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私の命日は、『おめでとう』

先日は私の命日に沢山の『おめでとう』のお祝いメッセージをありがとうございました。
本当に心から嬉しかったです。

本当は病気が治って元に戻れることが1番の幸せだったのかもしれない。
今も時たま「もし元気だったら今頃何をしていたのかなぁ?」と思うけれど、

あの頃の健康だった自分はもう死んでしまったし、今を精一杯生きることできっと天国の自分も喜ぶだろう。
それに、健康だからといって幸せとは限らない。
健康だった頃の私が『幸せだ』と思って毎日を生きていなかったように。

今は『今ある小さな幸せ』に気付けるようになった心と周りの支えに感謝の花束を添えて…💐

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“どんなに些細なことにも『幸せ』と思える心を持つことが本当の幸せ。”
『幸せはどこだ!』と探し求めるのではなく、
“幸せと思える心を磨くこと”が一番の幸せになれる近道なのかもしれない。

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ちょうど数年前の今日の日、私は死んだ。私の命日だ。
事故に遭って全てが狂った日。脳脊髄液減少症を発症した日。
保健師をしていた。今のような梅雨時だった。

よく、「何もかも失ってゼロから始めた」という言葉があるが、
私は、何もかも失ってゼロを通り越す遥か彼方先のマイナスの地に放り込まれた。
死にたい以外の感情を失うような、生き地獄のような症状。
めまい、吐き気、激しい頭痛、全身の激痛、起き上がるとこれらが顕著に悪化することから24時間寝たきり生活。度重なる手術や治療は残念ながら効果がなかった。
健康、仕事、友人、お金、あらゆるもの全てを失った。世の中に存在するすべてのものを信じることができなくなっていた。

この生き地獄級の生活を「病気を治せる医療が発展するまで」耐え忍び続けることに絶望を感じていた。

私と全く同じ状況で全く同じ症状に見舞われた場合、果たして何人の人が生き延びることができるのだろうか?そんな厳しい現実。
いくら死にたいと望んでも、自らの手で自らを殺めない限り、この願いは叶わない。
死ぬことはめちゃくちゃ労力のいる仕事だ。それに何せ怖い。
死ななくていいのなら死にたくないに決まっている。
だけど生き続けることが不可能な位この症状がしんどい。

事故にあってから夢を持つまでの目標はずっと『死』だった。


ところがあることをきっかけに、寝たきりにも関わらず、初めて『夢』をもつ。

なぜ生き地獄の中、誰にも望まれない命を持ち、寝たきりで社会から孤立したのに5年も生き続けているのか?それには訳がある。

ただただ地獄級の症状に耐える毎日の中、「曲が舞い降りてくる」という不思議な現象が起きる。「生きろ。」と言わんばかりに止めどなく。
それも一曲でなく、次から次へと。


一曲目に舞い降りてきた曲がこの曲「ひかり」だった。


『私の中にたまたま舞い降りてきてくれて、私を癒してくれたメロディーを世界に届けたい。』


気が付いたら、その夢を叶えるために、

『作曲家になろう!』

と全く新しい夢を持つようになっていた。寝たきりが夢を持った。
音楽家になろうと思ったことは病気になるまで今まで一度もなかったのに。
曲を届けたい気持ちと、溢れんばかりに湧いてくるメロディーが私を突き動かした。

そこからは無我夢中に音楽を創っていった。

生まれて初めて『自分の好きなこと』で『本当にやりたいと思えること』を見出したこと

で、

正面からやってくる死にたい気持ちを少しだけ横によけて『長く生きるために生きるのではなく、夢を叶えるためには生きていることが必要だから生きよう』
そんな風に思えるようになった。

そんな風に思えるようになるまで考え方を変えるまでにずいぶん時間がかかったし、
今もそうは思えないウジウジした日もあるけれど、少なくとも『夢』をもつことが、私にとっての生きる目的と意味になっていることには違いない。

『生きる目的や意味。』

よく哲学的に尋ねられたり話し合うことが多い論題だけど、その答えや大切なことは誰も教えてくれない。答えはきっと自分で見つけるものなのだと思う。
今もこれからも沢山悩んで、進んでいく道。

…だから今日は健康だった自分が死んだ命日を、
『お気の毒に』ではなく、
素直に『よく頑張ってきたね。そして夢を持てたこと、本当におめでとう』と、

やっとのことで心から思えるようになったことを思い出に記しておく。

これからも私はゆっくり一歩ずつ歩んでいく。
自分の選んだ道を信じて夢に向かって一歩ずつ。

星野希望

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