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【自尊心】の在処を教えてくれただんなさん

1日の終わりのほう
大体20:54~57とかに
テレビから聞こえてくるフレーズ

「それではまた来週
お会いしましょう、さようなら~」
やさしく微笑みながら
手を振る出演者。

私もテレビに向かって手を振る。
無意識の習慣化された行動。


何かしら特化した分野について
多くの人が分かりやすく理解するために
語ってくれる解説者・専門家。

聞き手はこう、締めくくる。
「解説は○○さんでした
今日はありがとうございました」

私もテレビに向かって
「ありがとうございました」
頭を下げる。
無意識の習慣化された行動。


先日、だんなさんから
思わぬ<告白>を受けた。

「ずっと前から思ってて
言ってなかったんだけどね、
テレビに向かって手を振るじゃん
頭を下げて挨拶するじゃん。

それって向こうには
伝わってないよね。

初めて見た時はビックリしたけど
だんだん慣れてきて、
当たり前になって
伝わる、伝わってないなんか
どーでもいいんだ、って分かってからは
『微笑ましいな~』と思って
毎日見ておるよ」

私にとって
呼吸やまばたきと
同レベルに位置する言動に対して
あらためての指摘と、その想いの
<告白>を受けて、
きょとんとしてしまった。


数日後。

顔の汗を洗い流すのに
洗面台に立った。
ついでに三面鏡機能を作り出して
趣味?の後頭部の白髪抜きをしていた

その時。

「コレかぁ、コレだったんだね」
内側からじわじわと
温まるモノを感じた。


「コレ」が【自尊心】だ。

私は幼少期より
「目立ちたがり」の傾向があった。
占星術でいうところの
ASC獅子さんが物語っている。

初めて観たミュージカルに
衝撃を受けた思い出がある。
カーテンコールで私は
舞台に立つ彼らに手を振った。

いつしか私は、コチラ側ではない
「アチラ側」の人になりたい
という想いを抱き始める。

幼稚園時代、演劇の
ナレーターの役をもらっても
褒められるのは
私ではなく母親だった。

学校に上がり
クラス委員になっても
評価されるのは
私ではなく母親だった。

成人になり
小劇団に所属し主役を演じたら
「恥ずかしくないの?」母親に言われた。

大人の引きこもりを卒業し
自身の経験を活かして
心理カウンセラーになる学校に通った。
経済的な自立ができていなかったため
資格取得を断念した。

いったい私は、
いつ、どこへ行ったら
「アチラ側」の人だという
自覚を持てるのだろう・・・
葛藤の日々が続いた。


私が、
真の【自尊心】の在処を感じるのに
必要な時間が経過し
必要な経験を積んだからこそ訪れた
だんなさんからの<告白>

私は今、既に現役バリバリで
「アチラ側」の人をやっているんだ・・・
白髪を抜きながら笑ってしまった。

これまで渇望していた
「アチラ側」の人というのは
あくまで肩書に過ぎない。
必死になって自分ではない
何者かになろうとしていた

過ぎなかっただけのことだった。

私は今、専業主婦という立場で
自分の脚本・演出で
日常生活という舞台の主人公なのだ。

観客は、
私が「推し」のだんなさん。

台所から、自室から、おトイレから
自動的に私の歌声が聞こえる日は
ミュージカル鑑賞してるだんなさん。

変顔を見せられたり
小粋なジョークや
痛快なツッコミを入れられてる時は
テレビのチャンネルが
お笑いに合ってるか
お笑いライブに出かけてるだんなさん。

「芸人じゃなくても
一般人でも、そういうの
言ったりやったりする人いるんだね」
ドン引きして固まって
一瞬、石になりかけていただんなさんが
懐かしく思い出される。

私は舞台監督も美術担当も
兼任しているから
家計のやりくりやおウチのお掃除
お食事作りを担当している。

「今日会社でさぁ・・・」
だんなさんの同僚との話に
耳を傾けている私は
立派なカウンセラーさんだった。


「コレかぁ、コレだったんだね」

【自尊心】さん
ようこそ、はじめまして。
長い間、見つけて差し上げられなくて
ごめんなさい。
これからはずっと一緒です。

今日も私はテレビに向かって
手を振るのだろう、たぶん。
頭を下げるのだろう、きっと。

コチラ側の人とアチラ側の人
どちらも紛れもなく
純粋な自分自身。

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星野 華..:*☆☽

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