偏見の目が世の中から無くなればいいのに
私がブラック企業に勤めていた時、上司がヘビースモーカーだったから臭いで喘息の咳が出た。
その人と話すのもとても苦労した。
常にマスクをして生活していたから、その人から「星神さんはなんでマスクしてるの?」と度々訊かれ、最初は「風邪予防です」って言っていたのだけれど、いつしか「喘息なんで」と言うようになった。
私はその人から何度も「何でマスクしてるの?」と訊かれ続け、興味も覚える気もないなら訊かないでくれと本気で思った。
最初は気を使って「風邪予防」と言っていた私が、何度も同じ質問を繰り返される事でこの人に気を使っている自分がバカバカしくなってきて「喘息」と正直に言うようになった。
だけど、結局この人には何にも響かずだった。
コロナの影響で街にはマスクを付けた人たちが溢れた。マスクをしていない人が珍しく思われる程に。
少し前までマスクをしている事のが変扱いで、「暑くないの?」と無神経に興味本位で聴いてくる人たちにとてもイラついていた。
だって私には死活問題なんだもの。空気悪いと咳が止まらなくなるんだもの。話すことができなくなるんだもの。タバコ吸ってるあんたの所為なんだよ!と叫びたくなるときもあった。
でも今は普通にマスクをしていられる。していても「変」と思われない。変に詮索されない世の中になった。少しだけ悩みの種が減ったことが嬉しかったりする。
だけどコロナの所為で、今まで手に入ったマスクが手に入らなくなってしまった。
コロナ以前にマスクを必要としている私にとってはマスクが市場から無くなったのは絶望でしかない。
それに今までいろいろ試してきた中で私には決まったマスクがある。
マスクの流通は再開しても、私が愛用しているマスクがどこに行っても見つからない。Amazonで探してみてもとても手を出せる値段ではない。。
私に限らず、本当に必要としているものが手に入らないのは辛いことだと思う。
コロナで除菌シートが手に入らずにその代わりに…といろんなものが無くなった。
トイレットペーパーが中国で作られてるなんて話から爆買いが始まったり。。
でも本当にそれを欲している人にとっては代替品にされると困ってしまう。そういう悪循環が世の中を襲っていたとき、なんて生きにくい世の中なんだと心から思った。
誰よりも自分が大切だと思うことは間違ってないのかもしれない。自分を粗末に扱うよりそれをできることはすごいことだとも思う。
だけど、他人を思いやる気持ちを捨ててまで得られるものとは何なのか。それをしてしまったら人である意味はきっとないと私は思う。
人間だからこそ他人を思いやり、手を差し伸べたり、声をかけたり、痛みや喜びを感じ、与える事ができるのだから。
ありがとう。
HSP気質な私に少しだけ救いの手を…。サーポートにより私に生きてる意味を頂けましたら幸いです。