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【日本神話⑧】国譲り 雷さま来襲

 数々の試練を乗り越えた大国主命(オオクニヌシノミコト)により、かつては葦だらけだった土地に稲穂が実り、出雲国を中心に日本は繁栄していきました。それでも荒ぶる神々による争いは各地で散発し、全国的にはまだまだ平定とは言えない状態だったと、古事記や日本書記には語られています。

 この様子を見ていた天照大神(アマテラスオオミカミ)はじめ、高天原の神々たちは、地上の国を治めるため、オオクニヌシの下へアマテラスの子を向かわせることにしました。ここで古事記では、天菩比神(アメノホヒノカミ)を向かわせますが、オオクニヌシの部下になってしまい、本来の役目を果たさず帰還しませんでした。

 次に天若日子(アメノワカヒコ)に天之麻迦古弓(アマノマカコユミ)と天之波波矢(アメノハハヤ)を持たせて向かわせますが、今度はオオクニヌシの娘を娶り、その後継の座を狙う始末。さらにワカヒコは高天原側に反抗の意を示し、矢を射ったそうです。高天原に届いた聖なる矢を見て神々たちはワカヒコの謀反を確認し、反対にワカヒコが矢で討たれてしまいましたとさ。

国譲りの交渉が行われた島根県出雲市の「稲佐の砂浜」(2012年11月23日撮影)

 高天原の神々たちは、古事記では建御雷之男神(タケミカヅチノオカミ)と天鳥船神(アメノトリフネノカミ)・・・日本書記ではタケミカヅチと経津主神(フツヌシノカミ)・・・を出雲へ派遣し、オオクニヌシに国を譲るよう迫りました。

出雲大社の本殿(同日撮影)

 ここで対決が起こるのですが、それは次回以降の記事に。結果として高天原のタケミカヅチ側が勝利しました。この時の交換条件として、立派な宮社を建てることになり、それが出雲大社の始まりといわれています。建設当時は、天まで伸びるような大きな柱と本殿への大階段があったそうです。発掘調査でも痕跡が見つかっています。

 前置きが長くなりましたが、今回は高天原から派遣された武神・タケミカヅチゆかりの神社を紹介します。

タケミカヅチ(右)による鬼退治を描く石見神楽「道返し」。京都・松尾大社にて(2020年2月3日撮影)

雷神タケミカヅチ祀る鹿島神宮

 タケミカヅチの神社と言えば、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮ですね。Jリーグ・鹿島アントラーズの本拠地としても有名です。名前の通り鹿にもゆかりある神社です。

鹿島神宮の参道にある鹿のモニュメント(2013年8月16日撮影)

 タケミカヅチはその名が示す通り、雷の神様の異名を取ります。剣の腕前もよろしく後の時代、神武天皇の東征や大和王権による関東方面の平定はタケミカヅチとフツヌシの武神のご加護であるとされ、この地に神宮が建立されたそうです。

 武神の代名詞として、剣を振る軌跡が雷のようだ・・・行軍速度や会戦時の展開力と攻撃力のスピード感などが雷に例えられたりします。タケミカヅチは古代の優秀な軍人だったのかもしれませんね。あくまで私個人の勝手な推測です。

鹿島神宮の入り口。奥に赤い楼門(同日撮影)
鹿島神宮の境内案内図(同日撮影)

 鹿島神宮は神秘的で静かな森林の中にあります。この記事の表紙写真の参道も鹿島神宮です。訪問日はお盆で暑かったのですが、それでも境内は若干の涼しさと爽やかさを感じました。鳥居からまっすぐ奥宮へ参道が伸びていますが、本殿・拝殿は参道途中の右側にある設計でした。

鹿島神宮の楼門(同日撮影)

 まず目に飛び込んでくるのが赤い楼門。日陰と日向の光量具合が難しく写真が白飛びしてますが、許してください。その先にすぐ本殿・拝殿が見えてきます。

鹿島神宮の拝殿(手前)。奥に本殿(同日撮影)

 赤い楼門が印象的で、鹿島アントラーズのチームカラーのせい?な訳はありませんが、拝殿がシンプルな茶色ということで、一瞬、地味に見えちゃうのはなぜでしょうね。拝殿や本殿ってだいたい、こんな色味なのにね。奥の本殿は改修中でした。伊勢や出雲もそうでしたが、式年遷宮や「平成の大改修」といった行事が、各地で重なっていた時期でした。

鹿島神宮境内の鹿園(同日撮影)

 では、なぜ鹿にゆかりの神社なのか・・・これは、高天原の神々がタケミカヅチに命令を届ける際、鹿の精霊がその役目を担ったとの神話からだそうです。後に藤原氏(中臣)がここに領土を持っていたそうで、鹿島の神様を奈良の都に分霊して一家一門の氏神を祀る春日大社を建立しました。同時にこの地の鹿も連れてきたことで、今も奈良公園でたくさんの鹿が見られるようになったそうです。写真の彼らは奈良の鹿さんたちと親戚というわけですか。なるほどねぇ~。鹿島アントラーズが鹿のモチーフなのも、こういうことだったのですね。

鹿島神宮の奥宮(同日撮影)

 武の神様ということで、奥宮は徳川家康による建立だそうです。宝物館には、国宝の韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)が納められています。タケミカヅチや神武天皇が持っていたとされる宝剣と同じ名を称し、2.7mの大きな直刀で、日本最古最大といわれています。鑑定では平安時代頃の作だそうで、作者や奉納の由来は不明だそうです。

地震を引き起こすナマズを抑え込むタケミカヅチの石造(同日撮影)

 鹿島は土地柄、北関東から東北にかけての太平洋側に位置し、昔から地震が多かったのでしょう。古来では地震の原因とされた大ナマズに対して、これを抑え込む神様というのもよく知られています。

鹿島神宮の御手洗池(同日撮影)

 御手洗池まで来たところで境内巡りはおしまい。こういった水辺というものも当たり前にありますが、水資源は古今東西問わず人類にとってとても大切な場所です。神社で神様を祀るとともに、こういった水資源も大事にしないといけませんね。

鹿島神宮境内の団子とお茶(同日撮影)

 というわけで、歴史のお勉強と現場巡りでお腹が減ったので、団子とお茶をいただきます。やっぱり神社の中では団子ですね。焼き、餡子、黄な粉の三兄弟。それなりに大きく、しょっぱい、甘い、ほんのり甘いの三段突きに私の舌は降伏寸前です。美味い!満足です。

 鹿島は海にも近い神社で、水上の大鳥居なんかも有名ですね。祭事では、12年に1度執り行われる「御船祭」も見てみたいものです。飾りつけをしたたくさんの船団が繰り出し、海を挟んで対岸にある武神フツヌシを祀る香取神宮側の船との出会いを演出するお祭りだそうです。

 そこで次回は、国譲りで出雲に出向いたもう一方の武神・フツヌシゆかりの香取神宮へ行ってみたいと思います。茨城県境を越えて千葉県になりますが、車ならすぐそこです・・・船で利根川支流を越えたいところですが・・・。せっかくここまで来たのなら、2社同時に巡るのもいいプランだと思いますよ。

鹿島神宮↓

表紙の写真=鹿島神宮の参道(2013年8月16日撮影)

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