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私の教師ノート③ ~チーム・ワークは、求めるものでなく、与えるもの

チーム・ワークが大事」という言葉。

小さい頃から、いったい何回聞かされていただろう?と思います。

大学2年。
関東の地方大学に入学していたものの、その内容は、想像していたよりもはるかに下回るもので、虚しさを振り払いたい思いでラグビー部へ入部しました。

もちろん自分の為に入部したのですが、チーム側にとってみれば「チームの戦力として使えるか?」だけだったようで、そのような扱いでした。
高校生からやり始めたスポーツだったので、それは十分わかります。

嫌気がさしたのは、ある年の合宿でした。
同学年のメンバー1人が、皆が嫌がる合宿に初日から参加せず、遅れて参加した時に、チーム全員がいる前で、当時のキャプテンがそのメンバーに「なぜ、遅れて参加したのか?」を問いかけました。

そのメンバーは、「色々と自分の今後を考えた時に、このまま部活をしていていいのか悩んだ」みたいなことを答えました。

すると、キャプテンはこう返しました。
おめぇも俺も、所詮バカなんだから、流されて生きるしかねぇんだよ!」と。
唖然とする発言でしたが、そこにいた部員からは笑いが起き、結局そのメンバーも何か、くだらないジョークを言って、話はそれで終わりになりました。

この頃は、「チーム・ワーク」のチの字もわかっていませんでした。


本当のチーム・ワークを理解し、体得したのは、教師になって3校目のある学年に所属した頃でした。

とても荒れた時代でした。
家庭環境も複雑な家庭が多く、毎日のように問題が起きていました。

問題が起きると授業の合間や放課後に、その解決を図る為に奔走することになります。
ある日、クラスに大きな問題が起き、放課後保護者宅などで対応した後、学校に戻り、校長室で学校長に報告や相談をしました。ようやく終わったのは、かなり夜遅い時間であったように思います。

当然身も心もくたくたになり、「もうこの時間じゃ、職員室に誰も残っていないだろうな・・」と思いながら、職員室への扉を開けました。

すると、信じられないような光景がそこにありました。

30人以上いる職員室の中で、自分の所属する学年の教師たち7人だけが帰らずに残って、そこにいたのです。
他学年はもちろん誰一人残ってはいません。

学年主任は40代の女性の先生でしたが、私を見ると「ご苦労さま」とひと言言ったきりで、7人が普通に自分の仕事をしているのです。さりげなく。

私から問題について簡単に説明すると、7人は特に何も言うことも無く、何事もなかったかのように冗談をいいながら、帰っていきました。

私にとって、このことがどんなに有難かったでしょうか。
その日のことは、絶対に忘れることはできません。

そして、その後、自分がそのような立場に立った時は、同じようなことをするように努めました。


私は本当の「チーム・ワーク」を知ったのは、その時でした。

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