え切っているとはいえ、夫婦なのだから、麻美にとって一番近い人間は僕だ。そうしてくれて当然だろう。

 病気のことだって、どうして相談してくれなかったのだろう? まるで僕が頼りにならない夫だと思われるか、不仲な夫婦だったと勘ぐるのが世間一般というものだ。

 やることと、考えることが多すぎてイライラした。僕は次々とウイスキーを飲み干し、そのままリビングで酔い潰れてしまった。

 日が高い。

 掛け時計を見るとちょうど十時をまわったところだった。立ち上がると、急激に吐き気がこみあげてくる。

 二日酔いだ。無理もない。昨日はとてもじゃないが、何かを食べる気持ちにはなれなかった。ほとんど何も食べずに、ウイスキーだけを次々と流し込んだのだ。二日酔いは当然の報いだ。

 僕は急いでトイレに駆け込んで、液体しか入っていない胃の中が空になるまで吐き続けた。そして、そのままシャワーを浴びて、再びリビングに戻って、スマートフォンを確認した。何十件もの着信履歴とメールが画面を埋めていた。

 主に池上さんだったが、池上さん以外の僕の連絡先を知っている麻美の担当編集者からも、着信と、問い合わせのメールが届いていた。みんな麻美を心配しているのだ。

 僕には麻美がどこかでみんながおろおろしているのを見張っているような気がした。

 私はなんでもお見通し。 

 麻美にはそう言いたくて仕方がないようなところがあった。

 家で一緒にドラマを見ているとストーリーの続きを予想してべらべらと話してしまうのでなんど興ざめしてしまったか分からない。

 それだけじゃない。麻美は人の会話のちょっとしたところから揚げ足をとるみたいに余計な情報を予想するのが好きだった。マンションの隣の住人や、よくいくレストランの従業員、いつも通っていた美容院の美容師なんかがこぼした言葉尻を捕らえて放さなかった。 そして、抽出した情報らしきものを、わざわざ僕に教えてくれた。

 僕に教えていた。というよりも僕をアウトプットするための道具にしていたと言った方がいいかもしれない。

 僕はほとんど聞いていなかった。

 麻美がああいうことをする度に、馬鹿にされたような気持ちになったし、ああいうことがしたいなら、小説家じゃなくて、占い師にでもなればよかったのにと思う。

 僕のスマートフォンの画面を埋めた編集者たちは、麻美が彼らをどんな風に見ていたかは知らない。

 だから、心配できるんだろう。

 本当に返事をしなければいけない人間なんて誰一人いない。そう思ってソファーにスマートフォンを投げた瞬間に着信音が鳴った。画面には池上さんの名前が表示されている。 本当はでたくなかったけど、池上さんとは今後も話し合わなければいけないことがありそうな気がしたし、また何かあったのかもしれないと思って。五回コール音を待ってゆっくり出た。

「もしもし?」

「もしもし、正隆さん、もう東京に向かってますか?」

「いや、さっき起きたところなんだ」

「どうしてですか!」

「どうしてって言われてもね」

「もしかして、森林先生から連絡があったんですか?」

「いや。残念ながらそうじゃない」

「そうですか。そうですよね」

 池上さんは麻美が死んだと信じている。でも、麻美が生きているとしたらの可能性にしがみつきたい気持ちもあるようだった。

「ブログが更新されたのはご存じですか?」

「いや。知らない。もしかして、僕宛かい?」

「いいえ、違います。私が昨日別荘でみつけた新作小説の冒頭がブログで公開されているんです」

「そうか……。遺書じゃないんだな……」

「遺書じゃないとも言いがたいんです。編集長が確認してくれた結果、おそらく間違いなく森林先生が自分のことを書いているようなので」

「自分のことを書いた? 自叙伝ってことかい?」

「いいえ。自叙伝とは少し違います。正隆さんは白い鳥籠事件をご存じですか?」

「白い鳥籠事件? いや、知らないなあ」 

 返事が数秒返って来なかった。そして、池上さんは呆れた口調を隠すこともなかった。

「今、事件の概要を送ります。森林先生はこの事件のすごく重要な人物の一人であることをこの小説に書いているんです。それから、すぐに東京に戻って下さい」

「プロットを探したいんだよね? 分かったよ」

「プロットだけじゃありません。どうにか、ブログのパスワードを見つけないと、これからどうなるか分かりません」

「僕と君とのことが暴露されるかもしれないってことか?」

「それもそうですけど、昨日私がお預かりした原稿には続きがあるはずなんです。クライマックスが欠けているんです。このクライマックスがどうなっているかが大問題なんです」

 電話の向こう側の池上さんはかなり興奮していて、本人がものすごくこちらに伝えたいことがあるのに、興奮のせいでうまく僕につたわらず、もどかしいせいで、ますます興奮しているようだった。

「池上さん、落ち着いて。どういうことなんだ?」

「落ち着いてなんかいられません。もし、森林先生が四人を毒殺していたとしたら、もう……」

「四人を毒殺した? どういうことだ?」

「とにかく東京に戻って下さい」

「ああ。分かったよ」

 麻美が毒殺? 僕の頭は混乱した。もし、それが真実だとしたら、確かに困ったことにはなるだろう。僕は大急ぎで別荘の戸締まりをして、車に乗り込んだ。


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