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「私の死体を探してください。」   第10話

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  三島正隆 【2】

「麻美が本当にこんなことを? こんな母さんを陥れるような……」

 僕は更新されたブログの動画を見終えて思わずそうつぶやいた。そして、ゆっくり池上さんの方を振り返ると、池上さんも衝撃を受けているようだった。

「分かりません。大変です、公開から、まだたったの30分なのに、ものすごい勢いでコメントがついてます。間違いなく炎上します」

 池上さんがそう言ってからすぐに池上さんのスマートフォンが鳴った。

「はい。池上です」

 池上さんはその電話を手短に切って、ため息をついた。

「編集長からです。編集部にも問い合わせと苦情の電話が増えているみたいです。これ以上の混乱は避けたいとのことでした。正隆さん、ここにはデスクトップがありましたよね? だめもとでそれを確認したいんですが許可していただけますか」

「もちろん構わないと言いたい所なんだが……。僕にはパスコードも分からないんだ」

「大丈夫です。私が分かります」

「え? 知っているのかい? 麻美がそれほど池上さんを信頼していたとは知らなかったな」

 僕がそう言うと池上さんは明らかに不機嫌に眉を寄せた。

「教えていただいたんじゃありません。悪気はなかったんですけど見て覚えてしまったんです」
「そうか」

「デスクトップは地下室ですよね? 確認しても?」

「ああ、構わないよ」

 僕たちは地下室に移動した。地下室の二部屋あるうちのひとつが麻美の仕事部屋だ。

 池上さんはいてもたってもいられない様子で飛びつくようにパソコンの前に座り電源を入れた。

 さっと明るくなったモニターがパスコードを求めると、池上さん流れるような素早い手つきでコードを入力し、パスコードがなんなのか僕にはさっぱり分からなかった。

「池上さん、後で……」

「メモしてお渡しします」

「ありがとう」

 池上さんは麻美のブログを開いて、自動ログインできるかどうかを試そうとしたが、ログアウトされていた。ログイン画面を開き、池上さんなりに予想していたIDとPCと同じパスコードを入れたがはじかれた。

「ダメですね。パスコードが違います」

「メールアドレスで登録しているんだろう? だったらパスコードの再設定ができるんじゃないかな?」

「私が知っている先生のメールアドレスを全部試してみましたが、全部違うみたいです」

「強制的に閉じてもらうことはできないんだろうか?」

「できません。このブログは森林先生の個人のホームページで、特に運営会社があるわけではないんです。パスコード、正隆さんには何か心当たりはないですか?」

 麻美がパスコードに考えそうな数字は誕生日くらいしか思いつかないが、まさかそんなに単純なこととも思えないので首を振った。

「そうですか。困りましたね。ネットバンキングのパスワードの管理をどうされていたかご存じではないですか?」

「ネットバンキング?」

「正隆さんのお母さま宛のブログにネットバンキングで振り込みと書かれていたので、もしかしたらそのパスワードと、ブログのパスワードが同じだったり、似ていたりする可能性があると思うんですが……」

 そういえばお金が動かしにくくなるかもしれないなんて書いてあった。僕は麻美と結婚してから、お金のことなんて気にしたことがなかった。全部麻美に任せて、自分で何かを買うのも何かをするのも、どこへ行くのもクレジットカード一枚ですんでいた。

 麻美がいなくなった今、僕が持っているこのカードはいつまで使えるんだろう? 

 お金のことを気にしていなかったことを今初めて後悔した。

「ネットバンキングを使っていることも知らなかったんだ。パスワードの管理がどうなっているのかは僕には分からない」

 池上さんは深々とため息をついた。明らかに呆れた顔をしている。

「分からないんだったら仕方ありません。ああ、もうネットニュースに上がっています」

 池上さんはイライラしながらウェブページをスクロールした。麻美が最近使っている著者近影ではなく、デビュー当時の著者近影が掲載された記事が目に飛び込んだ。

 高い頬骨と癖の強い天然パーマの黒髪は今と変わらないけれど、どこか瞳の奥が怯えている十二年前の麻美だ。

 このころはまだ可愛いところもあったと思う。僕の言うことを真剣に聞いてくれるところなんかは本当に可愛かったのだが。いつの間にか麻美は「大作家先生」になってしまった。そのことが寂しかった。

「正隆さん、今のうちに森林先生の名義で、動かせるお金は動かしておいた方がいいかもしれませんよ?」

「え? どうしてだい?」

 池上さんはまた深々とため息をついた。この子も最近変わってしまった。前はもっとけなげで可愛らしかったのに最近はどこかふてぶてしさすら感じる。

「先生がこのまま行方不明になってしまった場合、そんなことは考えたくもありませんが、死亡された場合よりもっと厄介なことになります」

「行方不明が、死亡より厄介ってどういうことだい?」

「死亡の場合は相続さえすめば資産は動かせますけど、行方不明の場合は本人から正式に委任されていない限り資産は動かせないと思います。それに、税金や保険料も通常通りかかるはずです」

「そんな……」

「特に、森林先生の所得税や、市民税はけっこうな額だと思うのできちんとしておかないと差し押さえという可能性だってあると思います」

「そんな……」
 
 血の気が失せた。お金があるはずなのにお金がない。どこかで麻美が僕をせせら笑っているように思えた。


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