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発達の凸凹は、「障害」か「個性」か「才能」か問題

いろんなお母さんの発信を見ていて、知的障害を伴うか、自閉症か、ADHDがあるか、などといった「診断された内容としての事実」を伝えていることはあっても、
「うちの子は障害じゃなくて個性です!」
等と自ら言っている人はほとんどみない。

「発達障害」って社会的に作られた病気なんだ。
「個性なんだ!」「才能なんだ!」みたいなことを言っているのを見たりすることはあるが、不思議とたいてい、当事者じゃない人が言っていることが多い。

そしてその人たちは、さも理解しているかのように言う。
「障害」という言葉を選ばないのは、配慮として言っている人もいるだろう。

「障害」という言葉は日本語の感覚では非常に重い。だから気を遣う気持ちもよくわかる。

ただ個人的には、こういうラベリングは、当事者が必要に応じて選ぶものであるべきだと思う。
外から、内情もよく知らず、「障害」だとか、「才能」だとか、「個性」などと決めるものではないと思うのです。

英語では「障害」にあたる言葉が disorder と disability に分かれます。
disorder は、「不便」という感じがする。
disability は、「物理的にできない」、という感じがする。

発達障害の場合は disorderですね。生きるのにいろいろ不便。
このdisorderはしっくりきます。

自閉スペクトラム症なら、 Austim Spectrum Disorder で(ASD)。
わたしがこのブログで好んでASDと書くのは、日本語の発達障害とか自閉症という表現を使いたくない、なんだかピンとこないから、というのがあります。

あと、同じ「自閉症スペクトラム」でも、知的な障害が重い人、逆にIQが通常よりも高い人、感覚過敏を伴う人、運動機能への障害がある人、ADHDを伴う人、学習障害がある人…など、本当に個別のパターンがある。

けっこうナーバスな問題であるのと、個人差も大きいので、
本人たちが「これは明らかに障害だわ」と思えば「障害」と捉えればいいし、当人たちに都合のいいように表現するべきでは?というのがわたしの今の感覚です。



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